元ドラフト1位投手、今は市役所職員として市民生活支える…野球の挫折経験が「未熟だった自分を変えた」(2024年3月26日『読売新聞』)

 15年前、ドラフト1位の高卒投手としてプロ野球オリックスで新社会人のスタートを切った甲斐拓哉さん。プロで活躍する夢はかなわなかったが、現在は長野県の松本市建設部維持課土木センターの職員として、市民の暮らしを支えている。

道路沿いの落ち葉や枝を清掃する甲斐拓哉さん(21日、松本市で)
道路沿いの落ち葉や枝を清掃する甲斐拓哉さん(21日、松本市で)

 担当する業務内容は、道路の維持や除雪、草刈りなど多岐にわたる。2月下旬のある日は、降り続く雨の中、重機を操り、後輩職員らに指示を出しながら、道路側溝の落ち葉や枝などを集めていた。「どんなに大変なことも、皆で同じ方向を向いてやる。チームで仕事をすることは、今も変わらない」

 小学3年生で野球を始め、中学時代に全国大会で活躍し、東海大三(現・東海大諏訪)高に進んだ。甲子園出場はかなわなかったが、球速150キロを超えるストレートとキレのあるスライダーを武器に、エースに成長。2008年秋のドラフト会議でオリックスの1位指名を受けた。

 周囲の期待も大きかったが、ドラフトの翌年1月に新人合同自主トレーニングに臨み、いきなりつまずいた。部活引退後の練習が不足し、投球フォームを見失った。「積み上げてきたものが一気にゼロになった」。その後は膝や肘の故障もあり、一軍での登板がないまま、12年に戦力外となった。

 退団後は、BCリーグ・信濃グランセローズで野球を続け、3年間在籍した。純粋に投げる喜びを取り戻しつつあったが、私生活では結婚し、子どもが誕生。仕事としての野球に区切りをつける決意をした。

 16年4月に松本市に入庁し、土木センターに配属されると、大型特殊免許を取得するなど、仕事で使う知識を必死に学んだ。現場での地道な仕事が多く、体力的に厳しいこともあるが「ありがとう」と声をかけられると、やりがいを感じる。「野球で挫折した経験が、未熟だった自分を変えた。選択は間違っていない」と断言する。

オリックス時代のユニホームと、市役所のチームで使っているグラブ
オリックス時代のユニホームと、市役所のチームで使っているグラブ

 野球を嫌いになったことはなく、市役所の軟式野球チームで今もプレーを続ける。昨年秋のドラフト会議で上田西高の横山聖哉選手(18)が同じオリックスから1位指名を受けたことも、うれしいニュースとして受け止めた。「横山選手が活躍すれば、長野県内の若い選手にも良い影響があるはず」と期待している。

 入庁から間もなく8年がたち、後輩から助言を求められる場面も増えた。「市役所職員だからとか、プロ野球選手だからとかではなく、一人の人間として、誰からも信頼される存在になりたい」(鈴木直人

  ◆かい・たくや =1990年12月、松本市生まれ。中学時代、硬式野球チーム「松本南リトルシニア」に所属し全国優勝。東海大三(現・東海大諏訪)高を経てドラフト1位でオリックスに入団。2012年に戦力外となった。BCリーグ・信濃グランセローズを経て16年から松本市役所で働く。33歳。

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