父娘の再会拒む「国家安全」とは 政治部・中沢穣(2024年3月6日『東京新聞』ー「視点」)

 
2日、東京都内の葬儀場で営まれた唐正琪さんの葬儀。母(右)はひつぎをいつまでもなでていた=中沢穣撮影

2日、東京都内の葬儀場で営まれた唐正琪さんの葬儀。母(右)はひつぎをいつまでもなでていた=中沢穣撮影

 中国の人権派弁護士だった唐吉田(とうきつでん)氏の長女、正琪(せいき)さん(27)が2月下旬に東京都内で亡くなった。2日に自宅近くの斎場で営まれたキリスト教式の葬儀では、中国人牧師の言葉がいっそう切なく響いた。「彼女と別れがたいが、この別れは一時的なものです。わたしたちは天国で彼女と必ず再会します」
 葬儀には、正琪さんの母や友人のほか、3年近くに及んだ正琪さんの療養生活を支えた支援者やヘルパーらが集まった。しかし父、唐氏は中国当局に拒まれて来日できず、最後の再会はかなわなかった。正琪さんの母はひつぎに手をつき、「お母さんと一緒に家に帰ろう。お父さんも、おばあちゃんも待っているよ」と涙を流した。
 支援してきた東大大学院の阿古智子教授によると、日本での大学進学を目指して語学学校に通っていた正琪さんは21年4月、結核性の髄膜炎で倒れて救急搬送された。搬送後も3日間は意識があり、付き添った阿古教授の体調などを気づかっていたという。しかしその後は意識が戻らず、都内の自宅アパートで療養していたが、今年2月20日に肺炎で亡くなった。
 唐氏は、土地の強制収用の被害者や中国当局に敵視される気功集団「法輪功」関係者ら社会的弱者の代理人を務めた人権派弁護士だった。自身も当局の弾圧を受け、10年には弁護士資格を剝奪された。
 正琪さんが倒れた直後から何度も出国を試みたが、中国当局は許さなかった。21年12月から約1年間は当局に拘束され、その後も軟禁状態にあるもようだ。阿古教授が正琪さんの死去を伝えた後、2月22日以降は連絡が途絶えた。支援者によると、死去から10日以上もたってからの葬儀は、唐さんの来日をギリギリまで待ったからという。
 中国当局が政権に批判的な人物に圧力をかけるため、家族を巻き込む事例は珍しくない。例えば唐氏と同じ元人権派弁護士、王全璋(おうぜんしょう)氏の長男は19年9月、北京で小学校に入学後、数日で登校できなくなった。当局が学校側に圧力をかけたためだ。当時取材した際、長男は「ママ、なんで学校に行けないの?」と涙を流していた。当局の妨害は転校先でも続き、現在まで満足に通学できた期間は少ない。
 中国当局が唐氏の出国を拒んだのは「国家安全に危害を及ぼす恐れがある」ことが理由とされる。習近平(しゅうきんぺい)政権は「国家安全」を最重視しており、李強(りきょう)首相は5日の政府活動報告で29回も「安全」に言及した。ここでの「安全」の意味は幅広く、環境や食料なども含むが、特に重要なのは共産党体制の維持と安定だ。
 しかし父娘の再会が天国でしか許されないのは理不尽だ。家族を引き裂くことで成り立つ国家安全とは何なのか。国家安全を優先するという共産党政権の論理が「一人一人の幸せを考えていない」という阿古教授の指摘にうなずくしかない。(政治部)