高齢化進む空襲被害者 国の責任で救済を早急に(2024年3月10日『毎日新聞』-「社説」)

 
東京大空襲で焼け野原になった市街地(隅田川西岸の浜町、新大橋方面)=1945年撮影
東京大空襲で焼け野原になった市街地(隅田川西岸の浜町、新大橋方面)=1945年撮影

 79年前の3月10日、東京の下町に米軍機が大量の焼夷(しょうい)弾を落とし、約10万人が死亡した。東京大空襲である。

 東京は太平洋戦争中に100回以上の空襲を受けた。体験者の証言を収録した映像が、都内で公開されている。

 「無我夢中で駆けた。生と死の本当にはざま」「小学校のプールの中に死んでいる人がたくさんいた」。地獄絵図が浮かぶ。

 証言映像は、都が建設を計画していた「平和祈念館」で流すため、1990年代に収録された。ところが、展示内容を巡って都議会が紛糾し、建設計画は凍結され、映像も倉庫に眠っていた。

救済法の成立を目指し、防空ずきんをかぶって衆院第2議員会館前で集会を開く全国空襲被害者連絡協議会のメンバーや支援者たち=東京都千代田区で2023年12月8日午後0時32分、玉城達郎撮影
救済法の成立を目指し、防空ずきんをかぶって衆院第2議員会館前で集会を開く全国空襲被害者連絡協議会のメンバーや支援者たち=東京都千代田区で2023年12月8日午後0時32分、玉城達郎撮影

 ロシアによるウクライナ侵攻後、活用の機運が高まった。収録された330人のうち、本人や家族の同意が得られた122人分が公開されることになった。

 空襲被害の調査や伝承は民間の人々が担ってきた。作家の故・早乙女勝元さんらが開設した「東京大空襲・戦災資料センター」には、貴重な資料が展示されている。

 国は目を向けてこなかった。戦時中、全国各地の都市が空襲を受けたが、被害の全容はいまだに分かっていない。

 被害者は置き去りにされてきた。軍人・軍属とその遺族には年金が支払われる一方、民間人は国との雇用関係がないとして何の補償もされてこなかった。

 戦争の損害は、国民が等しく受忍しなければならないものという「受忍論」を持ち出し、救済を拒み続けてきた。

 しかし、国には惨禍を招いた責任がある。都市住民に住まいを離れることを禁じ、空襲時の消火義務を負わせていた。

 2020年に超党派議員連盟が救済法案をまとめた。心身に障害や傷を負った人に一律50万円を給付する。政府が空襲被害の実態を調査することも盛り込まれた。

 だが、議連の会長が昨年に死去し、事務局長も事件で起訴されて議員辞職したため、法制化の動きは止まっている。

 世界では、ドイツやイタリア、英国、フランスなどが民間人被害者の救済制度を設けている。

 被害者の高齢化が進む。来年は大空襲から80年になる。これ以上、放置することは許されない。