震災13年】消防団員の減少が深刻化 地域のつながりにも影響(2024年3月9日『NHKニュース』)

 東日本大震災

地域防災を支える消防団員が、高齢化や人口減少などを理由に全国で減っています。


特に13年前の東日本大震災の被災地で深刻化しており、中には震災前と比べた減少率が68%と、全国平均(13%)を大幅に上回る自治体もあります。

地域の要である消防団員。その減少について、被災地で取材しました。

地域に密着し人命救助・避難支援

消防団は常勤の消防職員と異なり、災害時には地域に密着して人命救助や避難支援をします。

 

また火災の時には、自宅や職場から現場へ向かい初期消火を行ってきました。その歴史は江戸時代の町火消しまでさかのぼると言われています。

総務省消防庁によると、全国の消防団員の数は記録の残るかぎりでは1954年の約202万人がピークでした。

■全国の消防団員の人数
1954年 202万3011人
2023年 76万2670人

その後は人口減少や高齢化で年々減少。去年は76万人余りで、地域の防災やつながりを維持するのが困難になっています。

こうした中、13年前の東日本大震災津波で大きな被害を受けた岩手県宮城県福島県消防団員の人数について取材しました。

 

3県の消防団員の合計は、震災前の2010年は8万441人でしたが、2023年は6万5389人に。減少率は18.7%と全国の13.7%と比べて高くなっていることが分かりました。

以下、各県で減少率の高いおもな自治体をまとめました。

 

火事でポンプ車が出せない!

かつて、製鉄工場を中心とした“鉄のまち”として栄えた岩手県釜石市

市によると、震災による死者、行方不明者、関連死は合わせて1064人となっています。

現在の人口は、震災前から約1万人減って約3万人。市内の消防団員は528人(去年4月)で、震災前の2010年と比べると260人以上減りました。

このうち第5分団は、管轄する甲子地区を6区域に分けていますが、動かすのに3人が必要とされるポンプ車を動かせない区域があります。

この第5分団にことし1月、消防本部から出動要請が来ました。管轄区域に隣接する区域で住宅から出火したのです。

ところが時刻は午前9時前。分団員の多くが会社勤めで、職場を離れられない状況でした。

結局、3人以上の団員を集められず、ポンプ車の出動を諦めざるをえませんでした。

この火事では消防士の到着が早く、すぐ近くに川も流れていたため消火活動への影響はなく、けが人もいませんでした。ただ、消防団の存在意義が問われかねないケースとなりました。

第5分団 小久保謙治分団長

「以前は自営業とか専業農家の団員が多かったんですが、そうしたかたが勇退して、今は会社員の団員がほとんどになってしまった」

釜石市消防団は、東日本大震災津波で、水門の管理などをしていた消防団員8人が逃げ遅れるなどして亡くなりました。

小久保さんはこうしたことが市民に「消防団は危険だ」という認識を与えてしまった側面もあると話します。

第5分団 小久保謙治分団長
「現実に犠牲になられた消防団員もいますので、消防団は危険、怖いというイメージを持たれているところもあるのが正直なところです」

気仙沼市 危機感を抱く住民も

消防団員の減少で、地域のつながりに支障が出かねないと危機感を抱き始めた住民もいます。

澤井勉さん(74)は宮城県気仙沼市で生まれ育ち、親戚も消防団に所属していたことから身近に感じてきました。

消防団の屯所の清掃や事務作業を行って、20年以上も消防団を支えてきました。

東日本大震災で活動する消防団

気仙沼市は震災で関連死を含めて1220人が犠牲になりました。消防団員は水門の閉鎖や消火活動、それに避難誘導などさまざまな活動にあたりました。

日頃から地域の住民と交流し、地域のことをよく知っているからこそ、自衛隊や消防より先に孤立した地域の発見につながりました。地域をまとめ住民同士をつなげてきたからこそ、役割を果たせました。

しかし、震災でまちは一変しました。一部の住民は住んでいた地域を離れざるをえない状況に。

海の近くに住んでいた澤井さんも自宅が浸水し、内陸に移り住みました。いま、団員と住民のつながりの薄さを感じています。

澤井勉さん
「なかなか被災したところでは難しいと思う。震災でみんな住む場所がばらばらになり、コミュニケーションが取りにくくなってきたのが現状。昔と今では違う」

どうしたら若者の入団が進むのか。ポスターやチラシを使った既存の勧誘方法にとらわれないアイデアを出そうと、去年11月、若手の団員を中心に新たに会議を立ち上げました。

参加者
「若者の中には休みが優先だという人もいると思う」
「報酬が少しでも欲しいと思う人もいるのでは」
消防団の活動の報酬額を提示するのはどうか」
「アンケートで聞けば、入団への糸口が見つかるのでは」

さまざまな意見が出されましたが、なかなか解決策は見つけられません。それでも何かできないかと必死です。

8町村 消防団員の居住率28%

13年前に発生した東京電力福島第一原発の事故のあと、国の避難指示を受けた原発周辺の8町村では一時、全住民が避難を余儀なくされました。

8町村の消防団員は去年4月の時点で合わせて1200人余り。このうち何人が地元に住んでいるのか、NHKが各自治体に尋ねたところ、実際に居住しているのは340人余り。3割に満たないことが分かりました。

自治体ごとの団員の居住率を見ると、

双葉町が7%
浪江町が18%
大熊町が19%
飯舘村が26%
富岡町が27%

となっています。「帰還困難区域」が指定された自治体で特に低く、避難先の地域に生活基盤を築く人が増えたことが背景にあるとみられています。

この状況で安全・安心を確保するにはどうすればよいか。8町村のひとつ、福島県富岡町ではある取り組みを進めています。

富岡町 「とみおか守り隊」を組織

ことし1月1日の時点で町内に住んでいるのは2300人ほど。このうち消防団員は36人です。

町の防火・防犯事業として、震災後に組織したのが「とみおか守り隊」です。町が消防団員を臨時職員として雇用し、町内をパトロールするもので、メンバー18人のうち14人は避難先から町へ通勤しています。

末永博幸さん(64)は富岡町消防団の団長で「とみおか守り隊」の隊長です。

かつて住んでいた自宅は帰還困難区域に指定され、取り壊しました。いまは60キロほど離れた郡山市に住み、「守り隊」の活動のため、早い日は午前4時すぎに自宅を出ます。


トロールは午前と午後の2交代制。1日5時間ほど消防車で巡回し、住人が避難して不在になっている家の様子を確認したり、自宅に帰還して暮らす人の様子を見守ったりしています。

農地の管理のため避難先から通っている男性は、「地元の人がパトロールをしてくれると安心できるので、町に戻るかどうか判断する上でいい材料になる」と話していました。

末永博幸さん
「たとえ避難先にいても、自分たちの町は自分たちで守っていきたいと思います。しかし、有事の際にどれだけのメンバーが集まれるか不安もあります」

飯舘村 企業に消防活動の協力をお願い 

富岡町と同じく、原発事故のあと一時全域に避難指示が出された飯舘村も、消防団員の大幅な減少に悩まされています。

村の消防団員は145人(去年4月時点)。このうち村に住んでいるのは37人です。

そこで村は、地域の安全を確保するために、おととしから県内では初めての取り組みを進めました。「企業消防隊」です。

村内に工場がある企業と協定を結び、従業員による「消防隊」を結成して火災の初期消火を担ってもらおうというのです。

協力しているのは、東京に本社があるプラスチック部品などのメーカーで、村内の工場の従業員約150人のうち17人が「隊員」として参加しています。

これまで出動する事態は起きていませんが、工場の敷地に消防車も用意し、定期的に訓練を行って備えています。

企業消防隊 花井智弘さん

「工場も以前は消防団員の方々に守られてきたので、企業の若い力でこの村を守っていきたいです」

飯舘村 杉岡誠村長

消防団員を増やすというのは非常に難しい状況があるので、村として企業誘致を進めて取り組みへの参加につなげていきたい」

村は、今後も誘致企業へ協力を呼びかけ、地域の安心の“新たな柱”を確保したいと考えています。

専門家 “震災の影響が減少に拍車”

被災地で深刻な減少が進む消防団。消防行政の専門家は、震災の影響が減少に拍車をかけていると指摘しています。

関西大学 永田尚三教授
東日本大震災津波で被害を受けた沿岸地域は、長期の避難を余儀なくされてコミュニティーが破壊されてしまった。それが消防団の団員数の減少に大きな影響を与えている。釜石市のケースのように、火災が起きた時にすぐに出動できない事例は非常にショッキングだが、全国に起こりうると考えている。団員数の減少が今後も続くと、地域の防災力や火災対応の弱体化につながると懸念している」

能登半島地震でも重要な役割

ことし1月の能登半島地震でも、消防団は重要な役割を果たしています。

総務省消防庁によると、道路の寸断で関係機関の支援が難しくなるなか、消防団はいち早くかけつけ、避難所の運営支援や倒壊家屋からの救助などを行いました。

震災から13年。私たちにとって身近な安心を届ける消防団のあり方が問われています。

(盛岡放送局 粟田大貴・川原玲奈/仙台放送局 井手上洋子・吉田千尋
福島放送局 浦壁周平)