台湾の地震に関する社説・コラム(2024年4月5日)

(2024年4月5日『秋田魁新報』-「北斗星」)

 東日本大震災の翌2012年、田沢湖と台湾の澄清湖(ちょうせいこ)が姉妹湖提携を結んでいる縁で仙北市民らが訪台した。高校生同士の交流会では、冒頭で台北市の生徒が日台の友好関係について説明。1999年の台湾中部大地震で日本から救助隊が派遣されたことに感謝し、東日本大震災では台湾も救助隊を送ったほか、義援金を寄せたことを紹介した

▼これが双方の高校生たちの距離を一気に縮めたのかもしれない。メールアドレスを交換するなど、和気あいあいと過ごした姿が印象に残っている

▼日台はその後も絆を強め、災害時には互いに「恩返し」をする間柄だ。2018年の台湾の地震でも日本が救助隊を派遣し、今年元日の能登半島地震では台湾が義援金を贈っている

▼台湾東部沖でおととい発生した地震の規模は、2400人を超える死者を出した中部大地震以来という。連絡が取れていない人が多く、交通の寸断で孤立している地域もあり、まだ被害の全容は分かっていない。現地では懸命の救出活動が続いている。日本が恩返しをする番だ

▼台湾と本県を結ぶチャーター便が昨年12月、4年ぶりに再開した。利用が好調で、10月まで運航する見込み。秋田空港に現在就航する唯一の国際便であり、台湾は“最も近い海外”と言えよう

▼きのう付本紙には、台湾に拠点を置く県内事業所の人たちが現地を心配する声が掲載された。心を痛めている県民は多いだろう。一人でも多くの命が救われることを願っている。

 

台湾の地震 被災地へ可能な限りの支援を(2024年4月5日『読売新聞』-「社説」)

 

3日、台湾東部花蓮で倒壊したビル=AP


 台湾をまた大きな地震が襲った。日本は、被災体験を共有する隣人として、官民挙げて、できる限りの支援をしたい。

 台湾東部の花蓮沖を震源とする地震が3日に発生し、最大震度6強を観測した。複数の死者が出たほか、1000人以上が負傷している。日本の気象庁は、地震の規模をマグニチュード(M)7・7と推定している。

 台湾は地震の多発地帯で、M7前後の地震が過去にも起きている。今回の地震は、2400人以上が死亡した1999年の台湾大地震以来、最大規模だという。

 最も揺れが強かった花蓮では、建物の倒壊や落石が相次ぎ、道路が寸断された。大勢の人が山間部のホテルなどに取り残され、連絡が取れない人も多数いるという。被害の広がりが心配される。

 大きな余震にも警戒が必要だ。当局は、被災者の一刻も早い救助に力を尽くしてもらいたい。

 台湾では1階部分を駐車場などにする建物も多く、かねて耐震性への懸念が指摘されてきた。台湾大地震後に耐震基準が強化されたが、東部は西部と比べて都市整備が遅れ、古い建物が目立つ。

 そうした事情が重なり、被害を大きくした可能性がある。今後改めて検証を進め、災害に強い街づくりに生かしてほしい。

 台湾に集積する半導体メーカーの工場も被災し、稼働を一時停止するなどの影響が出た。

 ハイテク機器に使われる最先端半導体の生産は、世界の9割を台湾に依存している。供給網が1か所に集中するリスクが、改めて浮き彫りになったと言えよう。

 これまで台湾からは、日本が困難に見舞われた際、いち早く支援の手が差しのべられてきた。

 東日本大震災では世界最大規模となる200億円以上の義援金が寄せられた。元日の能登半島地震でも25億円が早々に集まった。コロナ禍では、日本へ200万枚のマスクが贈られたこともある。

 台湾大地震の際、日本から政府の援助隊やボランティアらが現地入りし、阪神大震災の経験を生かして救助や仮設住宅の提供に奔走した。こうした支援を台湾の人は記憶してくれているのだろう。

 今回の地震を受け、岸田首相は「隣人である台湾の困難に際し、日本は必要な支援を行う用意がある」と表明した。必要があれば、すぐに申し出てほしい。

 互いの恩返しは日台関係の深さの象徴だ。政府は今後の復興も含め、迅速に支援に動けるよう、万全の態勢を整える必要がある。

 

花蓮地震(2024年4月5日『中国新聞』-「天風録」)
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 花蓮―。震度6強の揺れに襲われた台湾東部の地名に、30年余り前に書いた記事を思い出した。戦時徴用され、広島の宇品港に停泊中の船で被爆した男性が「台湾の青年たちも一緒だった」と証言したのだ。花蓮港で動員した先住民も5人ほどいた、と

▲「日本語も上手で純朴な若者たち」。元船員は懐かしがったが、消息は分からずじまい。日本統治下で日本人として生きた彼らは被爆した自覚もないまま戦後を過ごしたのかもしれない

▲その花蓮は今も人口の3割近くがアミ族を中心とした先住民。自然に息づく民族文化や日本統治時代の景観も融合した穴場の観光地と聞く。一度行ってみたかった街でビルが倒壊し、一帯の山が崩れる映像に胸が痛む

▲全ての被災者の安否が心配されるが、とりわけ被害が見えない先住民たちが気がかりだ。民主化の一環で少数民族憲法で認定されて30年。生活水準は高くない。支援や復興において弱者となる恐れはないのだろうか

地震の被害は刻々と拡大する。ずれた花蓮付近の断層の図を見ると能登半島と重ねてしまう。日本の震災に支援を惜しまない台湾に恩返しすると同時に、曲折を経た日本との関わりに思いをはせたい。

 

台湾と官民一体で、より緊密な地震情報の共有体制を作る時が来た(2024年4月5日『サンケイスポーツ』-「甘口辛口」)

 
地震の影響で傾いたビルを、倒壊しないように土砂やコンクリートブロックで支える作業が行われた=4日午後、台湾東部・花蓮(桐原正道撮影)

■4月5日 台湾と聞いてすぐ思い浮かぶのはギョーザやショウロンポウだったが、改めて地理的な近さに加え日本と同じく地震が多いことを痛感した。台湾東部沖で日本時間3日午前9時前に発生した大地震沖縄本島地域などで津波警報が出たため、NHKをはじめ民放各局が一時、ほぼ全て特番体制に切り替えた。 

 司会者やアナウンサーが「高台へ逃げてください!」などと連呼。外国人にも伝わるよう、英語の目立つ表示で緊迫感を出していた。結果的に警報は正午に解除され、津波の高さは最大30センチ。幸い大きな被害はなく、津波警報が出たらすぐ、高い場所へ逃げることの大切さを多くの人が共有できた。 

 春休みシーズンで旅行中の人も多く、沖縄の安全を最優先した報道はうなずける。ただ、震源地・台湾からの情報があまりに少ないのは、気になった。各局とも今や、信頼できるSNSネットワーク網を持っているはずなのに…。あれでは、震源地が沖縄と勘違いした視聴者も多かったのではないか。

 発生から一夜明けた4日、台湾では山間に取り残された人や死者が増え、耐震基準強化前のビルや家屋の倒壊も分かってきた。その映像は元日の能登半島地震と重なる。ましてや台湾は2011年の東日本大震災当時、250億円以上の義援金を送ってくれた。能登半島地震では、民間レベルで25億円以上にのぼる。 

 日本も過去、台湾の大地震発生時に救援隊を送っているが、正確で迅速な初期報道は恩返し機運や支援活動の一歩となる。揺れ動くプレートを抱える海底でつながる日台。余震で再び津波が来る可能性もある。台湾と官民一体で、より緊密な地震情報の共有体制を作る時が来たのではないか。(森岡真一郎)