熊本地震に関する社説・コラム(2024年4月14日)


熊本地震の教訓(2024年4月14日『中国新聞』-「天風録」)

 

 雄大な外輪山の一角が大きく崩れた跡が生々しい。阿蘇の景観に溶け込むような、熊本地震震災ミュージアムを訪ねた。昨年開館し、約千人が在籍した旧東海大阿蘇キャンパス一帯の地下に眠っていた活断層の脅威を伝える

▲きょう最初の揺れから8年。復興が進み、落ち着いて爪痕を学ぶ時期になったのだろう。崩落した阿蘇大橋の鉄骨や土砂でつぶれた車。そして地震をもたらした「布田川断層帯」の剝ぎ取り標本の前でくぎ付けになる

▲以前から熊本で知られた活断層。ただ、この地震で地表に出現するまで、阿蘇に延びていると誰も知らなかった。地層を調査した結果、過去1万年の間に繰り返し、ずれていたらしい

▲網の目のように列島に分布する活断層はいつ、どう動くか予測が難しい。大地震のたびに備えが足りないと専門家は説くが、前に進まない。そうした中で調査が遅れていた海底のそれが動いたのが能登半島地震である

▲割れたガラスを踏んでけが。水や食料を手に入れるのが大変。近所とのつながりが希薄…。ミュージアム熊本地震の生の声を引いて「自分事化」の意味を説く。一人一人の備えで震災は軽減できるという重い教訓にうなずいた。

 

熊本地震8年 復興と備え 再確認したい(2024年4月14日『熊本日日新聞』-「社説」)

 熊本地震の発生から8年を迎えた。この1年間は復旧の総仕上げだったといえよう。南阿蘇鉄道が全線で運行を再開、阿蘇神社(阿蘇市)は国重要文化財の楼門を再建した。被災当時を顧みると、よくここまで来たと実感する。県民が復興への願いを一つに、着実な歩みを進めた成果である。

 県は今月、住まいの再建、道路や鉄道などのインフラ復旧に一定のめどがついたとして、復旧・復興本部会議を終えた。あす退任する蒲島郁夫知事は「創造的復興」を理念に掲げ、生活基盤を底上げする「元通り以上の復旧」を目に見える形で示した。被害の大きかった阿蘇地域は国道57号北側復旧道路が開通し、益城町では県道4車線化と区画整理が進んでいる。

 今後は持続的な発展につなげる段階に移り、後任の木村敬新知事が重責を担う。地震に強い地域づくりをベースに、なりわいの軸となる農林業、商工業、観光業をもり立て、企業立地などの取り組みを求めたい。子育て世代や高齢者世帯を手厚く支え、誰もが暮らしやすい環境を目指してほしい。

 蒲島知事のもう一つの目標「誰一人取り残さない復興」は、まさに正念場だ。地震前の住まい、暮らしを再建できず、孤立や苦労を強いられる住民をどう支えるか。高齢化と人口減が相まって、地域や住民間の「復興格差」は広がりかねない。県や市町村が長期的な目配りに努めるとともに、地域社会の見守りも重要になろう。

 県民にとって、被災体験は忘れることのできない記憶だ。最大震度7の揺れに2度襲われ、関連死を含む273人が亡くなった。地震の怖さを語り継ぎ、備えの大切さを再確認したい。今年は元日に能登半島地震が発生し、8年前を思い出した人も多かったはずだ。

 熊本地震を経験した自治体職員らが能登半島へ駆けつけた。現地の避難所運営、被災者支援にノウハウを生かした。引き続き関連死を防ぐ手だてなどが必要となるだけに、熊本の教訓をしっかりと役立ててもらいたい。

 一方、能登半島地震は住宅耐震化の遅れ、断水の長期化、道路の寸断による支援の遅れなど、多くの課題を浮き彫りにした。

 熊本の現状をみれば、宇土半島から天草上島、下島にかけてのエリアは能登半島に近いリスクを抱える。天草五橋などが壊れて渡れない事態に備え、海や空のルートによる救命、支援態勢を整えておくべきだ。自宅の耐震化、避難経路の確認といった足元の取り組みも怠ってはならない。

 震度7レベルの地震もどこで発生するのか予測できず、突然襲ってくる。都市部か地方か、津波の恐れがある沿岸部か、近くに原発があるか、木造家屋が多いか、道路事情はどうか-。それぞれの地域で想定しうる被害ごとに、細やかな対策を急ぎたい。

 発生確率が高いとされる南海トラフ地震、首都直下地震への警戒に加え、今年3月以降に宮崎県などで震度5弱が相次いで観測されている。熊本も油断はできない。

 

寄り添う復興(2024年4月14日『熊本日日新聞』-「新生面」)

 蒲島郁夫知事の4期16年の折り返しは熊本地震の発生と完全に重なる。本震の2日後、40年来の盟友で熊本県立大理事長に招いていた故五百旗頭真氏に協力を要請。氏を座長とする有識者会議は、それからひと月もたたないうちに、「創造的復興」を理念とする緊急提言をまとめた

▼「目の前の災害対応が先では」と問う記者に、知事は「熊本復興の道しるべが早く必要だ」と返したと先日の本紙にあった。道しるべとなる提言が第一に挙げたのは「住民に寄り添い、住民との協働による復興」だった

阪神大震災で被災し東日本大震災の復興構想会議議長も務めた五百旗頭氏は、著書『大災害の時代』(岩波現代文庫)に記す。「この列島に災害から無事の地はない。どこでもだれもが被災しうる。明日はわが身である。被災者を代わる代わる支え合う共同体である以外に、この列島の住民に救いはない」

能登半島では今、熊本地震を経験した若者たちが被災者に寄り添う支援を続けている。8年前に県外の人々に支えられた「恩返しをしたい」と言う彼らの姿が、「救い」そのもの

▼15日に退任する蒲島知事はきょう、主催者として最後の追悼式に臨む。先月急逝した盟友に「寄り添う復興」の現在地をどう報告するのだろうか

▼追悼式は今回から県庁敷地内の熊本地震祈念碑前に会場を移しコロナ禍でやめていた一般参列者の献花を再開する。奪われた命に花を手向け、それぞれのペースで復興へ歩む人に思いを寄せたい。足を運べずとも心の中で。

 

熊本地震能登 被災者支援は平時に備えを(20西日本新聞24年4月14日『』-「社説」) 

 

 自然災害が多発する国だからこそ、過去に学ぶべき教訓は多い。国民全体で共有し、伝承していく必要がある。

 2016年の熊本地震の前震から、きょうで8年を迎えた。

■「どこかで見た光景」

 今年の元日に発生した能登半島地震で、熊本地震以来となる200人以上が亡くなった。

 被災地では「8年前の恩返し」との思いを込めて、熊本の行政職員や教員、支援団体、個人のボランティアらが継続的に支援を行っている。熊本での経験を、ぜひとも生かしてもらいたい。

 熊本市を拠点に地域づくりや被災者支援に取り組むNPO法人バルビーの代表理事、中村聖悟さん(50)は1月5日に石川県庁に駆け付け、翌日から輪島市志賀町などで活動を始めた。

 既に9回現地に入り、延べ約40人が生活物資や資機材の提供、自治体や社会福祉協議会などへの助言に当たっている。

 他の被災地で陥りがちだった支援の偏りがないように、支援者が少ない能登半島の西側を中心に活動を展開している。

 熊本地震では、被災した自宅に残った高齢者や障害者が支援から漏れていた。その反省から避難所以外も巡回し、ビニールハウスで寝泊まりしている人たちや車中泊の人にポータブル電源や食料、飲料などを届けている。

 大切なのは「支援の押し売り」にならないことだと言う。避難所に同じ物資が過剰に届いたり、その時点で不要な物が届いたりすれば、迷惑になることもある。「今後も現地のニーズに耳を傾けて支援をしていきたい」と中村さんは話す。重要な視点だろう。

 能登の被災者支援は、過去の教訓が生かされていない面が多い。

 輪島市の避難所は発生から1カ月以上も間仕切りがない状態が続き、プライバシーが守られなかった。今月3日の台湾東部沖地震では、発生翌日には花蓮市の避難所に間仕切りがあったという。被災者の人権に対する意識の差を浮き彫りにした。

 東日本大震災熊本地震で指摘されたトイレ不足の問題もまた、顕在化している。

 被災者支援に詳しく、今回も能登の被災地に入った大阪公立大の菅野拓准教授は、避難所の衛生環境の悪さなどは「どこかで見た光景」と指摘する。日本社会は災害のたびに、平時の準備不足と「闘っている」と話す。

 熊本地震は最大震度7を2回も記録する観測史上類を見ない震災だった。九州には多数の活断層があり、同じような大規模地震が起きる可能性は消えない。南海トラフ巨大地震も、いつ起きても不思議ではない。

 災害時に被災者が使う携帯・簡易トイレ、食料、飲料などの物資は備蓄できているか。避難所運営や被災者支援のノウハウは共有されているか。次の災害を想定して社会が克服すべき課題は多い。平時に備えを急ぎたい。

■生活再建描けぬ人も

 熊本県は5日、熊本地震の創造的復興に一定のめどがついたと判断し、復旧・復興本部会議の終了を決めた。とはいえ、全ての被災者が生活再建の道筋を描けているわけではない。

 被害が甚大だった益城町中心部の復興土地区画整理事業は3月末段階で、全地権者308人のうち15人が仮換地案に同意していないという。背景には行政不信もあるとみられる。関係者は理解を得る努力を続けてほしい。

 地元でも支援活動に取り組むバルビーの中村さんは、熊本地震が原因で「困窮世帯や孤立した人たちがまだまだいる」と訴える。

 先月死去した政治学者の五百旗頭真(いおきべまこと)さんが座長を務めた県の復旧・復興有識者会議は、震災2カ月後にまとめた提言で「災害によって悲惨のどん底に落ちた地方の人々が立派に再生することは、その地方にとって救いであるだけでなく、日本全体の活力と発展に不可欠である」とうたった。

 熊本、能登で実現できるよう、九州全体で支え続けたい。