「なんだか炬燵(こたつ)を抱いて氷の上に坐っているような心持(こころもち)がする」。「天災は忘れた頃にやってくる」で知られる物理学者の寺田寅彦が随筆「断水の日」に記している。関東大震災の2年前、茨城県を震源とする地震で東京の断水が3日間続いた。「吾々(われわれ)の周囲の文明というものがだんだん心細く頼りないものに思われて来た」という
▲「大きな地震があった場合に都市の水道や瓦斯(ガス)が駄目になるというような事は、初めから明らかに分っているが、また不思議に皆がいつでも忘れている」。水道耐震化の遅れを考えれば、今にも通じる警句だ
▲能登半島地震から3カ月を過ぎた。なお、8000戸近くで断水が続く。公営住宅にも上下水道が使えず、居住できる環境にないところが多いという。なかなか日常に戻れない被災者の苦悩を思う
▲水道供給を支える太い水道管「基幹管路」の耐震化率は全国で4割余にとどまる。地震国としては心もとない。厚生労働省も「まだまだ地震に対する備えが十分であるとはいえない状況」と認めている
▲「どうしても『うちの井戸』を掘る事に決める外はない」。思案の末に寅彦が出した結論だ。確かに災害用井戸は今も有用だ。だが、1世紀たっても対応策が変わらないとすれば歯がゆい
▲空気中の水蒸気から水を作る最新鋭機器も被災地に提供された。飲み水の確保には大いに役立つ。しかし、大量に使われる生活用水を代替するのはまだまだ難しい。寅彦が感じた「心細さ」は決して過去の話ではない。