水俣病被害者団体の発言遮断 伊藤環境相がきょう8日午後、現地再訪し謝罪へ(2024年5月8日『西日本新聞』)

水俣病犠牲者慰霊式を終え、記者会見する伊藤信太郎環境相=1日、熊本県水俣市(撮影・軸丸雅訓)
 熊本県水俣市で1日に行われた伊藤信太郎環境相水俣病患者・被害者団体との懇談の際、環境省職員が被害者側の発言中にマイクを切って制止した問題で、伊藤氏が8日午後に同市などを再訪し、被害者側に直接謝罪する方向で調整していることが、関係者への取材で分かった。
キャプチャ2
出席者の発言途中でマイクが切られ、紛糾する水俣病患者・被害者団体との懇談。右上は伊藤信太郎環境相=1日午後4時49分、熊本県水俣市(撮影・軸丸雅訓)
 
キャプチャ3
水俣病関係団体懇談の発言途中でマイクが切られ、困惑する出席者=1日午後4時33分、熊本県水俣市(撮影・軸丸雅訓)
 懇談では、水俣病患者連合・松崎重光副会長や水俣病被害市民の会・山下善寛代表の発言中に時間を超過したとして、職員が一方的にマイクの音声を切った。伊藤氏は松崎さんを訪問し、謝罪する意向という。
(古川剛光)
 
水俣病確認68年 救済拡大は国と県の責務(2024年5月1日『西日本新聞』-「社説」)
 
 熊本県不知火海八代海)沿岸の異変はまず、動物に現れた。
 強い毒性を持つ有機水銀に汚染された魚や貝を食べた猫、犬などである。1950年代半ば、敗戦からの復興を目指す日本が高度経済成長期に差しかかる頃だった。
  「みょうなことばい。ネコが海にとびこんで自殺するとばい。このごろは、よくみょうなことがおこるとばい」と人びとは話しました。(略)なにかとんでもない悪いことがおこりそうな予感を、人びとは感じはじめていました。
原田正純著「水俣の赤い海」)
  56年5月1日、同県水俣市の漁村に住む幼い姉妹らが、普通にしゃべれなくなったり、手足が動かなくなったりする原因不明の病になり、保健所に報告された。水俣病の公式確認である。同年末までに患者数は50人を超え、うち17人が死亡していた。
■「二重基準」の解消を
 公式確認から68年を迎えたきょう、犠牲者慰霊式に伊藤信太郎環境相が出席する。「公害の原点」とされる水俣病の歴史において、行政が負わねばならない責任が二つある。肝に銘じ、被害者の全員救済を誓ってもらいたい。
 第一に、原因企業チッソによる汚染廃水の垂れ流しを放置し、被害を拡大させた責任である。
 ビニールなどの原料を製造したチッソ水俣工場は、32年から有機水銀を含む廃水を水俣湾に流していた。公式確認から3年後の59年には熊本大などの調査で、チッソ廃水が主因の疑いが濃厚になったものの、チッソが廃水を止め、国が水俣病チッソ廃水原因の公害病と認定したのは68年だった。
 2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決は、1959年末の時点で直ちに規制権限を行使すべきだったとして国と県の責任を認定した。行政が見て見ぬふりをした背景に、現地の人たちの命よりも、経済を優先するゆがんだ考えがあったのは明らかだろう。
 第二の責任は、国が救済の間口を狭めることに固執し、多くの被害者を切り捨ててきた点だ。そこには救済対象を被害の実態に合わせるのではなく、あくまで予算の枠内に抑え込みたいとの本音が透ける。本末転倒である。
 国などを相手取り、今も1700人超が裁判闘争を続ける根底にあるのは、74年施行の公害健康被害補償法に基づく患者認定の厳しさだ。認定患者は熊本、鹿児島両県で2200人余りに過ぎない。
 最高裁が2004年と13年に幅広い救済趣旨の判決を示しても、国は現行制度にこだわり続ける。行政と司法の「二重基準」の解消が急務である。
 公健法の認定制度とは別に「最終解決」を掲げた水俣病被害者救済法(09年施行)を巡り、昨年秋以降、大阪、熊本、新潟地裁で法の不備を認める判決が相次いだ。
 浮き彫りになったのは、公的救済から漏れた被害者が多数いる可能性の高さだ。国と国会に対し、誰一人取り残さない恒久的な救済制度づくりを改めて求める。
■拒まれた調査の提案
 その第一歩は不知火海沿岸の広域的な健康調査である。救済法に規定されながら未実施のままで、被害の全容把握に不可欠だ。
 04年の最高裁判決の直後、当時の潮谷義子熊本県知事が県との共同調査を国に提案している。ところが、環境省の幹部は「患者の掘り起こしにつながる」などとして拒否したという。言語道断だ。
 木村敬新知事は国に再度働きかけるべきだ。県民の健康を守れなかった県の責任を自覚すれば、他に選択の余地はない。
 チッソ水俣工場が汚染廃水を流し続けた「百間(ひゃっけん)排水口」の樋門(ひもん)にある木製ゲート4基について昨年、水俣市が撤去方針を公表したところ反対の声が上がった。これを受け、県がゲートを複製してコンクリート製の足場とともに現場保存する方向となった。私たちも賛同したい。
 水俣病の歴史と被害の実相を後世に、世界に伝え続けていくことは、日本社会の責務である。
 
 
水俣病68年 被害の全面救済まだ遠い(2024年5月1日『熊本日日新聞』-「社説」)
 
 水俣病被害の救済漏れを見過ごすわけにはいかない。熊本で水俣病の発生が公式に確認されてきょうで68年になる。国や熊本県、原因企業は被害の実態を踏まえ、一刻も早い救済に全力を尽くすべきだ。
 
 水俣病問題の「最終解決」を図るとした2009年施行の水俣病特別措置法を巡り、救済対象から外れた約1700人が国などに賠償を求めた集団訴訟は昨秋以降、一審判決が3件続いた。
 大阪地裁は原告全員を「水俣病に罹患[りかん]している」と認め、熊本と新潟の両地裁は原告の一部を「罹患している」と判示した。このうち新潟訴訟は、熊本の後に新潟県阿賀野川流域で発生した水俣病で被害を受けた人たちによって提起されたものだ。
 行政から患者と認められていない人たちの中にも、被害者がいる-。3地裁いずれの判決も、救済漏れの存在を明らかにした重い判断であり、「最終解決」には程遠い現状を浮き彫りにした。特措法が被害者の居住地域や申請期間などを限定したことが、こうした事態を招いた一因と言える。
 ただ、訴訟の勝敗には大きな違いが生じた。大阪地裁が原告全面勝訴だったのに対し、熊本地裁は全員の請求を棄却した。不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する除斥期間の採否などで判断が分かれたためだ。
 集団訴訟では上級審を含め、今後も裁判所の判断が割れる可能性がある。見解が統一されるには、相当な時間を要するだろう。被害者の多くは高齢者であり、救済されずに亡くなる事態は避けなければならない。国は裁判による決着にこだわるのではなく、早期救済を優先した方策を検討すべきである。
 これまで公害健康被害補償法に基づき行政に水俣病と認定された患者は、熊本、鹿児島、新潟の3県関係で計3千人にとどまっている。認定制度はその狭さが指摘され、膨大な数の未認定被害者を生み出してきた。
 1995年の政府解決策と2009年施行の特措法は、いずれも認定制度と別立てで、被害者の救済を図ろうとした。集団訴訟の原告らは、救済策の線引きから外れたり、申請を締め切られたりして間に合わなかった人たちだ。当時は被害に気付かず、あるいは差別を恐れて名乗り出なかった人たちもいる。
 これら集団訴訟とは別に、行政に患者認定を求める人たちの裁判なども依然として続いている。
 そもそも被害の全容を解明しないまま、全ての被害者を救えるはずはない。特措法は、国に不知火海沿岸住民の健康調査を速やかに実施するよう定めたが、いまだに実施されていない。国の消極的な対応が被害を潜在化させ、解決を遠のかせている。国や県は責任を重く受け止めるべきだ。
 水俣市ではきょう犠牲者慰霊式が開かれる。国と県、企業の関係者は、全ての被害に真摯[しんし]に向き合うことを改めて誓ってほしい。