東京大空襲の「証言ビデオ」上映は122人分 約30年前に証言した人は今も「戦争の愚かさ」を嘆く(2024年2月23日『東京新聞』)

 東京大空襲(1945年3月10日)などの戦争体験談を東京都が収録し、大部分が非公開の証言ビデオを28日から都内3カ所で開催される「東京空襲資料展」で公開することを巡り、都は22日、同意が得られた計122人分を上映すると発表した。(中山高志)

◆1990年代から非公開が続いていたビデオがついに

 資料展は28日〜3月13日に池袋の東京芸術劇場、3月3〜12日に三鷹市公会堂、7〜14日に調布市文化会館でそれぞれ開かれる。映像は1人当たり10分程度に編集しており、3会場でそれぞれ34人分を上映する。このほか20人分については、3月10日に都庁で開かれる都平和の日記念式典の会場で上映する。
 都は1990年代、当時建設を計画した「仮称・都平和祈念館」で展示することを目的に、330人分の証言をビデオ収録。しかし祈念館の展示内容を巡り都議会が紛糾したことなどから計画は凍結された。映像は一部を除き非公開の状態が続いた。
 都はその後、同意が得られた分について公開する方針を示していた。都生活文化スポーツ局によると、2023年6月現在で330人のうち138人から回答が得られ、122人が同意した。
 回答が得られていない人について生活文化スポーツ局は「意向確認は可能な限り続けていく」とした。担当者は「デジタル化を図り資料展などで活用することで、平和の大切さを伝える一助としたい」と話す。
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 封印されていた東京大空襲の証言ビデオが30年近い時を越え、今月末から日の目を見ることになった。協力した空襲体験者やその家族からは、繰り返される戦争を憎む思いや、映像による証言の継承への期待などが聞かれた。(中山高志、井上靖史)

◆6歳で経験した空襲、閉められた扉

 「建物は再生できても人の命は再生できない。なんでこんな馬鹿げたことをするの」。東京都北区の越部恵美子さん(85)は、ロシアによるウクライナ侵攻の映像を見る度に心を痛める。
東京大空襲の証言ビデオが公開されることとなり心情を話す越部恵美子さん=東京都北区で

東京大空襲の証言ビデオが公開されることとなり心情を話す越部恵美子さん=東京都北区で

 東京大空襲当時、6歳だった。焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中で家族と逃げまどい、学校の講堂に逃げ込んだ。数分後に扉が閉められ、朝になると外には遺体が積み重なっていた。1997年には都のビデオ収録に協力し、体験談を語った。
 空襲から間もなく79年。今もなお紛争の絶えない現代に思うことは「戦争の愚かさと肉親の悲しみ」。そんな心情が、証言を通して多くの人に伝わることを望んでいる。自身もビデオが放映される会場を訪れるつもりだ。

◆証言した祖母も亡くなり…「体験、引き継がれるべきだ」

 品川区でパソコン教室を営む神尾守さん(51)は、2010年に95歳で亡くなった祖母の横谷(よこたに)イセ子さんの証言映像をユーチューブで紹介してきた。「公開されるのは本当に良いこと」と受け止める。
 祖母は東京大空襲当時、現在の墨田区東駒形の実家に娘と身を寄せていた。証言映像では自身が空襲から逃れながら目撃した情景として「隅田川にかかる言問橋に空襲で多くの人が追い詰められ、川にどんどん飛び込んだ」などと語った。
 「祖母は戦争体験を引き継がなければといつも言っていた。私も引き継がれるべきだと思って公開した」と話す神尾さん。「一歩前進した。今後、さらに多くの人に見てもらえるようにしてほしい」と公開の幅が広がることを望んだ。

 東京大空襲 1945年3月10日未明、東京東部の下町地域に襲来した米軍のB29爆撃機約300機により、焼夷弾が無差別に投下された。被害者は100万人超、死者は10万人以上とされる。