「催花雨」と迷う桜(2024年3月24日『産経新聞』-「産経抄」)

 
皇居の乾通りが一般公開され、桜を楽しむ人たち=23日午前、東京都千代田区(岩崎叶汰撮影)

<花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ、見るものかは>。兼好法師は『徒然草』第137段の書き出しにこうつづった。桜の花は真っ盛りに咲いているものだけを、月は陰りなく輝くさまだけを見て、賛美するものなのだろうか―と。

▼じきに咲こうかという梢(こずえ)にも、散った後の庭にも見るべきものはある。兼好は、そう続けた。とはいえ、現代人は見ごろにうるさい。温暖な2月から一転、このところの寒の戻りで桜が迷っている。早い開花を当て込み催した「桜まつり」が肩透かしを食った地域もあるらしい。

▼花の便りを待ちわびる人々にとっては、近くなっては遠ざかる春の足音がうらめしかろう。まだ咲き始めの桜が多い皇居・乾通りでは、きのうから31日まで、春の一般公開が行われている。列島全体を見渡せば、今週は総じて雨の予報が目につく。

▼『雨のことば辞典』(講談社学術文庫)によると、この時期にしとしと降る雨を「催花雨(さいかう)」と呼ぶ。花々の開花を促し、せき立てる。世話好きな雨らしい。菜種梅雨というおなじみの言葉も思い出す。「花」と「雨」の親和性の高さがうかがえる。

▼桜の動静を伝える気象庁のホームページをのぞくと、高知でようやくソメイヨシノが開花したものの、23日夕方の時点では大半が空白だった。桜前線の歩みは極めて緩慢なようである。列島を優しく潤す「催花雨」が寝ぼけまなこの桜に活を入れるまで、もう少しの辛抱だろう。

▼兼好が筆を執ったとされる鎌倉末期、花の盛りは「立春より七十五日、大様違(おおようたが)はず」だったらしい。いまの暦なら4月20日頃か。徒然草には「万(よろず)の事も、始め終りこそをかしけれ」の一節もある。梢の膨らみを肴(さかな)に一献傾けてこそ、通人のたしなみなのかも。