「もうひとつのワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」と呼ばれ、昨年秋に行われた世界身体障害者野球大会で優勝した日本代表チームの東日本唯一のメンバー・土屋来夢(らいむ)選手(25)=東京都江戸川区=は、利き手の指を15歳の時に失ってからも夢を諦めず白球を追い続けた。「誰かの一歩を踏み出す勇気になれたら」。子どもたちに世界一となった経験を伝えている。(押川恵理子)
「4000人もの観客が見守る中での試合は格別だった。ここまで来ることができたと感慨深かった」。土屋選手は2日、優勝報告に訪れた江戸川区役所で振り返った。
◆高1の夏、グラウンド整備中の事故で…
小学3年生で野球を始めた土屋選手は6年生の時、軟式野球の日本代表に選ばれた。運命が暗転したのは、憧れの高校球児となったばかりの1年生の夏だ。グラウンド整備中に機械に右手を挟まれ、親指以外の4本の指を失った。
「漠然とした将来への不安が募った。高校に戻れるのか、大学進学や結婚はできるのかと、答えのないことばかり考えていた」
約3カ月の入院生活は、左手で日常の動作を行う訓練を繰り返す毎日だった。右利きだったので野球はもうできないと思った。
◆身体障害者チームの練習に衝撃「こんなにできるんだ」
退院後、千葉県を拠点とする身体障害者野球チーム「千葉ドリームスター」の練習を見にいった。父親に嫌々連れて行かれたグラウンドで、選手たちの動きに衝撃を受けた。「めちゃくちゃ下手なのに楽しそう。片手や義足でもこんなにできるんだ」と思った。
「自分の人生のためになる」と入団を決めた。捕球した左手のグラブから返球したり、捕球後にグラブを外して右脇に挟んでから左投げをしたり、親指しかない右手で投げたり…。練習を重ねて「三刀流」をマスターした。
◆強豪に成長したチームで主将に就任
会社勤めをしながら、主に日曜日、週に1回のチーム練習に参加する。チームは2019年、全国大会で4強入り、21年には関東甲信越大会で初優勝する強豪へと成長した。
世界身体障害者野球大会の優勝を報告する土屋来夢選手
土屋選手は今年1月から主将を務め、小学校や高校などを訪れて体験を語るなど、活躍の場を球場の外にも広げている。「障害があってもなくても野球ができる環境を次の世代に伝えたい」。誰もが夢を持ち続けられる「壁のない世の中」の実現を願う。