裁判官の罷免判決に関する社説・コラム(2024年4月5日)

裁判官弾劾裁判所に入る岡口基一判事(手前右)と弁護団(3日)=共同
 
裁判官の罷免 明確な基準欠いた判決(2024年4月5日『北海道新聞』-「社説」)

 国会議員で構成する裁判官弾劾裁判所が、岡口基一・仙台高裁判事を罷免する判決を言い渡した。
 岡口氏は、女子高校生殺害事件を巡り交流サイト(SNS)に不適切な投稿をし「遺族は、俺を非難するように洗脳された」と中傷したなどとして訴追されていた。
 裁判官の投稿が弾劾の対象になったのは初めてだ。
 表現の自由は裁判官にも認められる。しかしSNSの発信で人を傷つけないよう配慮するのは今や誰もが求められる心構えだろう。岡口氏の投稿に首をかしげるような表現があったのは確かだ。
 ただ、罷免は法曹資格を奪う極めて重い処罰である。犯罪行為などが理由となった過去の事例に照らし、罷免に相当する行為だったかどうか議論の余地はある。
 裁判官弾劾法は「裁判官の威信を著しく失うべき非行」があった場合に罷免すると定める。
 この解釈は裁判に委ねられる。今回基準が明示されたわけでもない。課題を残した判断と言える。
 判決は「著しい非行」について、「国民の信託」に反した場合との一応の考え方は示した。
 その上で、岡口氏が遺族の抗議を受けても投稿を続けたことは「表現の自由として裁判官に許される限度を逸脱した」として、非行の程度は著しいと結論付けた。
 司法の公正な運営に欠かせぬ国民の信頼を損ねる行為は見過ごせない―との立場の表明だろう。
 しかし、国民の信頼を害したかどうかの認定は「時の弾劾裁判所の裁量に属する」とも述べた。何が弾劾に相当するのかは明確、厳格にしておくべきだ。
 弾劾裁判所の罷免権限は、立法・行政・司法がチェックし合う権力分立の考え方に基づく。
 一方、憲法は裁判官の独立を定め身分を保障する。裁判官がいかなる権力や圧力にもおもねらないことが健全な司法に欠かせない。
 罷免権限の行使は抑制的であるのが本来の姿だ。国会議員の恣意(しい)的な干渉に歯止めをかけておくためにも、弾劾制度のあり方を議論する必要もあるのではないか。
 岡口氏はSNSを積極的に活用することで知られていた。今回の処罰が、表現の自由を巡り裁判官全体の萎縮を招いてはなるまい。
 裁判官は人に刑罰を科し、紛争を解決する重い職責を負う。その立場ゆえに社会に発せられる言葉の影響力は小さくない。内容によっては裁判の信頼にも関わる。
 裁判官の表現行為についても議論を深めねばならない。
 
課題残した裁判官の罷免判決(2024年4月5日『日本経済新聞』-「社説」)
 
 SNSに不適切な投稿をしたとして訴追された仙台高裁の岡口基一判事に、国会議員で構成する裁判官弾劾裁判所が罷免とする判決を言い渡した。

 罷免は戦後8人目だが、SNSへの投稿を理由とするのは初めてだ。判決は岡口氏一人の去就にとどまらない。表現の自由や司法の独立にも絡む、重い課題として受け止めねばならない。

 問題となっていたのは、殺人事件について取り上げた旧ツイッター(現X)の投稿など。被害者の遺族が訴えた民事訴訟で、一部が名誉毀損にあたると認定された。岡口氏は遺族らに謝罪し、近く退官する意向を示していた。

 岡口氏は「悪意はなかった」などと釈明したが、インターネット上の誹謗(ひぼう)中傷が社会問題になっている現状を踏まえても、容認はできない。司法に対する信頼を損ねたことは事実だ。

 とはいえ、法曹資格を剝奪するほど悪質な行為といえるのか。罷免されれば退官後に弁護士になることができず、退職金も支給されない。法曹界を中心に罷免に反対する意見が相次ぎ、弾劾裁判所の評決も割れた。

 過去に罷免された事例は、児童買春や盗撮などの犯罪や職務上の重大な不正だった。判決は「裁判官としての威信を著しく失うべき非行」と結論づけたが、必ずしもその基準を明確に示していない。今後も議論を重ねる必要がある。

 岡口氏は法律実務の解説書を多く執筆し、司法のトピックや時事問題をネットで発信してきた。「物言わぬ裁判官」が多いなかで、異色の存在だった。

 裁判官にも自由な発言が認められることは当然だ。法律の知識や考え方を発信することで、司法はより開かれた存在になる。今回の判決で個々の裁判官が萎縮し、一層口をつぐむことを危惧する。

 容易に罷免を認めることは、政治が司法に不当に介入する危険もはらむ。その重大さを、国会も裁判官もあらためて肝に銘じなければならない。

 

岡口判事の罷免 司法脅かす過重な制裁(2024年4月5日『信濃毎日新聞』-「社説」)


 問われるのは「人格」だとし、罷免の事由に該当するかの判断は弾劾裁判所の裁量に属するとも述べている。司法への不当な介入に道を開く危うい判決だ。

 仙台高裁の岡口基一判事に罷免を言い渡した弾劾裁判である。殺人事件をめぐるSNSへの投稿で遺族の心情を傷つけ、「裁判官としての威信を著しく失うべき非行があった」と結論づけた。

 憲法は、公正な裁判の礎となる司法の独立を定め、裁判官の身分を手厚く保障している。国会が裁判官を罷免する弾劾裁判は、立法府に司法への介入を認める極めて例外的な制度である。

 岡口氏は、2015年に東京の女子高校生が殺害された事件に関する投稿など13件で訴追された。事件について、首を絞められて苦しむ姿に性的興奮を覚える男に無残にも殺されてしまった女性―といった書き込みをしていた。

 弾劾裁判の判決は、裁判官に対する「一般国民の尊敬と信頼」を判断の基準とし、岡口氏の行為を、著しい非行と判断した。遺族から抗議を受けても執拗(しつよう)に繰り返したことは、表現の自由として許容される限度を逸脱し、国民の信託に背反すると述べている。

 罷免は、裁判官の職を解かれるだけでなく、退職金も支払われない厳しい懲罰だ。法曹の資格そのものを剥奪(はくだつ)され、弁護士になることもできない。

 過去に弾劾裁判で罷免された事案は7件にとどまる。担当する調停の当事者からの酒食の供応、児童買春、下着の盗撮といった事例だ。表現行為を理由にした今回とは明らかに異なる。

 岡口氏の行為が遺族の心情を傷つけたことは確かだ。とはいえ、それは本来、民事の裁判などで解決すべきである。既に、遺族が起こした裁判で岡口氏に賠償を命じる判決が確定している。

 また、一連の投稿について最高裁は2度にわたって岡口氏に懲戒処分を科してきた。国会が罷免にまで踏み込むのは過重な制裁であり、司法と裁判官の独立を脅かす危うい先例になりかねない。

 弾劾判決が言う「国民の尊敬と信頼」は、基準としての厳格さを欠く。究極には人格が判断の対象だとしたことは、さらに見過ごせない。裁かれるべきはあくまで行為であって、人格ではない。

 目障りな裁判官を狙い撃ちすることにつながりかねない判決だ。裁判官を萎縮させ、物を言うことをますますためらわせる心配もある。国会による弾劾のあり方を厳しく問わなければならない。