日本国憲法の制定は、大日本帝国憲法の改正手続に従って行われた。1946(昭和21)年6月、枢密院で可決された憲法改正案は、第90回臨時帝国議会に提出され、貴族院・衆議院両院で修正が行われた後、同年10月7日可決。この改正案を10月29日に枢密院が可決したことを受けて、日本国憲法は同年11月3日に公布された。公布書には、第1次吉田茂内閣の各大臣が副署しています。天皇を国の象徴とし、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本的原則とするとともに、三権分立を徹底した日本国憲法は、昭和22(1947)年5月3日から施行された。
「文化の日」を迎えた。この日を挟んだ7日までの「教育・文化週間」は、各地でさまざまな催しが行われている。改めて文化に触れる時間を過ごしてほしい。
同週間では、全国の美術館、博物館、動物園や水族館などで入館を無料にしたりイベントを開催したりと、特別な催しがある。文化庁のホームページに一覧が掲載されており、気軽に利用できる機会だ。
とはいえ、絵を見てイベントに参加することだけが文化的というわけでもない。そもそも文化とは、とてつもなく大きな概念である。
文化芸術基本法では基本的施策に芸術や芸能、生活文化が明示され、その振興・継承・発展などがうたわれている。具体的には文学、映画、落語に茶道、和食などが書かれているが、到底その範囲には収まらない。
例えば、先日亡くなった編集者の松岡正剛さんが著書で、日本文化の見方について、3つのアプローチを提示していた(『日本文化の核心』)。
なるほど多様で文化の海はかくも広く深い。さらにいえばスポーツも文化の一つで、地域におけるサッカー文化や野球の応援文化といったとらえ方もできるだろう。
概していえば、文化とは人がつくるものである。生活を高める中で得られる新たな価値の総称といえよう。では、日々の営みに文化があると考えると、最も身近なのがその中から生まれた生活文化だ。それらは華道や書道といった日本独自の文化に発展している。
一方、実は何げない日常の中にも文化はある。食事を始める際のあいさつ「いただきます」しかり、手に持つ箸や椀(わん)にも潜んでいる。ハレの日でいえばもうすぐ七五三の時期だが、そんな祝い事も、子供に着せる和服の柄の一つ一つにも、積み重ねられてきた文化の一端を見ることができる。
まずはそんな日常の小さな文化を発見してみてはいかがだろう。生きることは文化を紡ぐことである。
江戸中期の俳人、上島鬼貫(うえじまおにつら)がこんな句をひねっている。<むかしから穴もあかずよ秋の空>。秋高気爽を五七五に落とし込んだ、過不足のない描写だろう。絵筆で画布にしたためたかのような、突き抜ける青がまぶたに浮かぶ。
▼秋といえば、小説『三四郎』の一場面も思い出す。三四郎と美禰子(みねこ)、若い男女が空を見上げる。「何を見ているんです」「あててごらんなさい」。青年の問いに、美禰子は素直に答えない。互いの胸中を探り合う会話の後、こんな情景描写が続く。
▼<空はかぎりなく晴れて、どこまでも青く澄んでいる…>。場面の設定は11月3日、明治天皇の誕生日を祝う「天長節」である。『三四郎』が新聞に連載されたのは、明治41年だった。当時から晴天の多い特異日として知られていたようで「天長節日和」の言葉もあったと聞く。
▼さて今年は…と書きかけ手を止める。きのうは西日本で大雨が降り、東日本も厚い雨雲に覆われた。折からの温帯低気圧に秋雨前線が刺激され、11月らしからぬ記録的な雨量を観測した地域もあった。夏の名残か湿度も高く、秋高気爽にほど遠い。
▼今年の地球は史上最も暑い年になると見込まれる。長引いた残暑の余波は地上にとどまらず、富士山は初冠雪を見ぬまま10月を終えた。明治27年の統計開始から初めてという。<降る雪や明治は遠くなりにけり>と中村草田男が詠んだのは昭和初期だった。いまはその雪も遠い。
▼明治期に「天長節」だった11月3日は、昭和2年に「明治節」となり、戦後の改廃で「文化の日」に。明治天皇の遺徳をしのぶ日でありながら、そのよすがとなる「明治」が暦から消えて久しい。何とか呼称を取り戻せないものか。来年で昭和も100年になる。
終戦間もない1945年12月27日のことです。昭和天皇は46年の元旦に発表する詔書、いわゆる「人間宣言」について、ある指示を出しました。宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」には次のように記されています。
五箇条の御誓文に戻れ
「広く会議を興(おこ)し、万機公論に決すべし」-この一カ条は特に有名です。政治のことは会議で多くの意見を求め、話し合って決めよう-という意味でしょう。
「すでに五箇条の御誓文で民主主義を採用していると示すことが一番の目的だった。神格(否定)は二の問題だった」
「民主主義は戦後輸入のものではない。日本の誇りを国民が忘れることを心配し、わたしが希望して掲げた」
身分超えた公共の討論
「五箇条の御誓文」も案の段階では列侯会議でした。ただ、背景に朱子学者・横井小楠の「公論」の思想があったとされます。政治学者の宇野重規・東京大教授は「民主主義とは何か」(講談社現代新書)で記しています。
<小楠は、身分を超えた公共の討論によって政治を改革することを目指したのです>
「身分を超えた公共の討論」とは実に先進的です。実際の御誓文では「列侯会議」の文字を消し、「広く会議を興し」と修正しました。「公論」の言葉もあります。
そのため、この一文が日本の民主的な議会の基礎になったともいわれます。そして明治時代の自由民権運動につながったとも…。
もっとも今日、民主主義と呼ぶためには、「国民主権」が必須の条件です。国民こそが力を持ち、その声を政治に反映させるシステムなのですから…。
神格化された天皇は大きな権力を持ちました。臣下たる国民にも権利や自由がありましたが、不十分だったのは明らかです。
さて、再び冒頭に書いた終戦の年の風景に戻ります。12月26日のことでした。
「新しい戦前」の時代に
ところが、どうしたことか。政治家が改憲を叫び、軍事力の強化が進みます。「新しい戦前」と呼ばれる今日です。行く末が案じられます。心配になります。
いつかわれわれが道に迷い「帰るべき日」を問うときが来るかもしれません。その日とは、きっと平和主義の下、自由と権利が保障された1946年の「憲法公布の日」のことでありましょう。
70年前のきょう歴史に残る映画が封切られた。「ゴジラ」。水爆実験で南の海を追われた巨大な怪物が東京を襲い、放射能の熱線を吐いて破壊の限りを尽くす。その8カ月前のビキニ事件への怒りを込めた物語と言えよう
▲現実の戦後史とも重なる。ビキニでの第五福竜丸の被曝(ひばく)に危機感を抱き、いち早く原水爆禁止の署名に立ち上がったのは東京・杉並のごく普通の女性たちだ。風評被害で売り上げが減った鮮魚商の妻の訴えを踏まえて
▲70年を経た今はどうか。この衆院選で女性議員は少し増えて衆参でゴジラ公開時の5倍強となったが、まだ全体の2割以下。国連の委員会も何とかせよと勧告した。思えば11月3日は男女平等をうたう日本国憲法の公布日でもある。
没文化(2024年11月3日『琉球新報』-「金口木舌」)
中国語に「没文化」という言い回しがある。「没」は「持っていない」の意。直訳すると「学問がない」「教養がない」となる。「そんなことも知らないのか」と突っ込む形で使い、小ばかにした意味合いを含む。日本語にはない表現だ
▼「文化」の意味は「哲学・芸術・宗教などの精神的活動によって作り出され、生活を高める価値を生み出すもの」などと辞書にある。「没文化」を字面通り「文化がない」と捉えると別の意味が浮かぶ
▼明治天皇の誕生日でもあるこの日を「明治節」と定めて、国に忠誠を誓った時代への反省を心にとめながら考える。今の日本は文化の日にふさわしいだろうか。今回の米軍と自衛隊の共同演習を見ても、憲法がうたう平和主義とは相いれない動きが国内に広がっている
▼この祝日が希求する自由と平和、文化は守られているか。理念と現実の乖離(かいり)は大きい。「没文化」の三文字がふと頭をよぎる。