週のはじめに考える 国際社会の重い責任(2024年4月21日『東京新聞』-「社説」)

 国際社会の非力さに歯がゆい思いが募ります。パレスチナ自治区ガザでイスラム組織ハマスイスラエル軍との戦闘が始まってから半年。3万人以上のガザ住民らが命を落としました=写真はガザへの空爆、ゲッティ・共同。
 パレスチナイスラエルとの対立と語られがちですが、国際社会も第三者ではあり得ません。紛争の種をまいたからです。
 歴史をさかのぼります。争いの発端はアラブの地の一角にユダヤ人が移住したこと。背景には19世紀末から吹き荒れたロシアを含む欧州での反ユダヤ主義があり、彼らは安住の地を求めたのです。
 第1次世界大戦中の英国の二枚舌外交が問題をこじらせます。パレスチナは敵方のオスマントルコ領でしたが、戦費集めのため英国はユダヤ人富裕層に郷土建設を、先住民のアラブ人には独立を約束し、協力を仰ぎました。
 第1次大戦後、パレスチナは英国の委任統治領となりますが、ナチスホロコーストユダヤ人虐殺)で移民は急増し、アラブ(パレスチナ)人との衝突が激化。
 移民制限を図る英国はユダヤ人機関から軍事的に攻撃されて迷走し、問題を丸投げされた国連は第2次大戦後の1947年11月、人口で33%、土地を6%しか持たないユダヤ人側にパレスチナ全土の56%を与える分割決議(国連総会決議181)を採択します。
 イスラエルが独立宣言に「ユダヤ民族の国家設立の権利の承認」と記す決議です。米国、旧ソ連の両大国とも賛成しました。
問われる国連分割決議
 収まらないアラブ人側は翌48年にイスラエルが建国すると同時に攻撃を開始しますが、敗北(第1次中東戦争)。イスラエルの領土は全土の78%に広がりました。
 考えるべきは国連分割決議の妥当性です。決議採択前、国連パレスチナ臨時委員会には主流、非主流両派の小委員会があり、主流派の第1小委案が採択されました。でも非主流派の第2小委案に刮目(かつもく)すべき内容があったのです。
 「国連に多数派(アラブ側)住民の土地を取り上げ、少数派(ユダヤ側)に与える権限はない」という民族自決権の原則にのっとった指摘や「ユダヤ難民はその出身国が再定住に努力するか、国連加盟国が分担して引き受ける」ことが筋だとする問題提起です。
 39年の英国での円卓会議でもパレスチナ側代表が「なぜ小さなパレスチナナチス被害者に責任を負わなければならないのか」と訴えた記録が残りますが、非主流派は欧州の責任を重視しました。
 非主流派は分割案が通れば「わずかに残されたアラブ、ユダヤ両社会の友好、協力の可能性を破壊する」「中東と世界の平和を脅かす」とも警告していました。
 いま読み返せば慧眼(けいがん)ですが、非主流派案は否決。国連は分割決議で約束したパレスチナ国家建設や戦争で拡大したイスラエル領を決議通りに戻す努力も怠りました。
 分割決議当時、国連の加盟国数は現在の3分の1程度でした。一連の経緯には、植民地主義が根強く残る欧米中心の国際社会の身勝手さが透けて見えます。
 その後、パレスチナ側に残された22%の土地も第3次中東戦争(67年)でイスラエルに占領され、全土解放を断念して占領地でのパレスチナ建国を目指したオスロ合意(93年)も破たん。わずかな土地も国際法違反のユダヤ人入植地の増殖で穴だらけに。国際社会はそれすら看過してきました。
旧植民地の国家が連帯
 国際社会はこの紛争を公正な解決に導く責任を負っています。とりわけ欧米諸国には歴史的な負債を清算する義務があります。
 ただ、そうした正論は無視され続けています。でも希望の芽もなくはありません。国際社会の変化です。分割決議当時と比べて、現在の国連には旧植民地から独立した多くの国が加盟しています。
 南アフリカの提訴を受けて、国際司法裁判所は1月、イスラエルに集団殺害防止の暫定措置を命じました。植民地主義の辛酸をなめた国々がパレスチナに手を差し伸べているのです。
 日本はどうでしょう。第4次中東戦争(73年)では官房長官談話でイスラエルに占領地撤退を強く訴えたこともありましたが、今では戦場で効果が検証されるイスラエル製攻撃用無人機の購入を検討中。戦後日本の「平和国家の歩み」に反するのは明白です。
 ガザ停戦に一刻の猶予も許されません。歴史を振り返れば国際社会も当事者です。高みの見物など許されない重い責任があります。