早稲田大学と元教授に賠償を命じた判決後、記者会見した原告の深沢レナさん=東京・霞が関で2024年2月22日午後5時51分、斎藤文太郎撮影
早稲田大学大学院の教授だった文芸評論家の渡部直己氏から在学中にセクハラを受けたとして、元大学院生の女性(33)が渡部氏と早大に計660万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(増田稔裁判長)は22日、渡部氏と早大に計99万円の支払いを命じた。
2023年4月の1審・東京地裁判決から賠償額を約40万円増額した。
1審判決が違法性を否定した、食べかけの食事を渡部氏が自分の箸で女性とシェアした行為について、2審判決は、立場の弱い女性が食事に乗り気でなかった心情に照らし、「セクハラ及びパワハラに当たる」と認定した。早大の責任については、1審同様に適切な学習環境を提供する義務を怠ったとした。
判決によると、原告の詩人、深沢レナさんは15年9月に渡部氏が教授だった現代文芸コースに合格。17年4月に渡部氏と2人での食事中に「卒業したら俺の女にしてやる」などと言われた。相談した別の教授からも「あなたに隙(すき)があった」と言われ、18年3月に自主退学した。
早大は18年7月、深沢さんからの申告に基づき、渡部氏のセクハラを認めて解任した。【斎藤文太郎】
早大教授のセクハラ「卒業したら俺の女にしてやる」以外も新たに2審で認定…賠償額を増額(2024年2月22日『読売新聞』)
文芸評論家で早稲田大学文学学術院の教授だった渡部 直己なおみ 氏(71)からセクハラなどを受けたとして、教え子だった作家の深沢レナさん(33)が渡部氏と同大に計550万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が22日、東京高裁であった。増田稔裁判長は渡部氏と同大に計55万円の支払いを命じた1審・東京地裁判決を変更し、賠償額を計88万円に増額した。
1審は、渡部氏が「卒業したら俺の女にしてやる」という趣旨の発言をしたことなどが不法行為にあたるとしたが、高裁は、2人きりでの食事を求めるなどした行為もセクハラやパワハラにあたると新たに認定した。相談を受けた別の教授の対応を巡り、同大に別途、支払いを命じていた賠償も5万5000円から11万円に増やした。
判決後に東京・霞が関で記者会見した深沢さんは「ある程度の前進はあったが、(心の)傷が癒えるわけではない。教員が学生に被害を与えることがあってはならない」と訴えた。
わたしたちは被害者にも加害者にも傍観者にもなりたくない(大学のハラスメントを看過しない会)
早稲田大学文学学術院の元教授である文芸批評家が、在学中に教え子の学生であった原告A/深沢レナさんに対しセクシュアル・ハラスメントをはたらいたこと、それを口止めしようとした教員たちがいたこと、関係者の裁判が現在係争中であることなど、これら一連の事件について事実究明を行い、キャンパスハラスメントというものを構造的に見直すことで、大学とは本来どのような場であるべきかを考えていきます。
わたしたちが求めること
・ハラスメントを繰り返した教員、それを容認した関係者らは、その行動の本質を自省すること。自らがやったことについて理解した上で、すべての被害者に誠意を持って謝罪すること。今後はハラスメント加害を行わない、容認しないと誓うこと。それができなければ二度と教育に携わらないこと。
・教員は不当な理由での休講や遅刻、学校を通さない休講連絡を行わないこと。なされなかった分の授業料は学生たちに返還すること。
・大学は不透明な調査体制を改善し、具体的な改善案をもとに、然るべき監督責任を果たすこと。教職員に対する研修強化や、被害者の窓口となる相談方法の見直しなどについて、具体的な改善案を提示すること。
・大学とはどのような場であったか、どのような場を理想とするのかについて、当事者・関係者が根本的な改革を視野に入れ、もう一度深く考え直すこと。
大学のハラスメントを看過しない会
声明文
早稲田大学文学学術院の(元)教授であり文芸批評家である渡部直己氏が教え子の学生に対しセクシュアル・ハラスメントをはたらいたこと、さらにその事実を口止めした教員たちがいたことが、プレジデントオンラインで報道されたのは2018年6月20日。その後、さまざまなメディアが後を追って報道したにもかかわらず、大学は事実関係を隠蔽するかのような対応を続け、渡部氏への処分は退職金付きの解任、そのほかの教員たちについては訓戒にとどまり、被害者学生が申入をしても十分検討がなされないうちに回答がなされ、調査は一方的に打ち切られました。その後も加害者や大学側から納得いくような謝罪や補償はなく、そのため現在は被害者学生が原告となり裁判が係争中です。
未だ日本では単なるスキャンダルのような扱いから抜け切れていませんが、ハラスメントは人格権の侵害です。ハラスメントが大学という場で生じれば、勉学・研究の権利の保障が阻害され、人間の自由な精神活動が否定されることになります。現在、大学でもっとも多いハラスメントは主に教員から学生に対するものですが、それは絶対的な地位の違いを悪用して行われるものであり、これを横行させることは勉学・研究の場としての大学の本来のあり方を破壊することとなります。被害を受けた学生は場合によっては専門分野を変えざるを得なくなります。かけがえのない人生の進路が狂わされてしまうのです。大学におけるハラスメントとは、このような「取り返せなさ」を含んだ深刻なものです。(角田由紀子『性と法律』より)
わたしたちは自分自身の被害を訴え、当事者をサポートしていくなかで、他のハラスメント被害者の方々からの声を聞く機会を持ちました。被害者の多くは、ハラスメントを受けてもどうしたらいいかわからないまま長い間我慢していたり、誰に相談していいのかわからず一人で抱え込んでしまったり、逆に人に話したことでトラブルメーカー扱いされて組織の中で孤立してしまったり、やっとのことで窓口に相談しにいっても何ら手を打ってもらえないまま一方的に終わったことにされたりしています。学校にきちんと対応してもらえなければ裁判に進む被害者もいますが、加害者と比べて被害者は経済的に余裕のない立場であることがほとんどで、弁護団を組むことも難しく、一人の力で情報を収集するのにも限界があります。個人が組織と戦い続けるにはとてつもない労力が必要で、たとえ声を上げたとしても当事者はその過程で疲弊していきます。
そのため、ハラスメントの温床となっている大学の現状を改善したいと思いつつ、声を上げることを躊躇していたり、声を上げたものの行き詰まりを感じていたりするような方々の力になればと、このページから情報を発信していくことにしました。わたしたちはカウンセラーでもなく専門家でもありません。相談を受けても適切な回答をすることも精神的に寄り添うこともできないかもしれませんが、わたしたちが経験したことやその中で得た知識などをインターネット上で公開することで、被害者の方々がご自身で声を上げるための手助けができればと考えています。
また、わたしたちは、関係者たちの話を聞いていくうちに、自分たちに被害を及ぼした教員には以前から被害者がいたという事実を知ることとなりました。どうしてハラスメント行為を繰り返す教員がいるのかということはもちろん考えなくてはなりませんし、そもそもどうしてそのような問題のある教員が長年にわたって教壇に立ち続けられているのかということも同時に考える必要があると感じています。
ハラスメントが明るみに出るたびに、単なる不祥事として問題教員だけが処分され、形式的に後始末されて、ネットやSNSで一瞬話題となったとしてもあっというまに風化します。起こったことから学ばないままでは本質的なことは何も解決せず、加害者側と被害者側との対立構造は維持されて理解も心理的な歩み寄りも望めないだけでなく、新たな被害が生まれ続けてしまいます。
本当に必要なことは、ハラスメントがどのようにして起こったのか、原因は何かを一つ一つ検証し、ねばり強く理性的に考えていくことではないか。どのようにしてわたしたちの身にハラスメントという人為的災厄が降りかかったのか、事実関係を洗い出して明らかにし、構造的に見直すことによって、再発防止に役立てる必要があるのではないか。わたしたちにはハラスメントの当事者・関係者として、自分たちの体験を通じて学んだことを、今一度、世間に向かって発信する義務があると考えます。
すべてのハラスメントは、関係性の非対称から生じます。権力関係に無自覚であることが根源にあり、その人に悪意があったかどうかは関係ありません。時と場所が変われば、わたしたち自身の中にも、加害者になってしまう、何かに加担してしまう可能性はあります。
わたしたちは、互いの無知を責め合うのではなく、誰のなかにも無知と加害の可能性があるという事実を素直に認め、犯してしまった過ちについては謝罪をしてできる限りの償いをし、これから被害が生じないようわたしたち自身と社会の認識とを刷新していくことが重要だと考えています。
わたしたちが求めること
• ハラスメントを繰り返した教員、それを容認した関係者らは、その行動の本質を自省すること。自らがやったことについて理解した上で、すべての被害者に誠意を持って謝罪すること。今後はハラスメント加害を行わない、容認しないと誓うこと。それができなければ二度と教育に携わらないこと。
• 教員は不当な理由での休講や遅刻、学校を通さない休講連絡を行わないこと。なされなかった分の授業料は学生たちに返還すること。
• 大学は不透明な調査体制を改善し、具体的な改善案をもとに、然るべき監督責任を果たすこと。教職員に対する研修強化や、被害者の窓口となる相談方法の見直しなどについて、具体的な改善案を提示すること。
• 大学とはどのような場であったか、どのような場を理想とするのかについて、当事者・関係者が根本的な改革を視野に入れ、もう一度深く考え直すこと。
関係性の非対称に基づく「暴力」は、大学に限ったことではなく、社会の様々な場で生じている問題です。わたしたちはこのページからわたしたちの言葉を発信することで、一つ一つの被害を風化させることなく、身近で生じている「暴力」に気づき、考えるきっかけにできたらと思っています。
泣き寝入りはもうたくさん。ともに声をあげましょう。
2020.11.9
Don’t overlook harassment at university
大学のハラスメントを看過しない会