どんな意味があった? 旧優生保護法めぐる「画期的」最高裁判決 政府側の主張を「信義則に反する」と一蹴(2024年7月4日『東京新聞』)

 
 旧優生保護法を巡る訴訟で、最高裁大法廷は3日、被害者の前に「時の壁」として立ちはだかってきた除斥期間の適用を認めなかった。被害の深刻さ、不妊手術を適法と主張し続けた国の姿勢を重く捉え、原告に限らず、被害者全員に救済の道を開いた。(太田理英子)

◆国は強制不妊手術を「適法」と言い張ってきた

 「被害者全体を守る理屈を裁判所が必死に考えた結果だと思う。被害回復の動きにつながる」。判決後の記者会見で、原告側弁護団の関哉直人事務局長は声を詰まらせながら語った。
 原告たちが手術を強制されたのは半世紀以上前。手術内容を知らなかった人も多く、差別の中で声を上げることは困難だった。判決も、国の「手術は適法」との態度などが、提訴を難しい状況にしたと認めた。
 関哉事務局長は「国の政策として差別し、犠牲を強いてきたことを明示した。被害者、家族が声を上げるきっかけになる」と期待を込めた。

◆「著しく正義・公平の理念に反する」と賠償請求権の消滅を認めず

 「驚くほど踏み込んだ画期的判決。現在に至るまでの国の責任を厳しく追及する内容だ」。慶応大の小山剛教授(憲法学)は、判決を高く評価する。
強制不妊起訴の争点と判断

強制不妊起訴の争点と判断

 不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅するという除斥期間は法律に明記されているわけでなく、当時の民法の規定を根拠に1989年の最高裁判例で確立した。
 過去に最高裁が例外的に適用しなかったのは、殺人事件の被害者遺族が26年間事件の発生を知らなかったケースなど2件のみ。旧法を巡り、これまで原告側が勝訴した各地の地裁や高裁の判決では、この2件を踏まえ、適用の「起算点」をずらすなどして、国に賠償を命じてきた。
 しかし、この日の最高裁判決は、除斥期間の適用が「著しく正義・公平の理念に反し、到底容認できない場合」は、適用を求める主張自体が「信義則に反し、または権利の乱用と判断できる」とし、89年判例を変更。時の壁を取り払った。
 小山教授は、国が憲法違反の法律を制定し、政策で生じた重大な人権侵害というという特殊性を踏まえ「例外的対応が求められるのは当然。機械的に適用するのは不条理だ」という。
 一方で、水俣病などの公害や薬害など長期間たってから被害が分かるケースに救済範囲が広がるかについて「国の積極的関与や人権侵害の度合いなど、今回と同等と言える事案はなかなかない。他の訴訟への影響は不透明だ」と話す。

 除斥期間 法律上の権利を使わないまま過ぎると自動的に消滅するまでの期間。権利関係を速やかに確定する目的があるとされるが、戦後補償や公害訴訟では「時の壁」となってきた。最高裁除斥期間を認めなかったのは、予防接種の後遺症で寝たきりになり22年間提訴できなかったケースと、殺人事件の遺族が26年間事件発生すら知らなかったケースの2件だけ。2020年施行の改正民法で、権利消滅の期間が先延ばしできる場合がある「時効」に統一されたが、改正前に起きた案件には適用されない。

◆「国は障害者の権利を軽視していることが訴訟であらわに」と識者

 判決は、現在に至る国側の姿勢を厳しく捉え、対応を促した。
旧優生保護法下での不妊手術をめぐり障害のある人らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決が言い渡された最高裁大法廷=3日午後(代表撮影)

優生保護法下での不妊手術をめぐり障害のある人らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決が言い渡された最高裁大法廷=3日午後(代表撮影)

 2019年4月、被害者への一時金支給法が議員立法でようやく成立したが、「損害賠償責任を前提とせず、一時金320万円にとどまる」と指摘。自治体による当事者への個別通知も行き届いておらず、制度を知らない人も多いとみられ、約2万5000人とされる被害者のうち支給認定を受けたのは約4%(今年5月末時点)にとどまる。法制定時に当時の安倍晋三首相が「反省とおわび」の談話を発表したが、旧法の違憲性に触れず、訴訟でも国側は曖昧な態度を続けた。
 旧法に詳しい立命館大副学長の松原洋子教授(生命倫理)は「国は障害者権利条約の批准国として施策を進めながら、個人の尊重、法の下の平等という根本の部分で障害者の権利を軽視していることが訴訟であらわになった」と話す。
 政府と国会には「憲法違反との最高裁判断を踏まえ、すみやかに総理大臣による謝罪と国会の謝罪決議をすべきだ」と指摘。被害者も参画しながら補償の法制度を見直し、被害者がアクセスしやすい仕組みづくりも必要だと強調する。
 

「判決を第一歩に、誰もが当たり前に暮らせる世界を」旧優生保護法下の強制不妊訴訟 願いが通じた喜びの声(2024年7月4日『東京新聞』)
 
 優生保護法下の不妊手術から半世紀を経て、最高裁が3日、国の賠償責任を認めた。廷内には拍手が湧き起こり、正門前では涙を流し喜びを分かち合う人たちの姿があった。既に死亡した原告も少なくない中、支援者たちは国による速やかな謝罪と補償を通じた被害者全員の救済を求めた。(中山岳、太田理英子)
◆「国が長年、いいかげんなことをしてきたことがはっきりした」
 「長かったが、ようやくここ(勝訴)まできて、本当に良かった」。原告で70代の飯塚淳子さん=仮名、宮城県=は判決後、最高裁正門前で、目を細めた。
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最高裁判決を受け、記者会見する飯塚淳子さん(仮名)=3日、東京・永田町の衆院第1議員会館で、坂本亜由理撮影
 
 障害はなかったが知的障害者施設に入れられ、16歳の時に説明なく手術を受けさせられた。結婚後、優しく信頼していた夫に手術のことを打ち明けると周囲の態度が一変。夫の親族らが離婚を迫り、夫は去った。
 1997年から支援者とともに国に謝罪を求める活動をしたが、国側は「当時は合法」として取り合わなかった。2013年、仙台市内の法律相談会で、後に原告側弁護団の共同代表となる新里宏二弁護士と出会い、18年に提訴。一、二審とも敗訴したが、ようやく救済の道が開かれた。「国が長年、いいかげんなことをしてきたことがはっきりした。きちんと謝罪と補償をしてほしい」
 新里弁護士も「被害者が勇気を持って声を上げたことで最高裁を動かし、社会を変えることができると示した」と飯塚さんらをたたえた。
◆亡くなった方にも、親の墓前にも「勝ちました」と報告したい
 14歳の時、仙台市内の児童福祉施設で手術を強制された北三郎さん(81)=仮名、東京都=は、最高裁正門前で自ら「今までありがとございます」と書いた紙を掲げ、支援者の拍手を受けて笑みを浮かべた。
 
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最高裁判決を受けた記者会見の終了後、「勝訴」などと書かれた紙を掲げる原告ら=3日、東京・永田町の衆院第1議員会館で、坂本亜由理撮影
 
 手術のことは誰にも言えず、約40年連れ添った妻にも13年に死別する直前まで明かせなかった。18年の提訴後は、2万5000人の被害者全員の救済を願い、手作りのウメやアジサイの造花を各地の原告らに届けてきた。
 東京都内で開かれた記者会見では「私一人では(勝訴)できなかった。ここに来られなかった方、亡くなった方にも勝ったことを報告したい。親の墓の前で『勝ちました』と言いたい」と述べた。
◆手術が原因で20年寝たきりに…判決に涙「良かったです」
 会見では、実名で訴訟に臨んでいる原告の鈴木由美さん(68)=神戸市=が「良かったです」と涙ながらに語った。
 脳性まひで、生まれつき手足が不自由。12歳の時、家族に病院に連れられて不妊手術を受けさせられた。手術が原因で約20年間も寝たきりになり、「貴重な青春時代を奪われた」と憤っていた。5月の最高裁の弁論では、他の原告と出廷して被害を訴えた。その声が届いたように、判決は国の責任を認めた。
 「私たちと同じように苦しい方が多くいる。この判決を第一歩に、誰もが当たり前に暮らせる世界を、弁護団と歩んでいきたい」
 

こども相、一部原告に直接謝罪 強制不妊最高裁判決受け(2024年7月4日『東京新聞』)
 
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 旧優生保護法を巡る最高裁判決を受け、原告の北三郎さん(仮名、左から2人目)らと面会し、要求書を受け取る加藤こども政策相(左端)=4日午前、こども家庭庁
 
 障害を理由に不妊手術を強いた旧優生保護法憲法違反とし、国の賠償責任を認めた最高裁判決を受け、加藤鮎子こども政策担当相は4日、こども家庭庁で原告の一部と面会し「多くの方々が心身に多大な苦痛を受けた。政府として真摯に反省し心からおわび申し上げる」と直接謝罪した。
 加藤氏は「違憲、違法との最高裁の判断を重く受け止めている。まずは確定した判決に基づく賠償を速やかに行う」と述べた。原告らは全面解決に向けた基本合意の締結などを求める要求書を手渡した。
 こども庁幹部らとの意見交換で、仙台訴訟の飯塚淳子さん=70代、仮名=は「長い間大変な思いをしてきている。早く解決するようにしてください」。東京訴訟の北三郎さん(81)=仮名=は「やっと昨日、光が訪れてきた。私の折り返し地点だと思う」と話した。
 要求書では(1)首相による直接の謝罪や国会における謝罪決議(2)全被害者に対する補償法の制定(3)再発防止や偏見差別の根絶に向けた施策の実施―などを求めている。