政府の会議において、高齢者の定義を今の65歳から延長する提言が出されたことが波紋を呼んでいます。このニュースを耳にした多くの人が、年金をもらえる年齢が遅くなるのではないかと心配しているのですが、果たしてどうなのでしょうか。
【画像】年金額が増えても“実質的には減額”ってどういうこと?! 物価上昇時の「マクロ経済スライド」イメージ図(ほか画像3枚)
年齢を5年延ばす案が出てきたのは、政府が主催する経済財政諮問会議です。この会議において民間議員が提言したプランの中に高齢者の定義見直しが含まれていました。もっとも、提言の内容自体は、日本人の健康寿命が伸びているので、人生の後半をより充実して生きられるよう学び直しの機会が必要、という流れでしたから、直接、年金の支給開始年齢について議論されたわけではありません。
しかしながら、制度における高齢者の定義が変更されることになれば、当然、高齢者に対する各種政策に影響が出てくる可能性がありますから、多くの人が心配するのも当然といえるでしょう。立憲民主党の小沢一郎衆院議員はこのまま政府のやり方を放置していると「年金は80歳からなどと言い出しかねない」と強く批判していますし、ネットでもこの話題は広く拡散しました。一連の騒動を受けて武見敬三厚労相は、「年金の支給開始年齢の引き上げは考えていない」と火消しの発言を行っています。 あくまで現時点においての見立てですが、筆者は年金の支給開始年齢が引き上げられる可能性は今のところ低いと見ています。その理由は、政府は別の形で年金財政の安定化を図ろうとしているからです。 日本の公的年金は現役世代から徴収する保険料で高齢者の年金を支払う仕組みになっています(賦課方式)。このやり方には様々な面でメリットがある一方、現役世代の人口が減り、高齢者の人口が増えてしまうと年金財政が苦しくなるというデメリットもあります。 この状況を解決するには、現役世代からより多くの保険料を徴収するか、高齢者に支給する年金を減らすかのどちらかを選択するしかありません。現役世代の保険料はこれまでずっと上昇が続いてきましたから、現役世代の負担をこれ以上、増やすことは現実的に難しい状況です。このため政府は、高齢者の年金を減らすという方向性で財政の安定化を図っています。その具体的な施策は「マクロ経済スライド」と呼ばれるものです。 マクロ経済スライドは、簡単に言ってしまうと、毎年の年金支給額を少しずつ減らしていく仕組みです。
例えば、2024年度の年金支給額は昨年度と比べて2.7%増えたのですが、それに対して物価は3.2%も上昇しています。 物価上昇分ほどには年金は増えていませんから、これは事実上の年金の目減りと考えて良いでしょう。このようにして年金支給額を少しずつ減らしていくことで、年金の財政の安定化を図るのがマクロ経済スライドですから、ストレートに言ってしまえば、これは年金の減額制度と言い換えることができます。 年金減額が実施されたことで、今後、高齢者の年金は毎年、少しずつ減っていくことになります。40代で年収400万円台だった人は、現時点では月あたり15万円前後の年金をもらうことができています。しかし、年金の減額制度によって、今、40代で同水準の年収を得ている人が年金をもらう頃には、現在価値で試算すると支給額は12万円程度に下がっている可能性が高いでしょう。 現役時代の年収が高い人は何とかなると思いますが、年収が低い人の場合、年金だけで生活するのはかなり苦しくなるかもしれません。 これまで日本の公的年金は財政的に危ないと指摘されてきましたが、年金の減額制度(マクロ経済スライド)が発動されたことで、財政そのものは好転する方向に向かっています。このため、今から大きく状況が変わらなければ、支給開始年齢を65歳から大幅に引き下げることなく、事態を乗り切れる可能性はそれなりに高いと思います。 しかしながら、年金の額が減っているということは、制度としては破綻しないものの、高齢者の生活が苦しくなることを意味しています。ここで関係してくるのが、今回、提言が行われた高齢者の就業促進です。 元気で働く意欲がある人に関しては、できる限り長く働いてもらい、高齢者として年金をもらいつつ、同時並行で現役世代として保険料を納めてもらえば、年金の財政はさらに好転します。こうした理由から、政府は元気な高齢者については、長く働いてもらえるよう環境整備に力を入れているわけです。 一方で、健康状態が悪化し、働きたくても働けなくなる人も一定数存在します。こうした人たちにとっては年金だけが頼りですから、生活が困窮しないよう各種支援を強化していく必要があると思います。 早く年金をもらってリタイアしたい人は前倒しで年金をもらえる、高齢になっても働きたい人はずっと働き続けられる、健康上の問題で働けなくなった人は、しっかり年金で生活できる、こうした選択の自由が、どれを選んでも不利になることなく保証される仕組みを構築していくことが重要でしょう。
加谷 珪一