「ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」。明治45年の初夏、歌人の与謝野晶子はパリに到着して、夫の鉄幹と再会した。その喜びを現地で真っ赤に咲き乱れていたヒナゲシの花に託したとされている。
▼作家の森鷗外もまた、長い冬が終わり、花が一斉に咲き始める欧州の春の美しい情景をたたえていた。陸軍軍医としてドイツ留学した際の日記にこんな記述がある。「家の四隣には桜桃乱れ開く」「菜花盛に開き…林檎花盛に開く」
▼鷗外の趣味はガーデニングだった。「観潮楼」と名付けた自宅の庭で、公務と執筆の合間にせっせと庭仕事に励んだ。欧州滞在中、数多くの庭園を訪ね歩いた経験が生かされていた。近刊の『鷗外の花』(青木宏一郎著、八坂書房)で知った。当然、作品にも植物が頻繁に登場し、400種類以上にもなる。
▼ただ日本人はもともと、花をこよなくいつくしんできた民族である。『万葉集』に収録された歌から、当時すでに野の花を人里に移植して鑑賞していたことがうかがえる。江戸時代後期に日本を訪れた西欧の学者は、植生の豊かさに驚いたものだ。
▼ゴールデンウイークも中盤に入った。テレビのニュースは相変わらずの行楽地の混雑ぶりを伝えている。鷗外の日記には、家族思いの父親らしく、妻と娘たちと植物園や動物園に出かけるほほえましい記述も目立つ。ほとんど自宅から歩いて出かけたようだ。