能登半島地震2カ月 地元とのつながり維持を(2024年3月2日『山形新聞』―「社説」/『茨城新聞・山陰中央新報』-「論説」)
能登半島地震の発生から2カ月がたった。今も1万人以上が避難生活を送る一方、仮設住宅の入居も始まった。避難や住まいの形態が多様化し、複雑になってきた。被災者が移動を重ねても支援を継続し、地元とのつながりを維持できるような方向性が求められる。
石川県によれば、被災した市町に2月29日時点で約220カ所の避難所(1次避難所)があり、約5800人が暮らす。プレハブ型仮設に入った人もいれば、被害を受けた自宅に住み続ける「在宅被災者」もいる。
被災地の外に出た人も多い。孤立集落の住民らを受け入れたホテル・旅館などの「2次避難所」、2次避難所に移るまでの一時的な「1・5次避難所」に計約4900人が身を寄せる。
民間住宅を行政が借り上げる「みなし仮設」は約2千戸が契約済みだが、2次避難所同様、被災地から離れており、支援が届きにくい。
石川県はそれぞれの被災状況や避難先、配慮が必要な持病などをそろえたデータベースを整備する。きめ細かい支援ができるかどうかは、この土台づくりが重要になる。
能登半島北部は住民の助け合いが強い地域だった。分散した住民の孤独やコミュニティーの分断が危惧される。地元とのつながりを保てるよう、復旧状況などの情報提供が欠かせない。
真冬だった発生直後ほどではないが、厳しい寒さが続く。長い避難生活の疲労やストレスで体調を崩して亡くなる「災害関連死」の対策も引き続き求められる。
2011年の東日本大震災や16年の熊本地震では、関連死の約8割が3カ月以内に発生した。関連死は避難所だけでなく、自宅でも生じる。ただ、能登半島地震でも在宅被災者の把握は容易ではない。自治体によって全戸訪問で確認しているかどうかは分かれる。対応強化が必要だ。
宿泊施設が多い2次避難所で暮らす人の間で不安が高まっている。北陸新幹線の金沢-敦賀間開業が3月16日に迫り、観光客を受け入れる施設にいつまで滞在できるのかと戸惑いを見せる。
移動先の候補として仮設住宅などが示されたが、土地の制約上、用意できる戸数を希望件数が大幅に上回っている。東日本大震災で宮城県女川町にできた3階建て仮設も参考に、戸数増加に努めてほしい。地元に近い場所を提供することが人口流出防止にもなる。
注目したいのが、市街地や集落の空き地に長屋型や一戸建ての木造仮設住宅を建てる石川県の構想だ。プレハブ型より工期はかかるが、将来撤去する必要がない。原則2年の入居期間終了後は公営住宅への転用や払い下げもできる。古里に戻りたい、でも自宅の再建は資金的に難しい-。そんな高齢者の希望に沿える可能性がある。
元の土地に近いことで片付けや農作業などが進む。住み慣れた環境に戻ることが、心身に良い影響をもたらす。戻れるという道筋を示すことで、高齢者らの不安を払拭していきたい。
04年の新潟県中越地震で全村避難した旧山古志村は、避難所も仮設住宅も集落ごとにまとまり、復興に向けた話し合いが進んだ。能登半島地震はまだ、復興の担い手である住民が広域に分散したままだ。地域の将来を話し合う場を意識してつくる必要がある。
能登地震と地場産業 伝統と誇り守る支援策を(2024年3月2日『毎日新聞』-「社説」)
各地の風土に根差した地場産業は、住民の生活を支え、地元への誇りと愛着を育んできた。災害からの復興でも鍵を握る。
能登半島地震の発生から2カ月が過ぎた。政府は石川県だけで被害額が9000億円から1兆3000億円に上ると試算している。
伝統の漆器も販売していた朝市の焼け跡を見て涙をぬぐう輪島塗職人=石川県輪島市河井町で2024年1月22日、栗栖由喜撮影
2020年度の県内総生産は約4兆5000億円であり、被害の大きさがうかがわれる。
損壊したインフラや建物は能登に集中している。
代表的工芸品の輪島塗の状況も深刻だ。120以上の工程を職人が担う高度な分業制で知られ、働き手は約1000人に及ぶ輪島市の基幹産業だ。
朝市の大火などで多数の工房や店舗が失われ、職人の多くが避難先で暮らす。地元の漆器商工業協同組合は、「生きるのに必死で、大切な技術が消えてしまう」と危機感を訴える声明を出した。
国は、全額を負担して仮設工房を4月中に開設する。伝統的工芸品産業の振興に関する法律に基づき、生産再開や原材料確保の経費として、1事業者あたり最大1000万円補助することを決めた。
申請には通常、被災状況を示す公的書面や写真が必要だが、被災者が作業場などの確認のために一時帰還するのは容易ではない。国は、実情を踏まえて柔軟な対応に努めてほしい。
対象になるのは、能登では輪島塗と七尾仏壇だけだが、他にも伝統産業は数多くある。平安末期からの歴史を持つ珠洲焼のほか、ろうそくや七輪などだ。
国の対象になっていない産品は県が支援する。生産者の意欲を高めるような内容にすべきだ。
従事者の多い農林水産業の復興も欠かせない。農地や漁港、林道などの被害は、県のまとめで推計約2000億円に達している。
関係者の努力でブランド化されてきた寒ブリや能登牛などの生産を守っていく必要がある。
「杜氏(とうじ)」の4大出身地の一つとされる地域だが、事業再開が見通せない酒蔵も少なくない。伝統的製法で知られる揚げ浜式塩田は、地盤隆起の被害を受けた。
独自の産業は住民にとってかけがえのない文化でもある。その再興を進めることが、地域の活力を取り戻すことにつながるはずだ。
能登半島地震の発生から2カ月がたった。被災地はまだ断水が続いている地域が多く、復旧には時間を要している。長引く避難生活では先が見通せるようになることが大切であり、産業の復興や生活の自立を後押しする支援にも力を入れていきたい。
石川県ではなお1万1千人余りが被災地の避難所や遠隔地の2次避難所で暮らす。体調管理が難しい季節にもかかわらず、1月22日を最後に災害関連死が報告されていないのは幸いだ。官民の支援とともに、コミュニティーで支え合う力のたまものだろう。
被災地では中小企業や農林水産業の事業再開に向けた相談会が始まった。被災した事業者の支援策は東日本大震災以降、大幅に拡充された。仮店舗の建設や設備の共同購入などにも助成され、制度はほぼそろっている。
問題は事業者の意欲だ。被災地は「人が戻らないから店を開けない」「店がないから人が戻らない」というジレンマに陥る。福島の原発被災地では店舗や医療機関などの再開を先行させることで住民の帰還を促した。なりわいのないところに人は戻らない。
事業者が再開を決断するには伴走者の役割が重要になる。福島では官民の専門家チームが事業者を繰り返し訪問、対話を重ねて、これならやっていけると納得するまで寄り添った。このノウハウは中小企業庁が引き継いでおり、能登でも生かしてほしい。
こうした復旧・復興の動きが広がれば、有償の作業も増えてこよう。ただ災害による休業で失業給付を受けている被災者は、一定額以上の報酬をもらうと、失業給付が減額、停止されてしまう。
生活の自立に向け働く機会を得ることは避難生活に希望を生み、体調を維持するうえでも重要だ。失業給付を受けたいがために、こうした機会を逸しているとしたら制度の趣旨にそぐわないのではないか。改善の余地があろう。
仮設住宅は時間がかかる。2次避難先となっている石川県の宿泊施設には、3月の北陸新幹線延伸に合わせた北陸応援割の実施後も被災者を受け入れるところもある。協力の広がりに期待したい。
がれきの片付けなどはボランティアの力が大切だ。現状は奥能登との往復に時間がかかり、活動量は過去の震災より大幅に少ない。被災地に寝泊まりできる拠点を拡充し、活動時間を増やしたい。
復興のバロメーター(2024年3月2日『中国新聞』-「天風録」)
本紙「広場」と同様、新聞の読者投稿欄には名前がある。河北新報なら「声の交差点」、新潟日報は「窓」、西日本新聞「こだま」…。底流に通じる思いがある。市井の人々の肉声は、紙面の風通しをよくするということだ
▲能登半島地震に襲われた石川県の地元紙、北國(ほっこく)新聞の投稿欄は「地鳴り」。胸震わせた読者の体験をすくい取りたい、との願いも込めているのだろう。この2カ月間は、紙面全体で復興への胎動にも耳を澄ませている
▲投稿欄が伝言板になったとの記事があった。2次避難先の富山からの投稿が載り、離れ離れになった知人と連絡がついたらしい。「一人じゃない」と思えることは、一歩を踏み出す力となるに違いない
▲「新聞が読みたい」。孤立集落から何時間もかけ、支局を訪ねてきた人もいるという。記者にしても、避難所で配った紙面をむさぼり読む人々を間近にした。地元紙の務めに駆り立ててくれる「地鳴り」となったはず
▲もう2カ月か、まだ2カ月なのか。復旧のペースでは地域差も目立つ。被災者の喜怒哀楽が入り交じる投稿欄は、復興のバロメーターでもあるのだろう。それは、旅で支援する時期を占うバロメーターでもある。
能登半島地震2カ月(2024年3月2日『宮崎日日新聞』-「社説」)
◆つながり維持へ対応強化を◆
能登半島地震の発生から2カ月がたった。今も1万人以上が避難生活を送る一方で、仮設住宅の入居も始まった。避難や住まいの形態が多様化し、複雑になってきた。被災者が移動を重ねても支援を継続し、地元とのつながりを維持できるような方向性が求められる。
石川県によれば、被災した市町に2月末時点で約220カ所の避難所(1次避難所)があり、約5900人が暮らす。プレハブ型仮設に入った人もいれば、被害を受けた自宅に住み続ける「在宅被災者」もいる。
被災地の外に出た人も多い。孤立集落の住民らを受け入れたホテル・旅館などの「2次避難所」、2次避難所に移るまでの一時的な「1・5次避難所」に計約4900人が身を寄せる。
民間住宅を行政が借り上げる「みなし仮設」は約2千戸が契約済みだが、2次避難所同様、被災地から離れており、支援が届きにくい。
石川県はそれぞれの被災状況や避難先、配慮が必要な持病などをそろえたデータベースを整備する。きめ細かい支援ができるかどうかは、この土台づくりが重要になる。長い避難生活の疲労やストレスで体調を崩して亡くなる「災害関連死」の対策も引き続き求められる。
2011年の東日本大震災や16年の熊本地震では、関連死の約8割が3カ月以内に発生した。関連死は避難所だけでなく、自宅でも生じる。ただ、能登半島地震でも在宅被災者の把握は容易ではない。自治体によって全戸訪問で確認しているかどうかは分かれる。対応強化が必要だ。
移動先の候補として仮設住宅などが示されたが、土地の制約上、用意できる戸数を希望件数が大幅に上回っている。戸数増加に努めてほしい。地元に近い場所を提供することが人口流出防止にもなる。
注目したいのが、集落の空き地に長屋型や一戸建ての木造仮設住宅を建てる石川県の構想だ。工期はかかるが、将来撤去する必要がない。原則2年の入居期間終了後は、公営住宅への転用や払い下げもできる。古里に戻りたいが、自宅再建は資金的に難しい―。そんな高齢者の希望に沿える可能性がある。
住み慣れた環境に戻ることが心身に良い影響をもたらす。その道筋を示すことで高齢者らの不安を払拭していきたい。
04年の新潟県中越地震で全村避難した旧山古志村は、避難所も仮設住宅も集落ごとにまとまり、復興に向けた話し合いが進んだ。能登半島地震はまだ、復興の担い手である住民が広域に分散したままだ。地域の将来を話し合う場を意識してつくる必要がある。