国スポに「廃止論」(2024年4月17日『産経新聞』-「産経抄」)

定例記者会見で国体に言及する宮城県村井嘉浩知事=8日午前

 次に挙げる言葉の共通点は何でしょう。仮面、助っ人、渡り鳥。以前は「開催地に有利な組み合わせ抽選」という怪しげな慣例もあった。「国体」こと国民体育大会(現国民スポーツ大会)の、スポーツらしからぬ裏の顔である。

▼開催地の自治体や企業に雇用された有力選手は、かりそめの「郷土勢」として国体で活躍し、大会が終われば別の開催地に職場も住民票も移す。そんな裏技が昔は普通に行われてきた。選手は食べていくため、「渡り鳥」に甘んじてきた面もある。

▼国体には「開催地=総合優勝」という謎の伝統が長く続いていた。かつてある県の大会を取材した折、「うちで(伝統を)終わらせるのは恥」と、メンツに縛られた担当者の声を聞いたことがある。開催する以上は「2番じゃだめ」と、その場かぎりの戦力を集めていたわけだ。

▼昭和21年に始まった国体により、持ち回りで開く都道府県では施設や道路の整備が進んだ。「次はうちで」と引く手あまたの時代もあったのだ。それも2巡目が終わりかけ、「役目は終わった」「開催経費が重荷」との声が方々から聞こえてくる。

▼「廃止も一つの考え方」とは、全国知事会長の村井嘉浩宮城県知事である。もともと問題の多いイベントではあった。規模の肥大化や「渡り鳥」のあり方を巡って批判はやまず、この30年余りは「曲がり角」と言われ続けてきた。これ以上の課題の先送りは、理解を得られまい。

▼とはいえ国体への視線には、コロナ禍の頃に聞いた「不要不急」論に重なるものがあり、寂しさを禁じ得ない。東京五輪の開催を機に、あれほど賛美したスポーツへの敬意はどこへ行ったのか。用が済んだら使い捨て―そんな冷たい国民性とは思えないのだが。