再審の重い扉 制度改正待ったなしだ(2024年2月15日『北海道新聞』-「社説」)

 三重県名張市で1961年に女性5人が死亡した名張毒ぶどう酒事件の第10次再審請求審で、最高裁が先月、殺人罪などで死刑が確定した故・奥西勝元死刑囚の妹による特別抗告を棄却した。
 奥西元死刑囚は無実を訴え、一審は無罪判決だった。逆転で死刑が確定した後の第7次請求で再審開始が一度決まった経緯もある。
 冤罪(えんざい)の疑いのある事件で、最高裁の裁判官5人のうち1人が再審を開始すべきだとの反対意見を述べた。この事件での反対意見は最高裁で初めてだ。確定判決の疑義はより深まったと言える。
 「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則が十分に考慮されたのか疑問が残る。
 66年の一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巌さん(87)の再審も、始まるまで長い歳月が費やされた。被告たちの人生の重みに比べ、現行の再審制度のハードルは高すぎると言わざるを得ない。
 万が一、無実の人に死刑が執行されれば取り返しがつかない。制度改正は待ったなしだ。
 名張の事件の被害者は懇親会でぶどう酒を飲んで死亡した。確定判決は、元死刑囚以外に酒に毒物を入れる機会はなかったとした。
 今回の再審請求審で、弁護側は瓶のふたを封じる紙ののりに製造段階と違う成分が検出されたとの鑑定結果を提出し、別人が毒物を入れた証拠だと主張した。
 だが最高裁は、鑑定に科学的根拠を認めなかった2022年の名古屋高裁決定を支持した。
 ただ高裁は鑑定した専門家の証人尋問を行っておらず、最高裁の判断は安易な追認に映る。
 一方、行政法学者出身の宇賀克也裁判官は反対意見で鑑定の価値を認め、捜査段階での自白についても取り調べが長時間だったことから「信用性に多大な疑問が生じている」と指摘した。
 新旧の証拠を広く踏まえており、丁寧な判断と言えるだろう。
 80年代には再審による死刑囚の無罪判決が続いたが、揺り戻しを経た今、再審の扉は極めて重い。
 刑事訴訟法に再審の規定が不十分で、検察に証拠を開示させる仕組みがなく、再審開始決定に異議申し立てもできるのが大きい。
 日弁連はこれらの抜本改革を求めているが、小泉龍司法相は「直ちに手当てが必要な不備があるとは認識していない」と消極的だ。
 しかし冤罪(えんざい)は国家による究極の人権侵害である。国会は無辜(むこ)の人の救済という原点に立ち返り、制度改正を急がねばならない。
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事件の概要

1961年3月28日夜、三重県名張市葛尾の公民館で、地元の生活改善クラブ「三奈の会」の懇親会が行われました。この時、女性会員用に用意されていたぶどう酒の中に農薬が混入されており、乾杯と同時にそれを飲んだ女性会員のうち5人が死亡、12人が傷害を負うという事件が発生しました。

 

この死亡した5人の女性の中に奥西勝氏の妻および愛人が含まれていたことから、奥西氏に殺人罪、殺人未遂罪の嫌疑をかけられました。奥西氏は当初否認していましたが、捜査機関の厳しい取調べにより自白に追い込まれ、その後、否認、自白と変転し、捜査の最終段階で再び否認し、以後一貫して無実を訴えています。

 

事件の経緯

第一審の津地裁は、①奥西氏以外の者にも犯行機会がある、②ぶどう酒の王冠上の傷痕は奥西氏の歯牙によって印象されたか不明である、③奥西氏の捜査段階の自白は信用できない、として、1964年12月23日に無罪判決を言い渡しました。

 

これに対して、検察官が控訴し、控訴審名古屋高裁は、1969年9月10日、第一審判決を破棄し、一転して死刑判決を宣告しました。そして、1972年6月15日、最高裁によって上告も棄却され、控訴審の死刑判決が確定しました。

 

その後、奥西氏は再審請求を行い、第5次再審請求から日弁連が支援しています。

 

えん罪の疑いが強いこと

多数の事件関係者は、事件発生当初、奥西氏以外の者の犯行機会を否定していませんでしたが、相当な日時を経過した後に、検察官が一斉に供述を変更させています。しかも、証拠として提出されていない供述調書が多数存在していますが、その多くは、未だに開示されていません。

 

また、弁護団が提出した新証拠により、証拠物の発見場所等から犯行場所を特定することはできず、奥西氏以外の者の犯行機会は否定できなくなりました。

 

ぶどう酒の王冠上の傷痕について、控訴審で検察官から提出された鑑定は、奥西氏の歯牙によって印象されたものと断定し、死刑判決の大きな根拠となりました。しかし、弁護団が提出した新証拠により、この鑑定は、写真の倍率を操作した虚偽鑑定、不正鑑定であることが明らかとなりました。

 

奥西氏が所持していた農薬はN社製「ニッカリンT」でしたが、弁護団の提出した新証拠により、本件で使用された農薬は「ニッカリンT」ではなく、S社製「Sテップ」であるという可能性が非常に高くなりました。

 

また、本件のぶどう酒は白ぶどう酒ですが、弁護団が提出した新証拠により、「ニッカリンT」は赤色であり、これを混入するとぶどう酒が赤色に変色してしまうことも明らかになりました。

 

さらに、弁護団が提出した新証拠により、ぶどう酒瓶に巻かれていた封緘紙に製造過程で使用されているCMC糊だけでなく家庭用に使われているPVA糊の成分も付着していることが明らかになりました。この新証拠は自白を弾劾すると共に第三者の犯行可能性を高めるものです。

 

奥西氏の捜査段階の自白についても、秘密の暴露がない、客観的事実と矛盾する、変遷が著しい、内容が不自然・不合理である等と極めて問題が多いものです。「三角関係の清算」という動機についても疑問視されています。

 

現在の状況

2005年4月5日、第7次再審請求において、名古屋高裁(刑事1部)は、奥西氏の主張を認め、再審開始と死刑執行停止を決定しました。しかし、これに対して検察官が異議申立てを行い、2006年12月26日、名古屋高裁(刑事2部)は、再審開始と死刑執行停止を取り消しました。

 

2010年4月5日、最高裁は再審開始決定を取り消した異議審決定を更に取り消し、名古屋高裁に差し戻しました。

 

しかし、2012年5月25日、名古屋高裁(刑事2部)は再審開始決定を取り消し、2013年10月16日、最高裁もこれを追認しました。

 

2013年11月5日、弁護団は第8次再審請求申立てを行いましたが、2014年5月28日、名古屋高裁(刑事1部)は請求を棄却し、2015年1月9日、名古屋高裁(刑事2部)は異議申立てを棄却し、特別抗告を申し立てましたが、奥西氏の体調が思わしくないため、同年5月15日、弁護団は特別抗告を取り下げ、直ちに第9次再審請求を申し立てました。しかし、同年10月4日、奥西氏が死亡し、同月15日に訴訟手続の終了決定がなされました。

 

2015年11月6日、弁護団は、奥西氏の妹の岡美代子氏を請求人として、第10次再審請求(死後再審)を申し立てました。

 

しかし、2017年12月8日、名古屋高裁(刑事1部)は請求を棄却し、2022年3月3日、名古屋高裁(刑事2部)は異議申立てを棄却しました。その後、弁護団から直ちに最高裁に対して特別抗告申立てがなされましたが、2024年1月29日、申立ては棄却されました。(2024年2月1日現在)