楽土から立ち上る黒(2024年5月31日『産経新聞』-「産経抄」)

キャプチャ
 暴動が続き、黒煙が立ち上るニューカレドニア・ヌメア=15日(AP=共同)
 米国の作家、ヘンリー・ソローの言葉にある。「友は緯度となり経度となる」。遠方に友を作りなさい、世の中の広さが分かるから―と。SNSの普及により距離も時差も飛び越えられる現代だが、その教えは古びることがない。
▼亡き作家の森村桂さんは、父のこんな言葉に導かれ、南太平洋に浮かぶ島に「友」を求めたという。「神様と好きなだけ会えるからみな幸せ」。旅行記天国にいちばん近い島』は昭和59年に公開された邦画のタイトルとしてもなじみ深い。フランス領ニューカレドニアである。
▼リゾート地の印象が先立つかの地と、わが国との関わりは古い。明治から大正にかけて、ニッケル鉱山の労働力として5500人余りの日本人が渡航している。大半は独身男性で、中には農業や商売で身を起こし、現地の女性と結ばれる人もいた。
▼その子孫も暮らす楽土が穏やかならぬ事態になっている。バリケードで封鎖された道路。放火された家屋や車から立ち上る黒煙。今月中旬に起こった暴動である。現地の映像が酸鼻極まる絵図を伝えていた。複数の死者が出ており、在留邦人も航空機での退避を余儀なくされた。
▼発端は、仏本国の議会が示す憲法改正案だった。人口の約4割を占める先住民族の選挙での比率を下げかねない案に、先住民族の独立派は撤回を求めて過激な行動に走った。独立派には中国の息がかかっているとの指摘もあり、事態は複雑である。
▼独立の賛否を問う過去3度の住民投票は、いずれも反対が上回った。「南方の友」を待ち受ける前途はしかし、なお多難を思わせる。楽土から立ち上る黒煙は、決して遠い向こう岸の火事ではない。わが国も、かの地の安定に向けた協力を惜しんではなるまい。