「体内警察」には賄賂ですり抜け、「資金集め」で組織拡大…がんがギャングに似ているこれだけの理由(2024年4月28日『毎日新聞』)

 
 
 日本では2人に1人ががんにかかり、3人に1人はがんで亡くなるといわれます。がんはとても身近な病気です。

 一方で、がんは非常に複雑な病気でもあるので、現実にはきちんと理解されている方は多くなく、むしろ不正確な情報に振り回され、実態を誤解している人も少なくないでしょう。

 私自身、がんの正体と治療法に迫るべく研究を続けてきましたが、その複雑さゆえ、いまだ全てをつかめていません。ただ、身近な病気だけに、少しでも理解を進めることがとても大切だと考えています。そこで装い新たに連載を立ち上げることにしました。

 名付けて「ギャング集団 がんの正体を暴く」。がんというものは考えれば考えるほど、あのギャングに似ているのです。

信じがたいほどの複雑さ

 がんとはどんな病気でしょうか。

 悪性腫瘍ができる、早期発見で治るなど何となく知っていて、それなりにイメージを持っている方がほとんどだと思います。

 非常に大まかに言うと、がんはこんな病気です。

 正常な体の中に突然、がん細胞が発生して、どんどん増殖する。そのがん細胞が周囲に広がって、やがて全身に転移してしまう。治療としては手術で取り除いたり、放射線や化学療法を用いて殺したりするが、倒しきれない細胞が残っていると患者さんの命を奪ってしまう――。

 
 
 しかし実際は、そんなにシンプルなものではありません。

 かつて私は脳神経外科医として、脳にできるがん(悪性脳腫瘍)の患者さんの治療にあたってきました。大変に難しい病気で、治療の限界を感じたため米国に渡り、現在はがん研究者として、悪性脳腫瘍を治療する新薬の開発をしています。がんとはどんな病気で、どう治せばよいのかを20年近く考え続けてきました。そこで分かったのは、がんという病気の信じがたいほどの複雑さでした。

ダイナミックに変身する

 正常な体に突如として現れたがん細胞が1種類で、それが単純に増えた結果、大きな塊の腫瘍となる――。

 もし、そのようなシンプルな話であれば、がん治療は簡単なもので済みます。しかし、そうは問屋が卸しません。実際のがんはもっともっと複雑にできているため、簡単には治療ができないのです。

 がんは、何百という異なる特徴を持つがん細胞が複雑に集まってできています。さらに、その不均一な塊はとてもダイナミックに変化していきます。

 たとえば放射線や化学療法などで攻撃されると、がん細胞の大部分は殺されますが、一方で殺されまいとするがん細胞も存在していて、生き残ります。

 また、その細胞は生き残るだけでなく、ダイナミックに性質を変化させることがあるのです。まるで変身するように以前とは異なる性質の細胞に変化し、急に転移するなどして予測がつきません。

  

悪賢く、隠れて逃げて増殖する

 このようにがんという病気はとても複雑なので、医学の専門知識がない人にとっては正確に理解することが大変難しいものです。

 しかし、がんをあるものにたとえると、比較的すんなりと全体像をとらえることができます。それがギャングです。

 私自身、がんの勉強をすればするほど、がんがギャングに似ているという思いを強くしてきました。

 映画や小説にあるギャングをイメージしてみてください。

●ギャングは一般人の中に隠れて警察に見つからないように、ヒソヒソと悪事を働く。

●ギャングの集団はボスや幹部、子分など、さまざまな人物で構成され、それぞれの役割がある。

●アジトが見つかって警察に追われても、すかさず逃げたり隠れたりして取り締まりから逃れる。

●ギャングはあの手この手で資金集めをして、一つの手段が断たれたとしても、すぐに他の手段を見つける。そのようにしてどんどん組織を拡大し、別の街にもアジトを作ったりする。

 実は、がんもこれとそっくりなのです。

 
●がん細胞は時に正常細胞(一般人)と非常に似た姿で隠れ、ヒソヒソと悪事を働く。

●がん細胞は時に、体内の警察ともいえる免疫細胞に対して賄賂のようなものを渡して捕まらないようにしている。

●がん細胞の集団は均一ではなく、異なる性質を持つさまざまな細胞で構成されている。中にはボスのような細胞がいて、「体内警察」から追われても、周囲の子分から助けを受けつつ逃げたり隠れたりして取り締まりから逃れる。

●がん細胞には「増殖シグナル」という資金集めのような手段があり、それが実に多岐にわたっているので、たとえ薬によって一つが断たれたとしても全滅せず、すぐに他の手段を見つけて増殖する。時にはダイナミックに性質を変化させて離れた臓器(街)に転移し、新たな腫瘍(アジト)を作ったりする。

 がんは複雑なだけでなく、悪賢くもあることがお分かりいただけると思います。

恐ろしさではなく、人類の偉大さを

 連載では今後、このようながん細胞の仕組みについて詳しく解説していきたいと思います。がんの悪さばかりが印象に残り、恐怖心を覚える方がいるかもしれませんが、本連載の目的はがんの恐ろしさを紹介することではありません。がんの正体を解説した上で、長い歴史において人類がどのようにがんに対処し、新薬を作り、治療を発展させてきたかについてもご紹介していきます。その過程で、進化の一端や人類の偉大さにも触れていただけることでしょう。

 
 そして、もう一つの目的は、がんの正体を知ることで、怪しいトンデモ情報にだまされないようになっていただくことです。 

 現代社会には、がんについての不正確な情報が氾濫しています。YouTubeなどのSNSで誰でも簡単に情報発信できる時代となった今、がんがとてもシンプルな病気であり、単純な民間療法で治るかのような誤った情報も、すぐそこにあります。

 ぜひ、本連載からがんの正体をつかみ、不正確な情報に惑わされないようになっていただければと思います。

 改めて、これからよろしくお願いいたします。

写真とイラストの一部はゲッティ

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