二つの戦争と平和憲法 市民の力で破壊止める時(2024年5月3日『毎日新聞』-「社説」)

 歯止めのきかない国家の暴力が市民の命と尊厳を押しつぶす。中東と欧州で「二つの戦争」が続き、世界の分断が深まる中、77回目の憲法記念日を迎えた。
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パレスチナ自治区ガザ地区ではイスラエル軍の攻撃で多くの家屋が破壊された。中心都市ガザ市のがれきの中を歩く住民=パレスチナ自治区ガザ市で2024年3月20日、ロイター
 
 イスラエル軍イスラム組織ハマスを攻撃するパレスチナ自治区ガザ地区では女性や子どもを含む3万4000人以上が死亡した。ロシアのウクライナ侵攻は3年目に入り収束の見通しが立たない。
 破壊されたのは人命や家屋、インフラだけではない。「他国を侵略しない」「民間人を攻撃しない」という国際法の規範も破られた。
 国連開発計画(UNDP)によると、コロナ禍前でも世界の7人中6人が「安全でない」と感じていた。紛争や迫害で故郷を追われた難民・避難民らは1億人を超す。
 全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する――。日本国憲法の平和主義の理念が今、国際社会の現実によって脅かされている。
許されない国家の横暴
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ウクライナを訪れた北大西洋条約機構NATO)のストルテンベルグ事務総長(右)に米欧諸国による武器供与の加速を要請したゼレンスキー大統領=ウクライナの首都キーウ(キエフ)で2024年4月29日、AP
 
 世界の平和と安全に責任を持つはずの国連安全保障理事会は機能不全に陥っている。懸念されるのは、軍事力をたのむ国家の論理が幅をきかせている現状だ。
 イスラエルはガザ攻撃を「自衛戦争」と主張し、プーチン露大統領はウクライナ侵攻を「祖国を守る戦い」と正当化する。
 ロシアの脅威に直面するスウェーデンフィンランド北大西洋条約機構NATO)に加盟し、守りを固めた。「安全保障環境の厳しさ」を理由に日本を含む各国が抑止力の強化に走っている。
 ストックホルム国際平和研究所によると、2023年の世界の軍事費は前年より実質6・8%多い総額2兆4430億ドル(約380兆円)と過去最高を記録した。
 だが、軍事力は安定だけでなく破壊をもたらす。戦争で日々、人命が失われる状況下、手をこまぬいているわけにはいかない。
 「『国家の論理』のために『個人の人権』が犠牲になっても構わない、との理屈は通用しない」。宇野重規・東京大教授は「法の支配と人道」の早期実現を訴える。
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イスラエル軍の攻撃で死亡した5歳のめいの遺体を抱きしめるパレスチナ人女性。ロイターの写真記者モハメド・サレム氏が撮影したこの写真に今年の世界報道写真大賞が贈られた=パレスチナ自治区ガザ地区ハンユニスで2023年10月17日、ロイター
 
 重要なのは「人間の安全保障」の視点である。軍事力で領土を守る「国家安全保障」に対して、人々の命と暮らしを多様な脅威から守るという考え方だ。
 日本政府も「人間の安全保障」を開発協力政策の基本に据える。いま問われているのは、理念を実際の行動に結びつける外交力だ。
 冷戦後、日本が独自の平和外交を展開した時期がある。カンボジア和平である。当時、外務省担当課長として尽力した河野雅治・元駐伊大使は「対米追従ではなく、『米国ができないことを日本がする』気概だった」と振り返る。
 日本政府は長年、パレスチナを支援する一方、イスラエルとの政治・経済関係を強化してきた。だが、ガザ危機を前に動きは鈍い。
 「双方から信頼されている日本は役割を果たせるはずだ」。埼玉県在住のイスラエル人平和活動家、ダニー・ネフセタイさん(67)は「平和憲法を持ち、核兵器の痛みを知っている国なのに、平和の発信が足りない」と嘆く。
まず人間の安全保障を
 注目されるのは、ロシアを敵視して経済制裁を科す一方、イスラエルには強く出られない米欧の「二重基準」に対する異議申し立てが内外で強まっていることだ。
 国際司法裁判所(ICJ)が今年1月、イスラエルにジェノサイド(集団虐殺)を防ぐ措置を取るよう命じると、「グローバルサウス」と呼ばれる新興・途上国から一斉に歓迎の声が上がった。
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イスラエルイスラム組織ハマスの戦闘でパレスチナ自治区ガザ地区の人道危機が深刻化する中、東京のJR新宿駅前で即時停戦を訴える若者たち=2024年4月13日、福島良典撮影
 
 米国の大学ではイスラエルと、軍事支援するバイデン政権への抗議が広がる。日本でも、学生と在日パレスチナ人らが連携して即時停戦を求めるデモを繰り広げる。
 企業も動き始めた。ICJ命令などを受け、伊藤忠商事はドローンなどを製造するイスラエルの軍事企業エルビット・システムズとの協力関係を2月末で終了した。
 生前、パレスチナとの「2国家解決」を訴え続けたイスラエルの作家アモス・オズは大火事を前にした人々の反応を分類した。
 全速力で逃げる逃走型、責任者の免職を求める批判型、そして「バケツがなければコップで、コップがなければティースプーンで水を火にかける」行動型である。
 スプーン一杯は焼け石に水かもしれない。だが、集まれば惨禍を止める力となるはずだ。求められているのは国家、企業、そして何よりも市民の行動する力である。