子育て支援の負担論は逃げずに正面から(2024年2月26日『日本経済新聞』ー「社説」)

 

支援金制度は丁寧な国会審議が必要だ(衆院予算委で質問に答える岸田首相)

 真正面から負担のあり方を議論すべきだろう。岸田文雄政権が育児支援拡充の財源として2026年度の導入を目指す「子ども・子育て支援金」のことである。

 支援金制度は政府がこのほど閣議決定した子ども・子育て支援法改正案に盛り込まれた。通常国会で審議される見通しだ。

 児童手当や妊婦支援給付金などの財源として、医療保険料に上乗せする形で国民から広くお金を集める。総額は26年度の約6000億円から段階的に増やし、28年度に約1兆円にするという。

 育児支援の拡充に財源が必要なのは当然である。政策の理念や必要性、期待する効果などを丁寧に説明し、国民負担への理解を求めるのが筋だ。ところが政府の姿勢は負担の議論に真摯に向き合っているようにみえない。

 首相が繰り返す「実質的な負担は生じない」という主張はその典型だ。「歳出改革と賃上げによって実質的な社会保険負担軽減の効果を生じさせ、その範囲内で(制度を)構築していく」という説明だが、負担額から賃上げ分を除いて「実質負担ゼロ」とする理屈に国民は納得するだろうか。

 確かにマクロでみれば、雇用者報酬が増えると収入に対する社会保険負担の割合は低下する。医療や介護の保険料は完全な報酬比例ではなく、高所得者の負担に上限が設定されているためだ。

 だが実質賃金の低迷に苦しむ国民が求めているのは、少子高齢化で膨らむ負担額の増加を聖域なき改革で抑える施策のはずだ。民間の成果である賃上げを持ち込み、歳出改革の甘さを隠すような姿勢は国民の期待に背いている。

 医療など社会保障の歳出改革に全力で取り組み、育児支援の負担の議論は真摯に進める。支援金制度が国民の理解を得るには、こんな向き合い方が要る。

 そのためにも、まずは負担の詳細な姿を示すべきだ。政府は「28年度の時点で1人あたり月500円弱」と説明しているが、実際には加入する医療保険や所得・報酬の水準によって負担額はかなり異なるはずだ。平均額だけを示されても議論は深まらない。

 支援金は育児を終えた高齢者にも負担を求めるのに、税金ではなく保険料と位置づける点も分かりにくい。日本に必要な制度だと考えているなら、増税批判をかわす「逃げ」の姿勢ではなく、正面から国会審議に臨んでほしい。