試練乗り越え守り続ける味 老舗チョコメーカーの芥川製菓 「甘いもので感動を」<都の100年企業>(2024年4月7日『東京新聞』)

 
 1886(明治19)年に創業したチョコレート専業メーカーの芥川製菓(豊島区)。国内のチョコレート産業黎明(れいめい)期から続く老舗だが、その歴史は困難の連続だった。4代目社長の芥川仁史(ひとし)さん(63)は「『これ好きなんだよね』って評価してくれるお客さんをこれからも大事にしていきたい」と変わらぬ味を守り続ける。(山中正義)
チョコレートの製造について話す芥川製菓社長の芥川仁史さん=いずれも豊島区で

チョコレートの製造について話す芥川製菓社長の芥川仁史さん=いずれも豊島区で

◆滋賀から進出、和菓子店がハイカラ意識

 滋賀県の旧甲賀郡で1870年代に、初代鉄三郎さんが和菓子の小売店を開業したのが始まり。当時は高級品だった砂糖菓子を販売していた。客が店に買いにくる時代ではなく、てんびん棒を担いで裕福な家を売り歩いていたという。
 創業年とする86年に東京へ進出し、その後、銀座で「芥川松風堂」を開店した。「ハイカラな土地柄だから和菓子だけではだめだ」と、洋菓子も扱うようになった。芥川さんは「記録がなく想像だが、初代は東京でも一旗揚げようと思ったのだろう。相当商売にたけた人だった」と推察する。
 大正時代に入ると、日本でチョコレートの本格的な生産が始まった。松風堂も1914(大正3)年に製造を開始。支店を含めて15店舗にまで広がったといい、商売は順調だった。
芥川製菓を創業した芥川鉄三郎氏(左)と関東大震災で消失した本店が描かれた絵の複製=豊島区で

芥川製菓を創業した芥川鉄三郎氏(左)と関東大震災で消失した本店が描かれた絵の複製=豊島区で

関東大震災で全店焼失、東京大空襲では工場も

 だが、関東大震災で状況は一変した。全店舗が焼失。戦時中には菓子の原料となる砂糖の供給が止まり、疎開先の駒込で再建した工場も東京大空襲で焼けた。
 度重なる試練にもかかわらず、芥川さんの父篤二(とくじ)さんは焼け野原でゼロから工場の再建に奮闘。チョコレートの原料輸入が停止する中、ココアパウダーと水あめを混ぜたグルコースチョコレートを代替品として売るなどして乗り越えた。戦後の復興期にチョコレート専業となった。
芥川製菓の商品で一番人気のスペシャルミルクチョコレート

芥川製菓の商品で一番人気のスペシャルミルクチョコレート

◆人気はミルクチョコ、味の基本は変えず

 芥川製菓の一番の人気商品は「スペシャルミルクチョコレート」。縦8.5センチ、横30センチ、厚さ1.3センチのインパクトある大きさに加え、口の中で広がるミルク本来の風味や滑らかな口溶けが特徴だ。工場のある埼玉県狭山市ふるさと納税返礼品にも選ばれている。
 時代とともに消費者の嗜好(しこう)は変わるが、「売り上げの主力はオーソドックスな商品。味の基本は変わらない」と芥川さん。原材料費や輸送費の高騰に加え、「今は昔と違って作れば売れる時代ではない」。厳しい時代だが、芥川さんが大切にする原点は変わらない。
 「甘いものを食べたときの楽しさと感動を多くの人に味わってほしい」