【ビキニ事件70年】に関する社説・コラム(2024年3月2日)

【ビキニ事件70年】いまこそ核廃絶へ誓いを(2024年3月2日『高知新聞』-「社説」)

 かつて米国の水爆実験で被ばくした静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」の元乗組員、大石又七さんは核廃絶を訴え続けた人だった。2年前、87歳で亡くなった。
 度重なる病や高齢を押しながら行った被ばく体験の証言活動は700回超。特に若者に「核のない世界をつくって」と思いを託した。
 東京電力福島第1原発事故が、「核」の恐ろしさは平和利用の原発でさえ変わらないと示した後は、さらに声が大きくなった。その人生を懸けた願いが多くの国や人に届いていると信じたい。
 いわゆる「ビキニ事件」が70年を迎えた。
 1954年3月1日、太平洋・マーシャル諸島ビキニ環礁で米国が水爆実験を実施。広島の原爆約千個分の破壊力があるとされ、放射性物質である「死の灰」が広範囲に降り注いだ。
 周辺海域では第五福竜丸のほか、各地の漁船約千隻が操業。高知県船籍の船も多数含まれていた。被ばく者は相当数に上ったはずだが、実態は十分解明されていない。
 第五福竜丸は大石さんら23人が被ばく。約半年後に無線長だった久保山愛吉さんが死亡し、反米、反核の声が高まった。日米両政府は十分な調査や責任追及、補償もないまま幕引きを図った経緯がある。
 広島、長崎に原爆が落とされ、唯一の戦争被爆国であった日本が再び核の悲劇に見舞われた事件だった。東西冷戦による核軍拡が背景にあるが、被害者は日本政府にも見捨てられたかたちになった。
 無慈悲と無責任の極み。それが核兵器である。多くの漁船乗組員はその後、がんなどの病に苦しみ続け、事件はいまも終わっていない。
 70年の節目に改めて核兵器の恐ろしさ、愚かな歴史を捉えたい。同時に現在の厳しい現実にも目を向け、いまこそ核廃絶の誓いにつなげる必要がある。
 核の脅威は冷戦が終わり、一時落ち着くかに見えたが、いま再び高まっている。
 核兵器保有国は冷戦時代よりも拡大した。北朝鮮は核を搭載可能なミサイルの発射実験を繰り返し、核強国入りを目指している。
 ロシアも危うい。ウクライナへの軍事侵攻では核使用をちらつかせ、2000年に手続きを完了した包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准も撤回した。
 22年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議もウクライナ侵攻が影響して決裂。世界の核軍縮は一気に後退した。米中の覇権争いの激化も核軍縮に水を差す。
 核兵器禁止条約は核保有国が加わる気配がないまま、発効から3年が過ぎた。どの国より核の悲劇を知る日本も米国の核の傘に入り、不参加のままである。
 これでは核廃絶は実現しない。世界に失望が広がっているのも当然だ。まず日本が意識を変える必要がある。ビキニ事件70年を核廃絶への転換点にしなければならない。

 

ビキニ被災70年 深刻な核被害、伝え続けねば(2024年3月2日『中国新聞』-「社説」)

 静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸中部太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁周辺で操業中、米国の水爆実験で被曝(ひばく)して70年が過ぎた。乗組員23人全員が「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなった。

 その衝撃に加え、国民に身近だった魚の放射能汚染も相まって、原水爆禁止運動が東京から湧き起こり、瞬く間に列島を席巻した。占領軍によって長く封印されていた広島、長崎の原爆被害が注目されるきっかけにもなり、被爆者の全国組織が誕生した。

 広島や長崎の被爆地は、放射線による被害者、「ヒバクシャ」が自分たち以外にも存在することを知った。

  今なお深い傷痕

 核実験は米国以外の国でも多くのヒバクシャを生んだ。傷痕は今も深い。被害を繰り返さないため、広島、長崎は他の核被災地と共に、核被害の深刻な実態を国際社会に訴え続けなければならない。

 マーシャル諸島での核実験は第2次世界大戦終戦の翌年の1946年から58年までに67回、米国が実施した。中でも第五福竜丸が被曝した水爆の破壊力は強く、広島原爆の千倍ほどだった。

 甲状腺障害や流産、死産が住民に相次いだ。島や海も放射能でひどく汚染された。故郷の島から離れざるを得なくなった人も少なくない。

 放射能汚染土やがれきはドーム型の巨大な建造物を設けて封じ込めたものの、完成から40年以上たち、劣化が進んでいる。プルトニウムなどの放射性物質も含まれており、海に漏れる恐れがある。

 放射性物質による環境汚染は避けなければならない。ところが、それを軽んじるような日本の振る舞いに太平洋の国々から懸念の声が上がっている。事故を起こした東京電力福島第1原発から出る汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化した処理水の海洋放出で、昨年始まった。微量とはいえ、通常の原発排出水には含まれないセシウムストロンチウムなどの放射性物質も海に流す。太平洋の国々の不安を高めてはならない。

 救済の課題残る

 被災者救済という課題も、日本には残されている。核実験の周辺海域では、第五福竜丸の他にも、約千隻の漁船が被曝した。被災者は延べ1万人以上との見方もある。

 当時の日米両政府による「政治決着」で、米国が日本に200万ドル(当時で7億2千万円)の「見舞金」を支払うことになった。福竜丸以外の船の被災は切り捨てられ、マグロの放射能汚染の検査も打ち切られた。問題が解決したわけではないのに、だ。

 福竜丸以外の船については後に調査が進み、近年になって、救済を求める声が上がり始めた。元漁船員らが船員保険の適用(労災認定)を求める訴訟などを起こしている。

  禁止条約生かせ

 現地や日本に残る核被害の傷痕を癒やすため、3年前に発効した核兵器禁止条約を生かしたい。特に第6条。ヒバクシャに医療ケアを提供し、放射能汚染された地域の環境を改善するよう定めている。核保有国や、日本をはじめその傘の下にある国々を巻き込むきっかけにもできよう。

 ビキニ被災70年の追悼式典がきのう、マーシャル諸島であった。広島市出身の大学生や広島市立大生を含め、若者たちが日本から駆け付けた。核被害の脅威を世界に伝えるため、若い世代の役割は重要だ。禁止条約も前文で、核軍縮への女性の積極参加や将来世代への期待を示している。

 折しも世界は核被害が再び起きかねない状況に陥っている。核超大国ロシアが核兵器をちらつかせた脅しを隣国に繰り返すなどし核兵器使用のリスクが冷戦終結後、最も高くなった。各地の若者とも手をつなぎ、核なき世界を訴え続ける。節目に改めて確かめたい被爆地の使命である。