2億円トイレの本質 心が離れてしまった万博 編集委員・久原穏(2024年3月6日『東京新聞』ー視点」)

 募っていたが、募集はしていなかった―。
 4年前の国会審議。「桜を見る会」問題で、地元事務所が後援者らに参加を呼びかけたかを追及された安倍晋三首相(当時)は珍妙な答弁をした。交流サイト(SNS)で炎上、いわゆる大喜利状態となり「答えているが、答弁はしていない」「不都合な部分は隠したが、隠蔽(いんぺい)はしていない」などと揶揄(やゆ)する投稿があふれた。
 こんなことを思い出したのも、大阪・関西万博を巡って同じような状況が生まれ、大喜利のネタに事欠かないからだ。典型的なのは万博会場につくるトイレ。競争入札にかけた8棟のうち未契約を含め3棟が約2億円と分かり、SNSには揶揄する以上に「半年間の会期のためにぜいたくすぎる」「トイレが使えない能登の被災者を思うと怒りしかない」と批判が目立った。
 日本国際博覧会協会の広報部は「若手建築家が手がけるデザイナーズトイレで、機能性やリサイクルを考慮している」と説明。斎藤健経済産業相は「高すぎるとは思わない」と抗弁したものの、トイレの詳細が明らかでないため価格が妥当かは判断できない。
 だが、大事な論点はそこではない。高額トイレ工事を含む会場整備費は当初から約2倍の2350億円にまで膨らんでいる。国が3分の1を負担するため、万博に全く関心がない人や行きたくても行けない人も含め、国民に広く負担を強いる。コスト節減の姿勢が感じられず、湯水のごとく税金を使っているように映るから反発を招く。
 東京都営地下鉄がホームドア設置工事で従来の無線方式から2次元コードを読み取るだけの簡易式に変え、20億円と想定したコストがわずか270万円で済んだと最近報じられた。こうした知恵や工夫を凝らしてこその万博であってほしいと思う。
 もう一つの大事な点は、能登半島地震の被災住民への思いが離れてしまったかのような万博関係者の言動である。
 国民はメディアを通じ、地震から2カ月がたってもトイレを使えない被災地の惨状を目の当たりにしている。震災は決して人ごとではないと多くの人が感じ、胸を痛め、被災者に思いを寄せる。
 鬱々(うつうつ)たる空気がこの国を覆う中で万博関係者は「復興を後回しにすることはない」と軽く言う。トイレ棟に投じる経費で能登にトレーラー型トイレを贈り、それを万博会場で連帯の証しとしてリユースする―復興優先というならこんな案に変えてもよかった。
 万博の歴史に詳しい名古屋学院大の小林甲一教授は「万博運営側は当初のお祭り気分のまま続けてきたが、世の中は(震災や物価高騰で)急速に変化し、感覚の違いが顕在化した」との見方を示す。
 お笑いの本場だからといって、いつまでも大喜利の冷笑で済まされるわけはない。人心は確実に離れている。

 

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