<アベノミクスの副作用や低賃金も、ここまで事態が深刻化した背景には長年にわたり日本社会に存在してきた共通の問題点がある>【加谷珪一(経済評論家)】
大阪・関西万博の開催まで1年を切った。現実問題として今からの中止は考えにくいものの、プロジェクト管理が杜撰(ずさん)だったことは明らかだ。開催までに建設が間に合わないケースが出てくるのは確実であり、中途半端なイベントになる可能性が日増しに高まっている。
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万博の準備不足が露呈した昨年以降、国民の一部からは中止や延期を求める声が上がっていた。万博については、対外的な関係もあるので、むやみに中止することが得策とは限らない。だが、開催の是非についての国民的な議論は一切行われないまま、時間だけが経過した。 日本社会には、一度、物事を決めるとそれに固執し、状況が変わっても止められないという特徴がある。
復活の見込みがない国内半導体企業に血税を投じ、20年にわたって失敗を重ねた国策半導体企業への支援策や、過去3度も失敗しながら再びオールジャパンでの取り組みを推進しようとしている国産旅客機の開発計画など、止められない事例は無数にある。
■戦争に突き進んだ歴史は「止められない日本」の象徴
これらは個別のプロジェクトなので、最悪でも投じた資金が回収できないだけで済む。だが国家全体の趨勢(すうせい)がかかった決断において失敗が明らかになった際、撤退の決断ができないことは、時に致命的な影響をもたらす。
経済規模が10倍もあるアメリカと全面戦争を行い、国土の多くを焼失した太平洋戦争の敗北は、まさに止められない日本を象徴する歴史といってよいだろう。
こうした話をすると過去の話だと切り捨てる人も多いが、そうではない。極めて大きなリスクがあることを承知でスタートし、効果が十分に発揮できないと分かってからも撤退の決断ができなかったアベノミクスや、グローバル化とデジタル化が進んだ世界経済の変化を無視し、30年間もかたくなに従来型ビジネスモデルに固執した日本の産業界全体にも同じ傾向が見て取れる。
アベノミクスについては、大規模緩和策に一定の効果があることは学術的に担保されていたものの、構造的に大きな問題を抱える日本においてこの政策を実施した場合、効果が十分に発揮されない可能性があることは何度も指摘されていた。
加えて、大規模緩和策は副作用があまりにも大きく、過剰な国債購入がインフレ圧力となって返ってくることも当初から分かっていたはずである。
■撤退の決断ができない裏にある「事なかれ主義」
緩和策の実施によって円安と株高が発生するなど、一定のインフレ期待は生じたものの、実体経済の回復に寄与していないことは、実施3年目あたりから明確だったといえるだろう。コロナ危機前に撤退を決断していれば、今のような際限のない円安は回避できたかもしれない。
日本の産業界も、1990年代以降、国際競争の枠組みが大きく変化したにもかかわらず、昭和型の手法に固執し、多くの企業が莫大な損失を抱えた。デジタル化の流れが誰の目にも明らかとなった2000年代に経営改革を実施していれば、ここまでの低賃金にはならなかったはずだ。
決断ができないということは、組織として責任の所在がはっきりせず、事なかれ主義が横行していることにほかならない。
規模の大小や分野にかかわらず、似たような現象が何度も観察されるということは、日本社会に共通する弱点といえる。国家の衰退が鮮明になっている今、もう見て見ぬフリはできない。