東京大空襲 1945年3月10日未明、現在の東京都江東、台東、墨田区などに米軍が実施した無差別爆撃。下町の木造住宅の密集地帯にB29爆撃機が大量の焼夷(しょうい)弾を投下し、強風も重なり大火災を引き起こした。死者は約10万人とされ、被災者は約100万人、家屋被害は約27万戸に上った。
遺族代表で焼香した墨田区の大日向(おおひなた)弘行さん(83)は当時、両親と埼玉県に疎開し無事だったが、祖父母を亡くした。慰霊堂への参拝を続け、子や孫に命や平和の大切さを伝えてきたという。「戦争を二度としてはならない思いでお参りした。忘れてはならないと、若い人にも伝わってほしい」と静かに話した。
都主催の「平和の日記念式典」も都庁であり、参列者が黙とうをささげた。空襲に遭った武蔵野市の島津好江さん(90)は、今も世界中で戦禍が絶えないことを憂い「皆で手を繫ぎ、撃ち合いではなく話し合いを」と願った。
会場隣では空襲資料が展示され、都が収録し大半が非公開となっていた戦争体験者の証言ビデオを映した。映像を見た大田区の高本安子さん(72)は「戦争を知る人々の貴重な証言。しっかりと残してほしい」と話した。(中村真暁)
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◆「逃げた時より忘れられない」言問橋で見た数々の遺体
追悼碑を前に、空襲の体験を語る上野さん=10日、東京都台東区で
当時、富士国民学校(現区立富士小学校)3年生だった上野淳子さん(88)=同区浅草=が被災者を代表してあいさつした。上野さんは空襲がやみ、自宅に戻ろうと隅田川にかかる言問橋を渡ろうとした時、橋に横たわる多くの遺体を見た。「逃げた時より、帰ってきた時の方が忘れられない。戦争がないように」と訴えた。
追悼式は今年で37回目。東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委員会が主催した。(井上真典)