亡国の「帳尻合わせ政策」 負担・痛みの議論、政治が放棄(2024年3月11日『日本経済新聞』)

政治再考 日本の分かれ目①

【この記事のポイント】
少子化・防衛など負担増の議論を避けるな
・政治の役割は国民を説得して合意を作ること
・与党だけでなく野党・有権者にも責任がある

昭和、平成の時代に繰り返した「政治とカネ」の問題が令和の世で再び起きた。国会は疑惑の追及に時間を費やしながら実態解明に至らないままだ。賃上げや物価上昇という成長機運を政治が後押しできない状況が続けば、日本経済の再興は遠のきかねない。

「月500円弱」という言葉が2月6日、X(旧ツイッター)で飛び交った。少子化対策の財源として2026年度から徴収する「支援金」の1人あたり負担だ。岸田文雄首相が金額を示すや不満が噴き出し、引用数の多さを示す「トレンドワード」に入った。

負担増の説明を避けたのは政治の責任だ。政府内で財源を議論し始めた昨春、官房副長官だった木原誠二氏ら首相周辺は関係省庁に「財源は身を切る改革だ」と迫った。行政の無駄を減らして財源をつくるという理屈にし、負担増には触れるなという意味だった。この時期は衆院解散・総選挙の観測が流れていた。

日本は衆院選から次の解散まで平均2.8年。参院選も足すと1990年以降の選挙は22回で、英国(8回)やドイツ(9回)の倍以上。地方選を含めると「重要選挙」は毎年ある。

負担増の議論は選挙への影響を気にして先送りになりがちだ。防衛力強化の財源にあてる増税の開始時期もいまだ決まらない。

そうしている間に、国と地方を合わせた長期債務残高は足元で1285兆円に膨らんだ。国際基準で見た国内総生産GDP)比は255%と主要7カ国(G7)の中で圧倒的に高い。

財政悪化は政策の幅を狭める。脱炭素とデジタル化を推進するための税制優遇措置は22年度、100億円ほどの想定適用額の半分も使われなかった。菅義偉前政権が肝煎り政策として導入したものの、財政に配慮した厳しい要件で企業が利用に二の足を踏んだ。

成長に必要な政策を打とうにも、政治が財源論に及び腰では実効性を伴わない。霞が関の官僚に財源との「帳尻合わせ政策づくり」を強いるだけだ。

政府・与党だけの責任ではない。1月からの国会論戦で野党は批判に傾斜し、少子化対策で財源を含めた負担増の議論は乏しい。

フランスのマクロン大統領は昨年、財政状況を改善する年金改革を実施した。受給開始を62歳から64歳に上げ、公営企業の優遇も減らした。抗議デモが起き、支持率が落ちても断行したのは日本と対照的に映る。

政治を考える際、投票する有権者にも責任の一端があることは忘れてはならない。イタリアのファッション産業が競争力を持った一因は審美眼を持つ消費者が国内に多かったためとされる。経営に例えれば政党はメーカー、政策は商品、有権者は消費者である。