昨年10月、鹿児島県で行われた「国体」の総合開会式=鹿児島市で2023年10月7日、宝満志郎撮影
国を挙げて国民の体力向上を図るという歴史的役割は、果たし終えたのではないだろうか。
開催に伴う巨額の費用や運営のための人手不足は長年の課題となってきた。知事の間からは見直しを求める意見が相次ぐ。負担軽減策として、複数県にまたがる開催や隔年実施の案も挙がっている。
国体は戦後間もない1946年に始まり、「国民の健康増進や体力向上、地方のスポーツ振興や文化の発展」を旗印にしてきた。
47都道府県の持ち回り開催によって、全国各地にスポーツ施設が整備され、地方にも競技組織が張り巡らされた意味は大きい。
しかし、2035年から開催地が3巡目に入るのを前に、大会のあり方を問う声が強まっている。
人口減少で地方自治体の財政が厳しさを増し、公共施設整備などの負担は重くなるばかりだ。
競技の面でも、いびつさを指摘する意見がある。開催地は、都道府県対抗で総合優勝するのが当然との重圧を受け、県外からの有力選手集めに追われる。だが、必ずしも地元スポーツの底上げにつながっているとは限らない。
日本スポ協は全国知事会とも協議し、検討部会を設けて大会の新たな方向性を示す方針だ。
スポーツに対する国民の意識は変化している。行政や学校が主導する従来のスタイルだけでなく、個人が自発的に取り組む活動が広がっている。
今年から大会名が教育的な意味を含む「体育」ではなく、「スポーツ」に変更されたのも、その表れといえる。
持続可能な大会とするには、時代に合った改革が欠かせない。成長に陰りが見え、価値観が多様化する中、巨大イベントを開催する意義を改めて問い直さなければならない。