3・11から13年 いつか来た道 通る道(2024年3月10日『東京新聞』-「社説」)

 
 元日に能登半島を襲った地震から4日後の深夜。長野市生活環境課の係長、梨本正彦さん(42)は12時間をかけ、ようやく石川県珠洲市に到着しました。その日朝、長野市役所を出発し、単身、大渋滞が続く半島の先端を車で目指したのでした。

◆災害ごみスペシャリスト

 
 環境省・災害廃棄物処理支援員制度(人材バンク)に名を連ねる災害ごみ処理のスペシャリストとして、被災地の状況を把握するためです。翌早朝から多くの家屋が倒壊する市内=写真、梨本さん提供=を回りました。道路や通信は寸断され、水は止まり、トイレは詰まり、ごみ処理施設は復旧の見込みが立たない-。
 いったん、長野市に戻り、通常の業務をこなしながら、電話やメールで災害ごみ処理計画の相談に応じました。1月下旬、再び能登半島へ。仮置き場の開設、補助金や起債書類の作成、津波堆積物の処理などを支援するためです。
 梨本さんの地元、長野市は2019年の台風で千曲川が氾濫。2千棟以上が全半壊し、がれきや金属くずなどの災害ごみは21万トンに達しました。運動場や公園に仮置き場を設け、再利用したり、市外の施設に最終処分を依頼したり、すべてを片付けるまでに2年強。その経験を通じて災害ごみ問題に精通するようになったのです。
 11年の東日本大震災は桁違いでした。災害ごみは実に2千万トン、処理には3年を要しました。その後、16年の熊本地震や、18年の西日本豪雨などを経て、環境省が20年度に創設したのが人材バンクの制度です。災害が年々、頻発化、激甚化する中、被災自治体だけの能力には限界があるからです。

◆対口支援も東日本から

 現時点では24都道県、73市区町村の計254人が人材バンクに登録しています。梨本さんと同じく、皆、何らかの被災を経験した公務員たちです。能登地震でも東北地方や熊本、広島県などから100人近くが被災地に入り、主導的な役割を担っています。
 ごみ処理以外にも、避難所の運営や罹災(りさい)証明書の交付に関し、総務省が18年に創設した「対口(たいこう)支援」という取り組みがあります。大災害が起きれば、直ちに、国が都道府県や政令指定都市を原則1対1で被災自治体に割り当て、復旧復興まで一貫して支えます。
 従来は、被災地から具体的な支援の要請が上がってくるのを待って、その都度、応援手段を検討していました。調整に時間を要し刻々と変化する被災地側のニーズに円滑に対応できませんでした。
 今回の能登地震でも、東京都や三重県輪島市福井県浜松市珠洲市、愛知県は志賀町岐阜県中能登町と「対口支援」のペアを組むなど、2カ月強が過ぎた今も、常時千人前後の県外職員が被災地を支えています。
 「対口」とは中国語で、互いにペアを組むという意味。08年の四川大地震で中国政府が採用し、早期の復興に貢献しました。日本では、関西広域連合東日本大震災時に初めて展開しました。構成する7府県を、発生2日後には東北3県に割り振り、応援し続けました。名古屋市が「丸ごと支援」と名付けて、福祉や税務、都市計画などの職務ごとにワンセットで職員を岩手県陸前高田市に長期派遣した例もあります。

◆公務員らしく一歩ずつ

 能登地震の復旧復興は緒に就いたばかり。ごみだけを見ても、石川県内の災害ごみは240万トンに達し、平時に出るごみの7年分に相当する量です。具体的な処理策はこれからの検討です。梨本さんは今月下旬から被災地に入り、その手助けをする予定です。
 梨本さんは、自身も被災者でありながら、激務をこなす職員の疲弊が気になると言います。公務員といえども、山積する課題を前に心が折れそうになることもある。それでも、公務員らしく着実に一歩ずつ前に進める-。自らの背中でそう伝えたいと思っています。
 この地震大国にあって、災害はどこの、誰にとっても、いつか通る道でありましょう。被災が避けられぬのであれば、私たちはそこから何かしらの教訓を得て、次につなげていくほかはありません。梨本さんは19年の台風後、対口支援で支えてくれた名古屋市をはじめ、各地の自治体から仲間が長野に駆けつけてくれた時に感じた頼もしさ、ありがたさを忘れられないそうです。通常の業務が多忙な年度末に、三たびの被災地入りを辞さない理由を「とにかく恩返しです」と語りました。