強制収容所に連行された父母と引き離され、他の家族らとのゲットー(ユダヤ人居住区)暮らし。食事は1日角砂糖3個、押し込められた防空壕(ごう)はトイレもない不衛生な状態でした。45年1月、旧ソ連軍に解放され、家族と再会しましたが、父親の体重は28キロにまで減っていたといいます。
苦難を語り継ぐ生存者
その一方、イスラエルによるガザへの報復攻撃には「自らの意思でもないのに戦闘に巻き込まれたパレスチナの人々、犠牲になった子どもたちとも思いを一つにしている。ガザでの破壊や死は、昔ブダペストで起きたことと同じだ」として、イスラエル擁護とは一線を画しました。
支援者らをたたえる呼称を書名に付けた「沈黙の勇者たち」(岡典子・筑波大教授著、新潮選書)が詳しく紹介しています。
例えば、ドイツ人女性ニッケルさんは妊娠中のユダヤ人女性を見かけて支援を申し出ます。配給の食料を分け与え、自分の身分証明書の写真を貼り替えてその女性の身分証明書に偽造しました。偽造を見破ったゲシュタポ(秘密国家警察)に証明書は盗まれたものだと主張して放免されましたが、大きな危険を伴う支援でした。
ここまで尽くしたのは、かつて親切にしてくれたユダヤ人らを救えなかったことに対する罪ほろぼしの思いからだったそうです。
ゲシュタポの追及は厳しく、潜伏ユダヤ人らは各地を転々としますが、その都度、住居や食の提供などの支援をしてくれるドイツ人らと出会いました。やがて闇市などを通じてユダヤ人支援のネットワークも出来上がります。
危険を冒して良心貫く
憎悪に満ちた戦時に、危険を冒しながらも良心を貫いた人たちの物語は、逆境にある者の苦難にも思いを巡らす人間の素晴らしさも呼び起こします。
さて、冒頭のホロコースト生存者、ツェグレディさんが自らの苦難に重ねていたのがガザの人たちの痛みです。
こうした想像力が戦争を続けるイスラエルやロシアを含む世界中に広がれば、「沈黙の勇者」らが次々と立ち上がり、和平への機運が盛り上がるのではないか。
戦火がやむ展望はなかなか開けませんが、すべての人が平和の中に暮らすためにも、希望だけは捨てたくありません。