歯止めのきかない国家の暴力が市民の命と尊厳を押しつぶす。中東と欧州で「二つの戦争」が続き、世界の分断が深まる中、77回目の憲法記念日を迎えた。
破壊されたのは人命や家屋、インフラだけではない。「他国を侵略しない」「民間人を攻撃しない」という国際法の規範も破られた。
国連開発計画(UNDP)によると、コロナ禍前でも世界の7人中6人が「安全でない」と感じていた。紛争や迫害で故郷を追われた難民・避難民らは1億人を超す。
全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する――。日本国憲法の平和主義の理念が今、国際社会の現実によって脅かされている。
許されない国家の横暴
世界の平和と安全に責任を持つはずの国連安全保障理事会は機能不全に陥っている。懸念されるのは、軍事力をたのむ国家の論理が幅をきかせている現状だ。
ストックホルム国際平和研究所によると、2023年の世界の軍事費は前年より実質6・8%多い総額2兆4430億ドル(約380兆円)と過去最高を記録した。
だが、軍事力は安定だけでなく破壊をもたらす。戦争で日々、人命が失われる状況下、手をこまぬいているわけにはいかない。
「『国家の論理』のために『個人の人権』が犠牲になっても構わない、との理屈は通用しない」。宇野重規・東京大教授は「法の支配と人道」の早期実現を訴える。
イスラエル軍の攻撃で死亡した5歳のめいの遺体を抱きしめるパレスチナ人女性。ロイターの写真記者モハメド・サレム氏が撮影したこの写真に今年の世界報道写真大賞が贈られた=パレスチナ自治区ガザ地区ハンユニスで2023年10月17日、ロイター
重要なのは「人間の安全保障」の視点である。軍事力で領土を守る「国家安全保障」に対して、人々の命と暮らしを多様な脅威から守るという考え方だ。
日本政府も「人間の安全保障」を開発協力政策の基本に据える。いま問われているのは、理念を実際の行動に結びつける外交力だ。
冷戦後、日本が独自の平和外交を展開した時期がある。カンボジア和平である。当時、外務省担当課長として尽力した河野雅治・元駐伊大使は「対米追従ではなく、『米国ができないことを日本がする』気概だった」と振り返る。
「双方から信頼されている日本は役割を果たせるはずだ」。埼玉県在住のイスラエル人平和活動家、ダニー・ネフセタイさん(67)は「平和憲法を持ち、核兵器の痛みを知っている国なのに、平和の発信が足りない」と嘆く。
まず人間の安全保障を
全速力で逃げる逃走型、責任者の免職を求める批判型、そして「バケツがなければコップで、コップがなければティースプーンで水を火にかける」行動型である。
スプーン一杯は焼け石に水かもしれない。だが、集まれば惨禍を止める力となるはずだ。求められているのは国家、企業、そして何よりも市民の行動する力である。