どんな資産家にも、名誉ある人にも、最期の時は平等に訪れる。死が目前に迫ったとき、多くの人が心残りに思うのは「家族」のことだという。「いい人生だった」「ちゃんとお別れできた」と深い悲しみの中でも悔いを残さないため、家族と死とどう向き合えばいいのだろうか。看取りのプロが教える最期の過ごし方を紹介する。
教えてくれた人
小澤竹俊さん/めぐみ在宅クリニック院長、森田洋之さん/医師、南日本ヘルスリサーチラボ代表
人生の最期を迎えるために知っておくべきこと
超高齢化に伴い“多死社会”を迎えた日本。「終活」はもちろん“幸せな逝き方”を考える「QOD(クオリティー・オブ・デス)」という概念も浸透し始め、最期の時をいかに過ごすか、また大切な人にどう過ごしてもらうべきかは現代を生きる私たちの大きな課題といえるだろう。しかしそこには大きな溝がある。
「人生の最期をどこで迎えたいかを考える際に、重要だと思うことは何ですか」 日本財団が2021年に発表した調査でそう質問したところ、親世代(67~81才)の95.1%が「家族の負担にならないこと」とした一方、子世代(35~59才)の85.7%は「(親が)家族等との十分な時間を過ごせること」と回答した。
親が考えている「最期」と子供が考えている「最期」にはギャップがある
看取られることを想定した67~81才と、親を看取ることを想定した35~59才(親あるいは義親が67才以上で1人以上存命)の男女を対象とした調査
【Q1】死期が迫り人生の最期をどこで迎えたいかを考える際に、あなたにとって重要だと思うことは何ですか?
【Q2】親御さんに死期が迫って人生の最期をどこで迎えたいかを考える際に、あなたからみて親御さんにとって重要だと思うことは何ですか? (単一回答マトリクス形式)
<1>一人でも最期を迎えられること 親世代(67~81才):60.1% ←親が高い 子供世代(35~39才):34.4%
<2>家族等との十分な時間を過ごせること 親世代(67~81才):69.4% 子供世代(35~39才):85.7% ←子が高い
<3>家族等の負担にならないこと 親世代(67~81才):95.1% ←親が高い 子供世代(35~39才):80.1% ※出典/日本財団 人生の最期の迎え方に関する全国調査(2021年) 親と子のすれ違いから後悔を生む
子に迷惑をかけたくない親と、家族が一緒に過ごすことが親のためになると考える子――そうしたすれ違いが今際(いまわ)の際(きわ)の「後悔」を生んでいる。めぐみ在宅クリニック院長の小澤竹俊さんが語る。 「死が迫るほど、これまで当たり前に思っていた家族の大切さが骨身に染みるという人は多いです。
しかし“子供や孫に負担をかけてはいけない”と病院での面会や一時帰宅を申し出られないと悩んでいたかたもいましたし、親子の考え方の違いや過去のいざこざなどにより、疎遠になったまま最期の時を迎えるケースも少なくない。
また、印象として記憶に残っているのは、過去に離婚して親権を失い、死に際に子供に会いたいと願っても会えないパターンです。お子さんから対面を拒否されてショックを受けることもあります」
病気で死が近づいてから、家族の“介護拒否”に遭遇する事例もよく見られると小澤さんは続ける。
「よく聞くのは、家庭内別居のような仲違いが長年続いていた中で、本人の体調が徐々に悪くなって家族に自宅で看病してほしいと頼んだら、“あんたなんか絶対にみない”と拒否され、病院でひとりで最期を迎えざるを得なくなるケース。本人は“もっと仲よくしておけばよかった”と自責の念に駆られます」
「これまでの人生に満足しているか」調査結果
全国の20~70才の男女2000人を対象に「これまでの人生に満足しているか」を聞いた調査
・非常に満足している…5.6%
・やや満足している…26.5%
・どちらとも言えない…32.1%
・あまり満足していない…20.9%
・全く満足していない…15%
※出典/PGF生命アンケート調査(2020年)
悔いのない最期を迎えるのに必要なもの
南日本ヘルスリサーチラボ代表で医師の森田洋之さんも、家族関係に悔いを残したまま旅立っていった患者の姿を幾度となく目にしたという。
「ぼくが知る資産家の男性は若い頃に家族と疎遠になったのですが、妻と子供はお金を理由に絶対に別れなかった。そんな関係が続き、男性が80代になって介護が必要になると施設に入所させられ、妻と子は施設を訪れるものの介護方針に口出しだけして、肝心の男性のお見舞いはほとんどせずに帰ってしまう。
男性と妻、子のつながりはお金だけであることが見て取れ、傍目にも気の毒でした。男性は家族の話を一切せず、若い頃の武勇伝ばかり口にして亡くなりましたが、明らかに強がっている様子で寂しそうでした」
森田さんの知る別の70代女性は、3人目の子供を出産後、子供たちを置いて蒸発した。しかし、末期がんを患うと、一転して30年以上前に自分が“捨てた”子供たちに会うことを願った。
「過去の蒸発をどれほど非難されてもかまわないので、死ぬ前に子供に一目会いたいとのことでした。人は死が現実に迫ると、親子の縁を無視できなくなるのかもしれません。その女性は、元夫に介護されながら最期を迎え、お子さんたちも数えるほどですが会いに行ったようです。お子さんたちにとっては“誰?”という思いだったでしょうが、それでも女性は最期、“家族”に会え、悔いを残さず旅立ったはずです」(森田さん)
いかに富や名声を得たとしても、自分の意思で気ままに生きたとしても、死は万人に平等にやって来る。そのとき人がすがるのは「家族の絆」なのだ。家族にまつわる“最期の後悔”で心が揺れ動くのは、見送る側も同様だ。
最も多い後悔「ジレンマ」の実例
「もっと親孝行したかった」「もっと自分にできることがあったのでは」―――親を看取った多くの子はそんな思いにとらわれる。
最も多い後悔は「ジレンマ」によるものだ。ジレンマとは、2つの選択肢がありどちらを選んでも不利益になる状況を示す。
たとえば、延命治療はしないと決めていた90代の女性が肺炎を患い、娘が「放置すると死にます」と医師に告げられたケースがある。本人は意思表示ができないため、判断は娘に委ねられたが、本人はかねて“自宅で死にたい”と望んでいたという。
「入院させれば望まない延命をすることになり、入院させなければ死に至るというジレンマです。娘は苦渋の決断で母を入院させましたが、結局治ることなく病院で亡くなり、娘は“どうせ逝ってしまうなら、希望通り自宅で介護してあげればよかった”と悔しがっていました」(小澤さん)
「寝たきりになった80代の母の希望を死後に知った」
都内在住の竹田文男さん(56才・仮名)は5年前に腰の骨を折り、寝たきりになった80代の母の希望を死後に知り、自責の念にかられたという。当時、更年期障害と診断されていた妻が体調を崩し、大学受験の息子もいて家の中がピリピリしていたので、やむなく母を施設に入所させた。
竹田さんが面会にいくと母は「ここは快適だから心配しないで」と口にしたが、体調は急激に悪化して誤嚥(ごえん)性肺炎で危篤になった。慌てて病室に駆けつけると、ベッドの脇に旅行バッグがぽつんと置かれていた。
「母が亡くなったのち、看護師から“お母さんは本当は家に帰りたくて荷物をまとめていたけど、息子に迷惑はかけられないからと黙っていたんですよ”と聞き、胸が詰まりました。“最後のわがままのつもりで伝えようかとも思ったけど、息子の困る顔は見たくないから”とも話していたそうで、母がどうせならわがままを言えばよかったと後悔していたらと思うと悔やんでも悔やみきれません」(竹田さん)
本人の意思を尊重しないことも後悔につながる。神奈川県に住む平晶子さん(50才・仮名)の70代の父は肺がんが見つかった際、祖父の代から経営する町工場の仕事を続けるため、失敗のリスクもある手術を望んだ。しかし、一日でも長生きしてもらいたい家族は父を説得し、手術ではなく放射線治療と薬物療法を選択した。
だが父は日に日に衰弱し、最後の2か月は痛み止めも効かず、薬で眠らせる治療の末に息を引き取った。
「父の闘病はあまりに壮絶でした」と平さんが語る。
「骨と皮だけでミイラのようになった父を見て、“手術した方がよかった”と苦しみました。長生きしてほしいなんて、家族のエゴだったかもしれません」
「40年連れ添った夫とこんな終わり方があるのか」
少しでも長く、穏やかに生きてほしい――切なる願いが家族と本人を苦しめるのであれば悔んでも悔みきれない。そうした悲劇を避けるためにはどうすべきか。
森田さんは「日頃から家族で腹を割って話をしていれば、いざというときに死に向き合える」と話す。
「“家族だから言わなくてもわかる” “どうせ言っても無駄だ”というのは嘘です。コミュニケーションを取らないから疎遠になり、悔いを残すことになるのです。そして、よりよい最期を迎えるためにも、普段から生死について話し合って理解し合うことが重要です」(森田さん)
ただし、「話し合い」の猶予がいつまでもあるとは限らない。別れは突然やって来ることもある。
都内在住の富樫圭子さん(60才・仮名)の夫は自身が定年退職した直後、妻をいたわるため、サプライズの温泉旅行を計画した。だが富樫さんは当日知らされたため、着替えの洋服などを準備しておらず「そんな急に言われても…」と不服をもらした。それがきっかけで夫婦げんかになり、夫はひとりで温泉に出かけたという。
その晩、自宅の固定電話が鳴った。胸騒ぎがした富樫さんが慌てて電話をとると、夫が脳梗塞で倒れたと旅館から連絡が入った。急いで駆けつけたが間に合わず、夫は息を引き取った。富樫さんが静かに語る。
「40年近く連れ添ったのに、こんな終わり方があるのかと打ちひしがれました。あのとき一緒に行っておけばこんな思いをしないですんだのにと後悔する日々です。悲しさと悔しさは一生忘れないと思います」
文/池田道大 取材/進藤大郎、清水芽々、平田淳、三好洋輝 写真/PIXTA
※女性セブン2024年2月29・3月7日号
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