両親ときょうだい2人の家族5人で、当時通っていた千束国民学校(現台東区立千束小学校)に避難した。講堂にいたら、ピアノがくすぶり始めた。息苦しくなり外に出ようと扉を開けた。足元に赤く焼けただれた男性の死体があった。足がぶるぶると震えた。
◆3月のプールは寒かったはずなのに
熱さから逃れるため、家族全員でプールに飛び込んだ。燃えた校舎からは火の粉が飛んでくる。プールに投げ入れられていた布団で体を守り、校舎が燃え落ちるのを見ていた。ひどく寒かったはずなのに感じなかった。
姉の辞書を手に被災体験を語る岡崎さん=東京都台東区で
プールには、位牌(いはい)や国語辞典を包んだ風呂敷を沈めた。翌日、七つ上の姉と父が引き上げた。「当時、辞書は高価だった。姉は大事にしていた」。岡崎さんはボロボロになった姉の辞典を大切に保管している。「貴重な記録。見れば当時のことが思い出される」
学校内の防空壕(ごう)に避難して窒息死した遺体が運び出されるのも見た。自分の家族は助かったが「運がよかっただけ。めんこやビー玉遊びをしていた多くの友達を失ったことがつらい」と語る。
◆9・10日に浅草公会堂で体験語るイベント
空襲体験は、8年ほど前に都内の戦争関連の催しで語るようになった。腎臓を患い、週3回、透析に通う体だが「現在も国外で戦争は起きている。戦争の怖さを全人類知ってほしい」と声を振り絞る。
岡崎さんは9、10日、浅草公会堂で体験を語る。詳細についての問い合わせは、東京大空襲犠牲者追悼・記念資料展実行委=電090(5249)6766=へ。
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