憲法記念日に関する地方紙等の社説・コラム(2024年5月3日)

きょう憲法記念日 国民主権を取り戻す時だ(2024年5月3日『北海道新聞』-「社説」)
 
 日本国憲法の施行から77年がたった。自民党派閥の裏金問題を巡り、かつてない深刻な政治不信が渦巻く中で憲法記念日を迎えた。
 政治とは誰のもので、誰のためにあるのか。民主政治の原理を根本から問わねばならない事態だ。
 答えは憲法前文にある。主権は国民にあると宣言し、こう続く。
 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」
 厳粛な信託を受け憲法擁護義務を負う代表者、つまり国会議員が裏金をつくり、信頼を失墜した。憲政の危機だ。信を失った人たちに憲法改定を議論する資格はない。
 国民主権を取り戻し、議会制民主主義を鍛え直す。それが今日、国の最高法規憲法が私たちに課す最重要の命題ではないか。
■政治に緊張感与えよ
 政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるよう政治資金の収支を公開し、政治活動の公明と公正を確保し「もって民主政治の健全な発達に寄与する」。政治資金規正法は目的をこう記す。
 それと正反対に収支を監視から遮断する。政党が支給する政策活動費を、自民党は「政治活動の自由」を盾に使途の公開すら拒む。
 第2次安倍晋三政権下の森友学園桜を見る会の問題では、決裁文書改ざん、事実と異なる数々の首相答弁など、隠蔽(いんぺい)体質が真相究明を阻んだ。裏金問題と同根だ。
 長く続いた1強多弱の政治が権力のおごりを生み、不正の土壌になってきたのではないか。
 国民の側も問われている。
 国政に強い関心を持ち続け、不正に毅然(きぜん)と抗議の声を上げる。信を託すに値しないと判断したら選挙で厳しい審判を下す。そうやって政治に常に緊張感を与えるのは、主権者の責務でもある。
■再び破局へ進まぬか
 1946年11月の憲法公布に際し、衆院憲法改正特別委員会の委員長を務めた芦田均は次のような趣旨のことを書き残した。
 明治期の自由民権思想は結実しなかった。自由思想の成熟すべき地盤が用意されていなかった。
 古来わが社会生活は、個人が集団の内に埋没して、人格の自主自由に基づく個性の独立という現象は極めて希薄であった。
 従って満州事変以降、政権が武門の手に移っても、議会、国民共に立憲政治を擁護する情熱に乏しく、面従腹背の日を重ねて今日の悲運を招いたのである。
 吾等は改めて民主主義の真髄を体得する必要に迫られた。(「新憲法解釈」)
 民主主義の基盤の弱さから、軍部の独走を許し破局に至った。過去の話と片付けられようか。
 安倍政権は知る権利を脅かす特定秘密保護法制定や集団的自衛権の行使容認など、日本を「戦争ができる国」に導く道を進んだ。
 岸田文雄政権は敵基地攻撃能力の保有を認め、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の輸出解禁を閣議決定した。
 まともな国会論議がないまま、武力による国際紛争の解決を否定した憲法9条の空洞化が進んだ。
 今国会では秘密保護法制の拡大を主眼とし、保護対象を経済安全保障分野にも広げる「重要経済安保情報保護・活用法案」が衆院を通過した。
 憲法が国家権力を縛る立憲主義をないがしろにし、国家が国民を監視し統制を強める。立法府による行政府へのチェックが弱く、三権分立も十分に機能していない。
 その結果、国が誤った方向に進んでいるとも気付かず、気付いても正すことができなくなる―。
 私たちはいつか来た道を歩んでいるかもしれないとの認識を持ち、権力を監視する必要がある。
■「任期延長」の危うさ
 衆院憲法審査会では大規模災害や武力攻撃など緊急事態時の国会議員の任期延長を中心に、自民、公明、日本維新の会、国民民主の4党が条文案作成を求めている。
 だが憲法54条は、衆院解散後に緊急の必要があるときに備えた参院の緊急集会を規定している。
 そこに屋上屋を架すような任期延長は、有権者が選挙権を行使できなくなり、国民主権が侵害される危険性に警戒が必要だ。政権の延命に利用される恐れがある。
 大規模災害や感染症のまん延などの際、国が自治体に「指示権」を行使できる条項を盛り込んだ地方自治法改正案も提出された。
 憲法の緊急事態条項新設へとつなげる狙いが透けて見える。
 安倍政権では、憲法53条に基づいて野党が臨時国会の召集を求めても政府は無視し、大義の乏しい衆院解散を繰り返した。
 立憲主義軽視の政権が、「緊急事態」を口実にさらに恣意(しい)的な権力の行使を可能とするような改憲は認められない。
 
日本の憲法(2024年5月3日『北海道新聞』-「卓上四季」)
 
 柴田元幸さんは英米文学の名うての翻訳家である。オースター、サリンジャーブコウスキー…。こうした人気作家の作品を柴田さんは生き生きとした日本語で幅広く届けてきた
▼この達人が日本国憲法の英訳版を和訳した(「対訳 英語版でよむ日本の憲法」)。どういうことか。敗戦後の占領下、日本政府の官報は日本文と英文の2種あった。憲法の公布時に憲法の英訳版が英文官報に掲載された。これを先入観を持たずに<宇宙人の目>で翻訳した
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▼幸福追求権を定めた13条はこうなった。<人はみな、個人として尊重せねばならない。生命・自由の権利、幸福を追求する権利は、それが公の福利を妨げないかぎり、法律の制定をはじめ国政において何より尊重せねばならない>
▼この条文に柴田さんはアメリカ独立宣言の響きを聞き取ったという。確かに日本国憲法にはフランス革命時の人権宣言をはじめ、人類が掲げてきた理想や知恵が流れ込んでいる。達意の翻訳だからこそ、憲法の本質や精神がよく表れたともいえるだろう
▼かつて池澤夏樹さんも同様の翻訳を試みている(「憲法なんて知らないよ」)。戦争放棄を含めて、憲法の理念の実現へ向けて努力が必要だ―。前書きで呼び掛けた。世界で戦禍が続くいま、重みを増している
 
キャプチャ2
▼きょうは憲法記念日だ。言葉の専門家である文学者の試みから、憲法を考えてみるのもいいだろう。
 
憲法記念日 理念確認し針路の議論を(2024年5月3日『東奥日報』ー「時論」/『山形新聞』ー「社説」/ 『茨城新潮・山陰中央新報佐賀新聞』-「論説」)
 
 札幌高裁は今年3月、同性婚を認めない民法などの規定を憲法違反とする判決を下した。
 関連の規定は「法の下の平等」を定めた憲法14条とともに、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」とした24条1項にも違反するとの判断を初めて示したのだ。
 判決はまず「個人の幸福追求権」を定めた13条に基づいて「同性婚の自由は、憲法上の権利として保障される重要な法的利益だ」と指摘。24条1項について「制定当初は同性婚が想定されていなかった」が「個人の尊重がより明確に認識されるようになった背景の下で解釈されることが相当だ」と述べた。
 そこから読み取れるのは、憲法の基本原理である「基本的人権の尊重」を実践しようという裁判官の強い意志だろう。
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という普遍的な理念を基本原理とする日本国憲法は施行から77年を迎えた。
 時代とともに社会は変化し、国際情勢も変わる。だが、憲法の基本理念の持つ意義は不変であることを、札幌高裁判決は明確に示したと言える。
 ただ札幌高裁の判決は「異例」と言わざるを得ないのが現状ではないか。基本原理は今、本当に守られているだろうか。
 特に大きく揺らいでいるのが平和主義だろう。2016年に施行された安全保障関連法で、それまで行使できないとされてきた集団的自衛権の行使が解禁された。
 岸田政権は22年12月に改定した「国家安全保障戦略」で、防衛費を国内総生産GDP)比2%に倍増し、相手国の領域内を直接攻撃できる「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有を決定。また、武器輸出規制も緩和し、殺傷能力を持つ戦闘機の輸出にも道を開いた。
 そして、これらの変更は国民の代表である国会の審議を経ず、内閣による閣議決定で決められた。「国民主権」もないがしろにされたのだ。
 それでも戦闘地域への武器輸出が制限されるなど一定の歯止めが盛りこまれたのは憲法の平和主義があるからだ。基本理念を今後どう生かしていくのか。私たちは岐路に立つ日本の針路を考えるために憲法の基本理念を再確認し、真剣な議論を尽くしたい。
 日本国憲法は条文が短く、法律に委ねられる部分が多いため、条文改正は必要性が少ないとされる。だが、岸田文雄首相は自らの自民党総裁任期中の改憲を目指すと言明。衆院憲法審査会では、自民や公明、日本維新の会、国民民主の各党が改憲条文案の作成作業に入るよう主張している。
 焦点は、大規模災害時などに国会議員の任期を延長できるようにする「緊急事態条項の新設」だ。確かに衆院議員の任期満了時に震災などが起きれば衆院選が実施できない事態が起こりかねない。
 しかし拙速な議論は禍根を残す。参院議員は3年ごとに半数が改選され、残る半数で緊急集会が開ける。議員不在の事態を避けるための規定だ。任期延長は国民の選挙権行使の機会を奪うことにもなりかねない。
 岸田首相は9月の自民党総裁任期までに改憲実現の見通しが立たない現状に対して「危機感を感じている」と答弁した。国の根幹である憲法改正の議論には幅広い合意の形成が必要だ。自らの任期を理由に改憲を急ぐのは、憲法論議を冒瀆(ぼうとく)する姿勢というしかない。(共同通信・川上高志)
 

憲法と企業・団体献金 温存狙いの曲解が目に余る(2024年5月3日『河北新報』-「社説」)

 

 見返りを求めれば賄賂に当たり、求めなければ背任に当たる。企業・団体の政治献金は、法的にも倫理的にも複雑で微妙な問題をはらむ。

 世論の批判に背を向け「もらい得」を続けてきた政治の側が憲法上の「寄付の自由」を盾に見直しの議論さえ拒むのはあまりに虫が良過ぎる。

 既得権を守るため、故意に憲法を曲解していると批判されても仕方あるまい。

 自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件を受け、後半国会最大の焦点となった政治資金規正法の改正を巡る議論は企業・団体献金の扱いで平行線が続いている。

 立憲民主党など野党が禁止を求めているのに対し、自民党が先月示した独自案は検討項目にも加えていない。

 岸田文雄首相は2月の衆院予算委員会で「憲法上、政治活動の自由の一環として、企業は寄付の自由も有する」と答弁し、見直しを迫る野党の要求を突っぱねた。

 論拠としたのは1970年の判決。株主が自民党への政治献金を行った経営陣を訴えた八幡製鉄政治献金事件で、最高裁が「会社は政治的行為をなす自由を有する」「政治資金の寄付もその自由の一環」と判示したことだ。

 だが、この判決は首相が言うほど単純ではない。企業による巨額の寄付が金権政治を生みかねないことも指摘し、そうした弊害への対処は「立法政策に待つべきことだ」とくぎを刺してもいる。

 法律論的には今なお(1)政治献金が企業の権利能力の範囲内と言えるか(2)社員らの思想信条の自由や政党支持の自由を侵害しないか(3)個人では不可能な巨額献金参政権の平等をゆがめないか-などを巡って論争が続いている。

 政権が判決の都合の良い部分をつまみ食いするような態度は、厳に慎むべきだろう。

 そもそも企業・団体献金は1994年の政治改革で一度は禁止が決まったものだ。

 政治家個人への献金政党交付金制度を導入する代わりに禁じられた。政党への献金も「5年後の禁止」で合意したにもかかわらず、99年の改正では自民党の意向で政党支部などへの献金を容認したまま現在に至っている。

 禁止したはずの政治家個人への献金も、政党支部から政治家の資金監理団体への資金移動が可能なため、迂回(うかい)する「抜け道」が残されてきた。

 憲法上、表現の自由(21条)に由来する「政治活動の自由」は、もとより政治家がカネを受け取る自由ではない。

 政治への発言力が平等かつ公正公平でなければならないことは、法の下の平等(14条)と参政権(15条)の規定からも明らかだ。

 企業・団体献金の禁止を求める声は、最近の世論調査でも多数を占める。主権者たる国民は、憲法を曲解してまで抜本改革から逃れようとする自民党のエゴを既に見透かしていることを自覚すべきだ。 

 

憲法施行77年 性急な議論は分断招く(2024年5月3日『秋田魁新報』-「社説」)

 日本国憲法はきょうの憲法記念日で施行から77年を迎えた。岸田文雄首相は9月の自民党総裁任期までの憲法改正実現への意欲を繰り返し強調している。

 しかし国会の改憲論議は、自民党などの改憲勢力立憲民主党などの間で平行線のまま。国民の間に改憲の機運が高まっているとは言えない。総裁任期までという期限ありきで国会が結論を急げば、国民の分断を招くことにもなりかねない。慎重に議論を重ね、幅広い合意の形成に努めるべきだ。

 国会の憲法審査会では、緊急事態条項の新設に関する議論が焦点となっている。衆院解散後に災害などで選挙が実施できない場合、議員の任期を延長できる改正をするか否かだ。

 衆院では自民、公明、日本維新の会、国民民主各党などの改憲勢力は緊急事態条項を必要とする立場で一致。議論を加速させようと条文案の作成作業に入ることを求めている。

 これに対し立民は、憲法が規定する参院の緊急集会で対応可能などの理由で不要と主張している。緊急集会は衆院解散後に国会の議決を必要とする緊急の問題が発生した場合、参院が国会権能を暫定的に代行する制度。共産党改憲自体に反対している。

 憲法は、衆院解散から40日以内に総選挙を行い、選挙の日から30日以内に特別国会を召集するよう規定。これを基に改憲勢力は、緊急集会で70日間を超える長期間の対応は困難としているが、憲法学者からは緊急時に日数にこだわる必要はないとの見解も出ている。憲法審は議論を重ねる必要がある。

 維新は今国会中の発議にこぎ着けるため、立民や共産を協議から除外することにまで言及している。あまりに乱暴な意見だ。数の力で押し切るようなやり方は国民の理解を得られない。

 憲法の平和主義の理念が大きく揺らいでいる。政府は2022年12月に安保関連3文書を改定し、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を明記。防衛費を27年度に国内総生産(GDP)比2%に倍増することを決めた。さらに今年に入ってからは、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国への輸出を条件付きで解禁した。

 しかもこれらはいずれも、国民の代表である国会で十分に議論されることがないまま、閣議決定されている。国民主権がないがしろにされていると言わざるを得ない。

 共同通信社が3~4月に実施した世論調査によると、国会の改憲論議を「急ぐ必要はない」との回答は65%に上った。9条改正の必要性については「ある」51%、「ない」46%と拮抗(きっこう)。必要とする理由は「安保環境の変化」が67%を占めた。

 国民の安保環境への不安は大きい。とはいえ憲法の平和主義を軽々に揺るがすことがあってはならない。党派を超えた議論を尽くすべきだ。

 

憲法記念日 理念再確認し議論深めよ(2024年5月3日『福井新聞』-「論説」)
 
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という普遍的な理念を基本原理とする日本国憲法は施行からきょうで77年を迎えた。ただ、こうした基本理念は今、本当に守られていると言えるだろうか。とりわけ、平和主義は大きく揺らいでいるのではないか。
 安倍晋三政権下の2016年に施行された安全保障関連法で、それまでできないとされてきた集団的自衛権の行使が解禁された。岸田文雄政権では22年12月に改定した「国家安全保障戦略」により、防衛費を国内総生産(GDP)比2%に倍増し、相手国の領域内を直接攻撃できる「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有にかじを切ったばかりか、武器輸出の規制も緩和し、殺傷能力を持つ戦闘機の輸出にも道を開いた。
 問題は、岸田政権下の変更は国民の代表である国会の審議を経ず、内閣による閣議決定で決められてきたことにある。「国民主権」という基本理念がないがしろにされてきた。それでも戦闘地域への武器輸出が制限されるなど一定の歯止めをかけざるを得なかったのは、憲法の平和主義があったからこそだろう。私たちは岐路に立つ日本の針路を考えるために憲法の基本理念を再確認し、議論を深める必要がある。
 基本的人権の尊重でいえば、同性婚を認めない民法などの規定を憲法違反とする今年3月の札幌高裁判決に注目したい。「法の下の平等」を定めた憲法14条とともに、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立する」とする24条1項にも違反するとの判断を初めて示した。13条の「個人の幸福追求権」に基づき「同性婚の自由は憲法上の権利として保障される重要な法的利益だ」と指摘。「個人の尊重がより明確に認識されるようになった背景の下で解釈されることが相当」と述べている。
 札幌高裁の判決から導きだされるのは「基本的人権の尊重」を実践しようという裁判官の強い意志にほかならない。確かに、時代とともに社会は変化し、国際情勢も変わる。だが、憲法の基本理念の持つ意義は不変であることを高裁判決は明確に示したといえる。
 岸田首相は自らの自民党総裁任期中の改憲を目指すと言明している。焦点は、大規模災害時などに国会議員の任期を延長できるようにする「緊急事態条項の新設」だが、拙速な議論は禍根を残す。参院議員は3年ごとに半数が改選され、残る半数で緊急集会が開けるし、任期延長は国民の選挙権行使の機会を奪いかねない。首相は総裁選までに改憲の見通しが立たない現状に「危機感を感じている」と述べたが、自らの任期を理由に改憲を急ぐのは許されるはずがない。
 
 
憲法記念日 果たす役割は依然大きく(2024年5月3日『新潟日報』-「社説」)
 1947年5月3日に憲法が施行され、77年となった。ウクライナパレスチナなど世界各地で戦火が広がる中で迎えた憲法記念日だ。
 アジアでも軍事的な緊張感が高まっている。それでも私たちは戦争をしないで暮らしてこられた。その大きな理由に憲法があることは明らかだ。
 平和憲法の意義や果たしてきた役割を改めて胸に刻み、世界の平和のためにできることを考えていきたい。
 ◆絶えない世界の戦火
 ロシアがウクライナに侵攻して2年2カ月が過ぎた。ウクライナ国内はロシア軍の攻撃にさらされ、亡くなった人は民間人だけで1万人を超えている。
 侵攻が長期化する中、昨年10月には中東のパレスチナ自治区ガザで新たな争いの火の手が上がった。ガザを実効支配するイスラム組織ハマスイスラエルの戦闘だ。
 ハマスイスラエルを奇襲し市民を殺害、拉致したことがきっかけだが、その後のイスラエルの反撃は度を越している。
 難民キャンプや病院、学校への攻撃が繰り返されている。ガザ保健当局によると、死者は3万4千人を超える。飢餓も引き起こし、人道危機は深刻だ。
 ウクライナとガザで起きている惨劇を思うと、胸が引き裂かれる思いがする。
 先の大戦では日本も米軍による激しい攻撃にさらされた。国内の主要な都市は焼夷(しょうい)弾などによる無差別爆撃を受け、広島と長崎には原爆が投下された。
 県内でも長岡市が大規模な空襲を受けた。街は一面焼け野原となり、1480人余りの尊い命が失われた。
 多くの犠牲者を出し、アジア諸国にも甚大な惨禍をもたらした戦争への反省から生まれたのが、日本国憲法だ。
 軍部などの暴走を許した国のありようを抜本から改め、国民主権基本的人権の尊重、平和主義を三大原則とした。9条では戦争放棄をうたった。
 現在のウクライナやガザの惨状を見るとき、平和憲法を持つ日本だからこそできることはないかと考える。
 米国に追従するだけでなく、よって立つ憲法の理念に沿って国際平和を求める動きを強めるべきではないか。
 ◆高まらぬ国民的議論
 岸田文雄首相は折に触れ、憲法改正への意欲を示す。
 3月の自民党大会では、「任期中に実現する思いで条文案の具体化を進め、党派を超えた議論を加速する」と述べ、党総裁任期である9月までの憲法改正を目指す意向を重ねて示した。
 憲法改正を党是とする自民党は2012年に憲法改正草案を策定した。
 18年には、9条への自衛隊明記、緊急事態条項の新設、参院選「合区」解消、教育充実について盛り込んだ党改憲案4項目をまとめている。
 集団的自衛権行使を容認する安全保障関連法を成立させた安倍政権に続くように、岸田政権は安保関連3文書を閣議決定し、他国領域のミサイル基地などを破壊する反撃能力(敵基地攻撃能力)保有に踏み切った。
 防衛費の増額を決定し、防衛装備移転三原則の運用指針を改定して殺傷能力のある武器輸出を決めた。
 中国や北朝鮮が軍事的な動きを強めていることが背景にあるのだろう。
 だが、9条に関わる安保政策の転換を十分な国会論議をせず、国民不在のまま決めてきた手法には疑問がある。
 共同通信社世論調査では、憲法改正の国会議論に関し「急ぐ必要がある」は33%にとどまり、「急ぐ必要がない」が65%に上った。
 改憲の必要性については「ある」が75%、「ない」が23%となったが、9条改正の必要性については「ある」51%、「ない」46%と賛否が拮抗(きっこう)した。
 これらの結果から分かるのは国民は拙速な改憲の動きを望んでおらず、改憲の機運も十分ではないということだ。
 憲法には、国家権力に縛りをかける役割がある。
 憲法に従って政治を行うことは当たり前であり、解釈を権力者に都合よく変更したり、形骸化させたりするようなことは許されない。
 国民の十分な議論を踏まえず、変更を加えることはあってはならない。
 77回目の憲法記念日に、このことを確認しておきたい。
 
(2024年5月3日『新潟日報』-「日報抄」)
 その詩はこんなフレーズで始まる。〈私は決めた。ちゃんとした選挙で選んだ代表の人たちで 国会を作り その代表の人たちを通して 私が行動することを。〉。内容はどこかで聞いたことがあるような…。日本国憲法の前文である
▼詩人の白井明大(あけひろ)さんが〈日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…〉という冒頭部分を詩の形にした。著書「日本の憲法 最初の話」では、憲法労働基準法などの条文を大胆に詩訳している
▼婚姻について定めた憲法24条は〈両性の合意のみに基づいて成立し…〉と定める。この規定を白井さん流に詩訳すると、こうなる。〈私は あなたと あなたは 私と 「結婚します」という お互いの合意 のみが 結婚成立の唯一の条件〉
 
キャプチャ
▼同性同士の結婚を認めない民法などの規定が憲法違反かどうか問われた裁判では、違憲違憲状態とする判決が相次いでいる。国側は24条について「両性は男女を示す」と同性婚を認めていないが、3月の札幌高裁判決では「同性間の婚姻も異性間の場合と同じ程度に保障していると理解できる」との判断が示された
▼白井さんの詩訳も〈私〉と〈あなた〉で構成されており、異性婚であれ同性婚であれ、大切なのは2人の意思だけなのだと平易な言葉で訴えている
憲法の条文は硬質で読むのに苦労することもある。詩の形であれば、多くの人が理解する手がかりになる。憲法がうたう精神を改めて感じてみたい。きょうはそういう日である。
 
平和憲法と今の世界 戦争を避ける道標として (論説主幹 五十嵐裕)(2024年5月3日『信濃毎日新聞』-「社説」)
 
 今日のウクライナ、今日の台湾は「明日の日本だ」。だからもっと抑止力を強化せよ―。
 戦禍と緊張の報を聞き続けた耳にシンプルなフレーズが抵抗なく入ってくる。憲法の平和主義は「やはり今の時代に合っていない」と、諦めを促すように。
 そんな空気を帆に受けながら、現実の政治が動いている。
 日本の防衛に米国をもっと引きずり込みたい。そう考えた岸田文雄首相は訪米して同盟の深化を約束した。自衛隊在日米軍はこれまでよりずっと一体化する。
 中国を包囲する力に自衛隊を引きずり込みたい米国も大歓迎だ。既に岸田政権は敵基地攻撃能力の保有を決め、米国からミサイルを大量購入し、防衛費を大幅に積み上げることにした。
 ロシアの侵攻から2年余。戦争を止められなかった事実に学ぶべきは抑止力の増強か。イラク戦争自衛隊の派遣を統括した経験から非戦を訴え続ける元防衛官僚の柳沢協二さん(77)に尋ねた。
■思考停止の同盟依存
 「教訓は、抑止の理論が破綻しているということ」
 どういうことか。侵攻の準備を進めていたロシアに対し、米国は警告を繰り返したが、米軍のウクライナ派兵は否定した。撃ち合えば世界大戦になるからだ。
 抑止とは、力を持ち、使う意思を示すことで成り立つ。だが、決意を固めたロシアに、強大な力を使う意思は示さなかった。
 核大国の間で抑止が効いても、周辺国への武力行使を米国は止められない―。この現実に「多くの国が大国との間で新しいバランスを模索している」と柳沢さん。
 東アジアの現状を冷静に見つめてみたい。中国が戦争を起こすとしたら、その理由は何か。まず、主権と領土に関わり、妥協できない台湾独立の阻止。そして権力の存立を脅かす力の排除だ。
 中国には日米「軍事」同盟の拡大が脅威に映る。米国の対中戦略に付き従う日本は、戦争から遠ざかっているのか。あるいは中国に「自衛戦争」をさせる導火線をつくっているのか。
 いずれにせよ、「日米同盟にすがってさえいれば安全だという理解は時代遅れの思考停止」(柳沢さん)といえるだろう。
 安全保障には、力頼みの抑止とともに「安心供与」という手法がある。譲れない一線を互いに理解して、そこを越えないことで戦争の動機をなくしてゆく。
■安心を与え合う努力
 欧米が対ロシア外交で決定的に欠いていたものだ。今、米中が対立しながら対話を重ねるのも、抑止の失敗を恐れるからだろう。
 日本は戦後長く、武力で外国を脅かさずに歩んできた。
 1947年。国際社会を信頼して二度と世界を脅かさないと誓った憲法を施行。平和国家としての信頼は今も失われていない。
 1955年。「専守防衛」を国会で答弁。もっぱら自国の防衛に努める原則は、米軍との一体化に一定の枷(かせ)として働いた。
 2014年。安倍晋三政権は憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊を「米国の戦争」に近づけた。政治は今、武器輸出の要件も緩め、憲法の器から「平和」を抜きつつある。
 中国の軍事大国化、領空・領海への接近、北朝鮮のミサイル開発、中台の緊張。いずれも深刻な問題だ。だからこそ解決の日まで戦争だけは避けねばならない。
 どんな戦争も際限なく人を殺し、殺され、終わりは見えない。
 抑止が破綻した世界に必要なのは、安心を与え合う地道な努力だ。それを広げてゆく理念と歩むべき道を憲法が示している。
 〈国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する〉(9条)
 戦争はしないという約束は、今の時代に合っている。
 
災害と憲法/「個人の尊重」を復興の理念に(2024年5月3日『神戸新聞』-「社説」)
 
 日本国憲法はきょう、施行77年を迎えた。健康で文化的な日常生活を送っているとき、憲法の存在を意識する場面は少ない。
 だが、発生から4カ月たった能登半島地震の被災地に目を向ければ、まだ多くの住民が最低限度にも及ばない避難生活を強いられている。
 全世界の人々が恐怖と欠乏を免れ平和に生きる権利を持つ、と憲法が掲げる崇高な理想との差は、どこからくるのだろう。
 憲法は、戦後復興の険しい道を照らす光となった。人権が危機にさらされる災害時にこそ、その理念を追求し、実践する意義があるはずだ。憲法記念日に考えてみたい。
    ◇
 兵庫県弁護士会津久井進さんは阪神・淡路大震災が起きた29年前に弁護士となり、相次ぐ災害の被災地で法律相談に取り組んできた。復興のさまざまな壁にぶつかり、あるべき法制度を研究するうち「憲法はこの国の復興を目指してつくられた。復興基本法憲法だ」との考えに至ったという。その視点から、憲法制定の経過をたどってみよう。
 当時の日本は、戦争と度重なる自然災害に見舞われ、荒廃した国土の復興が緒に就いたばかりだった。そんな中、敗戦の3カ月後には政党や民間の研究会などがそれぞれ新憲法の草案を発表し、憲法論議が活発化する。携わった人々は、焼け野原からの復興を遂げる決意と、誰もが安心して暮らせる国の理想を新憲法に刻み込もうとしただろう。災害で変わり果てた古里を前に再出発を誓う、現代の被災者の心情とも重なる。
■険しい道を照らす
 1947年5月3日、神戸新聞朝刊は「自由と平和へ」「民主日本の輝く門出」との見出しで新憲法の施行を祝った。当時の吉田茂首相は「われわれが生活の末端まで新憲法の精神を徹底させるならば、遠からず平和国家、文化国家として復興し、世界において名誉ある地位を占めることができると信じて疑わない」との談話を寄せている。
 神戸市内には花バス、花電車が走り、小中学校では記念のスポーツ大会が開かれたという。全国各地で同じような光景が繰り広げられた。
 国民主権を宣言し、平和と民主主義の国として歩むと誓う新憲法は戦後復興の道しるべとなった。敗戦から立ち直ろうとする国民に希望をもたらす存在だったことが伝わる。
 被災者支援の理念も憲法の中に見いだせる。国は基本的人権を尊重し、地方自治を実現し、国民の生命財産を守らねばならない。中でも「すべて国民は、個人として尊重される」とうたい、自由と幸福を追求する権利を明記した13条は「一人一人を大切にする復興の神髄を表している」と津久井さん。
 その後、憲法の理念を具体化する法律が次々に誕生した。47年10月施行の災害救助法もその一つだ。避難所設置や仮設住宅の提供、炊き出しと飲料水の供給など応急期に被災者を救済するのが法の目的とされた。
 だが今、その理念が十分生かされているとは言い難い。
 津久井さんは今回、能登の被災者の相談を受けていて、気がかりなことがあるという。退去期限が心配で仮設住宅の入居を躊躇(ちゅうちょ)する人や、災害公営住宅が建設されても家賃が払えないと不安がる人など、この地に住み続けることを早くも諦めようとする空気を感じるのだ。
■生活と幸せの回復
 被災当初の能登は、道路の寸断もあって物資が十分行き渡らず、断水は長引き、炊き出しも限られた。避難所の劣悪さは29年前の再現のようだった。仮設住宅建設はスピード感が乏しく、広域避難に応じた人の追跡は不十分で、被災建物の公費解体も遅れている。一番必要な時に、救助法が機能しなかったに等しい。
 津久井さんは「災害法制は被災者の生活と幸せを回復するためにある。その理念に沿って運用すれば、これほど悲惨な状況は生じないはず。行政は細かい基準にとらわれ憲法の理解が欠けている」と指摘する。
 象徴的なのは、ボランティア活動への対応である。阪神・淡路では3カ月で120万人近くが駆けつけたとされる。だが石川県は交通渋滞の懸念などを理由に受け入れを絞り、まだ約7万人にとどまる。一通りの仕組みはあっても、立ち上がろうとする被災者に寄り添う支え手が圧倒的に足りていない。
 今後、復旧復興が本格化する。支援制度の線引きからこぼれる人がいないよう関係機関が連携し、一人一人の困難さに応じて支える災害ケースマネジメントに取り組むべきだ。
 
憲法記念日 地方目線でも議論が必要(2024年5月3日『山陽新聞』-「社説」)
 
 日本国憲法はきょう、施行から77年となった。岸田文雄首相が憲法改正の実現目標期限として掲げる自民党総裁任期の満了(9月)が近づくが、道筋が見えない中で迎えた憲法記念日である。
 国会では2021年秋の衆院選で、改憲に前向きな日本維新の会などが議席を伸ばし、22、23年に憲法改正を巡る議論が活発に重ねられた。衆院憲法審査会では、災害や感染症のまん延、他国からの攻撃といった緊急事態で国政選挙が実施しにくい場合、国会議員の任期延長を可能とする憲法改正について、自民、維新など5党派が「必要」との認識で一致した。
 だが今年に入り、議論は停滞気味だ。緊急事態条項の新設に賛成していなかった立憲民主党が、自民派閥の政治資金パーティー裏金事件の説明不足などを理由に審査会の開催に応じず、議論開始が昨年より約1カ月遅れた。
 先の衆院補欠選挙で自民が全敗するなど、政権の行方が混沌(こんとん)とする中で、首相が改憲を進める力があるとは思えない。
 多岐にわたる憲法改正を巡る論点の中で、参院選で隣接県を一つの選挙区にする「合区」の解消は急がれる。
 合区は「1票の格差」是正を目的に16年参院選から「鳥取・島根」「徳島・高知」で導入された。4県では合区を機に投票率の低下傾向が顕著だ。昨年10月の参院補欠選挙徳島県投票率は23・92%で過去最低だった。候補者はいずれも高知県を地盤としていた。
 人口という基準だけで選挙制度改革を進めれば、地域の実情に通じた議員を選ぶのが困難になり「質的な不平等」が生じかねないと指摘する識者もいる。
 自民は18年にまとめた改憲案4項目に合区解消を盛り込んだ。全都道府県から最低1人は選出できるようにするため、国会議員を全国民の代表とする憲法規定などとは別に、参院議員を地方代表と位置付ける必要があると主張する。一方、立民は法改正で可能だとする。衆院比例代表のような地域ブロック制を唱える政党もある。各党は党利党略を排して議論を進めることが求められる。
 国会では近く、地方自治法改正案の審議が本格化する。大規模な感染症や災害などを念頭に、自治体に対する国の指示権を拡大する内容だ。00年施行の地方分権一括法により、国と地方の関係は「上下・主従」から「対等・協力」に改まった。しかし、今回の改正案では、いざとなれば国が自治体を従わせることが可能になり、一括法から後退して地方分権に逆行することが強く懸念される。
 日弁連も、地方自治を規定した憲法の問題でもあると指摘している。
 地方目線での憲法議論も必要である。国会は政局とは切り離し、真摯(しんし)に憲法と向き合うべきだ。
 
岸田政権と憲法 平和主義の原点、見つめ直せ(2024年5月3日『中国新聞』-「社説」)
 
 岸田文雄首相が、自身の自民党総裁任期である9月までの憲法改正を目指す姿勢を崩していない。
 派閥の政治資金パーティー裏金事件を受け、島根1区など先の衆院3補欠選挙で党支持層の離反が浮き彫りになった。総裁選での再選や次期衆院選をにらみ、時間的に非現実的でも改憲をアピールすることで求心力を確保する狙いがあるのではないか。
 だとしたら、憲法を政治利用していると指摘されても仕方あるまい。国民は見透かしているのだろうか。77回目の憲法記念日を前に共同通信社が実施した世論調査で、改憲の国会議論を「急ぐ必要がある」は33%にとどまった。皮肉にも首相が前のめりになるほど、改憲を遠ざけている。
 首相は根っからの改憲派ではない。党政調会長だった2017年の衆院代表質問では当時の安倍晋三首相に「改正のための改正であってはならない」とくぎを刺していた。安倍氏からの禅譲を期待しながら首相の座を目指すうち、改憲の旗を振り始めた。
 岸田政権は防衛力を強化するため22年末、安全保障関連3文書の改定を閣議決定した。ロシアがウクライナに侵攻し、中国は台湾統一への野心を隠さない。北朝鮮はミサイルの発射を繰り返し、性能を向上させている。日本を取り巻く安保環境が厳しさを増しているのは確かだろう。
 だが防衛力強化の中身とその進め方は、憲法の三大原則である国民主権基本的人権の尊重、平和主義をないがしろにしていると言わざるを得ない。
 3文書には他国のミサイル発射拠点などを攻撃する敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有とともに、武器輸出に道を開く防衛装備移転三原則の運用指針見直しが掲げられた。中でも注目されたのは英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の日本から第三国への輸出解禁である。与党協議を経て3月、閣議決定された。
 14年の集団的自衛権行使容認から、閣議決定による安保政策転換が続く。本来は関連法案を提出し、国会で憲法との整合性について議論を尽くすべきだ。政策決定手続きから国民の代表を排除する運用は民主主義の形骸化を招く。改めるよう強く求める。
 憲法は前文で「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有する」と平和主義をうたう。同時に平和を人権の問題として捉える。その精神を踏まえて日本は、国際紛争を助長しないよう武器輸出を厳しく制限してきた。
 背景には銃後の市民が犠牲になった戦争の反省がある。特に米国による広島、長崎への原爆投下では、女性や子どもを含む非戦闘員に多数の死者が出た。だからこそ被爆地は核廃絶とともに、核兵器を使わせないために戦争を起こさせないよう訴えてきた。
 被爆地選出の首相はいま一度、平和主義の原点に立ち返るべきだ。「平和国家としての基本理念を堅持する」と繰り返したところで、武器が売られた先で起こるかもしれない犠牲を正当化するのであれば、平和国家とはいえまい。
 
「先送りできない課題」 憲法記念日・ごみの日(2024年5月3日『山陰中央新報』-「明窓」)
 
 
キャプチャ
九州電力玄海原発(奥)が立地する佐賀県玄海町=4月
 
 大型連休の後半に入る5月3日は、さまざまなことを考えさせられる日でもある。真っ先に思い浮かぶのが憲法記念日。1947年の日本国憲法施行を記念した日だが、改正論議がくすぶっている。
 参院の合区解消など4項目の改正・追加を提案する自民党総裁岸田文雄首相は「憲法改正は先送りできない重要な課題」と得意のフレーズを繰り出し、自らの総裁任期である9月までの実現を掲げる。とはいえ、衆院島根1区補選で党公認候補が敗れ、青息吐息の状態だ。
 もう一つ。5月3日は語呂合わせで「ごみの日」。気になるのは原発を運転した際に排出される高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の行方。中国電力島根原発松江市鹿島町片句)を抱える山陰両県にとっても人ごとではない。
 核のごみの最終処分場選定を巡り、九州電力玄海原発がある佐賀県玄海町議会が、選定に向けた第1段階の文献調査を求める請願を採択した。可否判断は脇山伸太郎町長に委ねられるが、停滞する選定議論に一石を投じた格好。
 ただ、山口祥義県知事は玄海原発があるのを理由に「新たな負担を受け入れる考えはない」としており、たとえ文献調査に入っても、その先は見通せない。袋小路を抜け出すには国の積極的な関与が欠かせないだろう。国民に信を問うことなく原発回帰にかじを切った岸田政権にとっては、それこそ「先送りできない重要な課題」のはずだ。(健) 
 
憲法記念日】危ういなし崩しの変容(2024年5月3日『高知新聞』-「社説」)
 
 日本国憲法はきょう、施行から77年を迎えた。 
 戦後日本は憲法の理念を礎とした「平和国家」を掲げてきた。ところが、現政権下では岸田文雄首相の信念や哲学が伝わらず、国民的な議論や合意も欠いたまま安全保障政策の転換が続く。国の在り方がなし崩し的に変容していることを危惧する。
 一昨年末、政府は安全保障関連3文書を閣議決定によって改定した。専守防衛を形骸化させかねない反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や、歴代内閣の方針を覆した防衛費の国内総生産(GDP)比2%への増額が正式方針になった。
 岸田首相は先月、米連邦議会で演説し、「日米同盟を強固なものにするために先頭に立って取り組んできた」と誇示している。
 だが、相手領内を攻撃する行為が専守防衛の範囲内といえるのか、周辺国を刺激し際限のない軍拡競争に陥らないか、といった懸念は拭えていない。防衛費の財源となる増税の開始時期の決定が先送りされ、不透明な状態が続くのも、国内の疑問が根強い証左だろう。
 今年3月には英国、イタリアと共同開発し、高い殺傷能力を持つ次期戦闘機の第三国輸出を解禁する方針を閣議決定した。現に戦闘が行われている国には輸出しないなどの歯止め策は設けたが、輸出先が将来、戦闘国になる危険性は否定できず、紛争を助長する不安は募る。
 日本は憲法が掲げる「平和主義」の精神を踏まえ、かつて武器輸出三原則に基づき事実上の全面禁輸を基本方針としてきた。
 しかし、2014年に安倍内閣が防衛装備移転三原則を新たに閣議決定。従来の禁輸政策を撤廃した。岸田内閣もこの流れを踏襲。22年末の新たな国家安全保障戦略で「防衛装備移転の推進」を明記している。
 批判されるべきは近年、ことごとく閣議決定によって歴代政権が堅持してきた安保政策の方針転換が続いていることではないか。国民の代表が集う国会での議論を避ける政策決定は、国民を置き去りにすることに等しい「あしき慣行」である。
 岸田首相は今通常国会の施政方針演説で、自身の自民党総裁任期が切れる9月までの憲法改正実現に意欲を示した。総裁選再選を見据え、改憲に関心が高い保守層をつなぎとめる狙いという見方が強い。
 むろん、憲法の論点は多様化している。事実上、首相の専権事項とされ、政権の自己都合が目立っている衆院解散権の制約や、本県も当事者である参院選挙区の「合区」解消を改憲で行うかどうかといった、時代の要請に応じた議論は必要だろう。
 ただ、共同通信世論調査では改憲の国会論議は「急ぐ必要はない」が65%を占める。改憲の進め方も「慎重な政党も含めた幅広い合意形成を優先するべきだ」が72%に上った。世論は拙速な手法ではなく、幅広い合意形成を求めている。
 岸田政権による平和国家の変容と同様、憲法論議も国民を置き去りにしたやり方は許されない。
 
「正しい道」(2024年5月3日『高知新聞』-「小社会」)
 
 新憲法が施行された1947年はその内容を紹介する本が相次いで出版されたという。その中には旧文部省作成の中学生用の教科書「あたらしい憲法のはなし」もあった。
 当時、習った方もいるだろう。世の中が数年前とはがらりと変わり、いかに新しい時代が来たかを憲法を通じて解説している。特に平和主義を強調し、9条の戦争放棄の意義を熱く語った。
 この先「日本には、陸軍も海軍も空軍もない」が「心ぼそく思うことはありません」。なぜなら「日本は正しいことを、ほかの國(くに)よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません」。
 日本の道は「正しい」ので誇りを持てと言いたかったようだ。ところが、その9条はわずか3年で揺らぎ始める。朝鮮戦争が始まり、連合国軍総司令部(GHQ)は日本に警察予備隊の設置を指示した。これが後に陸上自衛隊となる。
 文部省も慌てたろう。戦後の日本研究で知られる米国の歴史学者ジョン・ダワーさんによると、教科書は50年に副読本に格下げされ、51年には「完全に使われなくなった」(著書「敗北を抱きしめて」)らしい。
 
キャプチャ
 憲法はきょうで施行77年。自衛隊はいまでは多くの国民に受け入れられているが、政府は論議も不十分なまま反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や防衛費倍増まで進める。気になって仕方がない。日本の「正しい」道はこの先もゆがみ続けるのだろうか
 
安保政策の変容 憲法を政権制御の手綱に(2024年5月3日『西日本新聞』-「社説」)
 人権侵害の恐れがある法律なのに、住民には十分な説明がない。
 法律の影響を詳しく知られたくない、というのが行政の本音だろう。福岡県築上町に住む渡辺ひろ子さん(75)はそう考える。
 今年1月、土地利用規制法に基づく区域指定に、築上町にある航空自衛隊築城基地の周辺が追加された。安全保障上重要な施設の周辺の土地利用を規制する措置で、全国では約580カ所が指定されている。
 この法律により、国は区域内の土地所有者の情報や利用実態を調査できる。市民のプライバシー、思想・良心の自由、財産権などが侵害されるとの批判が根強い。
 町議会で議員が町に要望した住民説明会は、結局開かれることがなかった。隣接する行橋市、みやこ町も同じだ。
 築上町は広報紙とホームページで指定区域を告知した。それだけでは足りない。区域内に土地を持つ渡辺さんの複数の知人は指定を知らなかったという。
 安保関連施策が、国民を置き去りにしたまま進んでいく。渡辺さんの懸念は膨らむばかりだ。
■形骸化する民主主義
 こうした風潮の起点となったのは2014年だ。当時の安倍晋三政権は、歴代政権が違憲としてきた集団的自衛権の行使を閣議決定で容認した。この後、日本の安保政策は変容を続ける。
 現在の岸田文雄政権は防衛費の増額、専守防衛の原則に反する疑いが濃厚な反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有に踏み切った。
 岸田首相は先月訪米し、日米同盟の強化を宣言した。バイデン大統領との共同声明で、両国を地球規模で協働する「グローバル・パートナー」と位置付けた。
 米議会では、日本は米国と「共にある」と演説した。日本が米国の世界戦略に際限なく引きずり込まれることを危惧する。
 覇権主義的な動きを強める中国や、核・ミサイル開発を進める北朝鮮の存在は無視できない。それでも、対米公約を最優先し、国会での議論を軽視する首相の姿勢は看過できない。民主主義を形骸化させてはならない。
 戦後日本が築いた平和主義を基軸とする安保政策の原則が、なし崩し的に壊されている今こそ、私たちが使うべきものがある。憲法だ。憲法は為政者の権力を縛るためのものである。憲法記念日のきょう、改めて確認したい。
■国民が声を上げよう
 憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定める。
 憲法学者小林節慶応大名誉教授は共著の中で「国民が権力に対して、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課され、国民は権力者に憲法を守らせる側なのです」と明言している。これが通説である。
 住民団体の代表を務める渡辺さんは、35年前から毎月2日、築城基地前で基地反対の座り込みを続けている。自衛隊の役割の変化を間近で見てきたからこそ、平和憲法の理念から懸け離れた施策を推し進める国に対し、国民が「きちんとノーと言わなければ」と話す。私たちも自戒したい。
 見逃せないのは、憲法改正を目指す自民党が、憲法は国民をも縛ると考えていることだ。
 党のホームページにある「憲法改正ってなぁに?」の4こま漫画で「リーダーも国民もみんなが憲法に従う義務があるんだ」と説明している。到底容認できない。
 岸田首相は、自民党総裁任期の9月までに憲法を改正する目標を立てている。時間的な制約が強まっても、なお「一歩でも二歩でも前進すべく努力を続ける」と意欲を示す。
 大規模災害や武力攻撃を想定した緊急事態条項の新設、憲法自衛隊を明記することなど、自民党改憲案には賛否両論ある。慎重に議論する必要がある。
 私たちは改憲論議を否定はしない。ただ、今は現行憲法という手綱を国民が握り、先走る政権を制御すべき時だと考える。
 
憲法記念日 国民主権に立ち返る時だ(2024年5月3日『熊本日日新聞』-「社説」)
 憲法は国民一人一人のためにある国の根本原則である。国際秩序に対する不安が高まっている今、その原点を再確認したい。
 「国民主権」を礎とする日本国憲法は、現在及び将来の国民に、「基本的人権の尊重」を保障している。「平和主義」は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」決意と併せて掲げられている。
 きょう施行から77年を迎えた。「条文や内容が時代に合わなくなっている」などの理由で改正を求める声は広がっているが、現在のところ1カ所も改正されていない。世界でもまれな憲法という。
 しかし、平和主義をはじめとするその理念は、内側から掘り崩されてはいないだろうか。国民の代表からなる国会ではなく、閣議や与党協議などで安保政策の重要案件が次々と決められている。断じて看過できるものではない。「国民主権」の原則に立ち返る時が来ている。
閣議決定繰り返す
 岸田政権は2022年12月、閣議決定で「国家安全保障戦略」など安保関連3文書を改定した。国民的議論がないまま「専守防衛」を揺るがしかねない反撃能力の保有を決めたことに批判が噴出したが、政権は同様の手法を繰り返し、武器輸出を拡大している。
 昨年12月には日本製の地対空誘導弾パトリオットを、ライセンス元の米国に輸出可能とした。今年3月には、英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の第三国輸出を解禁した。輸出先は日本との協定締結国に限り、「現に戦闘が行われている国」には渡さないとしているが、9条の下で武器輸出を抑制してきた平和主義の大転換であることは論をまたない。
 戦闘機輸出は、日本の防衛力強化につながる「国益」だと岸田文雄首相はいう。ただ、国際紛争を助長する可能性がある最新鋭の戦闘機の輸出は、全世界の国民が平和的生存権を有するとする憲法とは相いれない。
 国の利益を優先する姿勢は、米軍普天間飛行場辺野古移設を巡る国の「代執行」にも共通する。国策の下で沖縄県民の民意は無視され、92条に定める「地方自治の本旨」はないがしろにされた。
 こうした憲法が関わる重要な決定に国会が関与できていないのは、おかしくはないか。
幅広い合意形成を
 共同通信世論調査では、9条改正の必要性について、賛否はほぼ拮抗[きっこう]していた。必要とする理由としては「安保環境の変化」、必要ないとする理由としては「平和主義が崩れる恐れ」を挙げる人がそれぞれ最も多かった。
 注目すべきは、改憲を「急ぐ必要はない」が65%、進め方として「幅広い合意形成を優先するべきだ」が72%を占めたことだ。
 自民党は9条への自衛隊明記や緊急事態条項の新設など4項目の改憲案を掲げ、論議の加速を促してきた。岸田首相は総裁任期中の改憲を公言。自民は衆院憲法審査会で、改憲項目に優先順位を付けて議論することを提案した。
 緊急事態時の国会議員の任期延長は5会派が合意しているが、急ぐ必然性はあるのだろうか。憲法改正そのものを目的とした「期限ありき」の議論に陥る恐れはないか。幅広い合意を求めている国民の意思にかなう熟議を望みたい。
権利守る盾として
 司法の場では近年、性的少数者の権利を守り、自由と幸福追求を尊重する判決が相次いでいる。
 同性婚訴訟では初の高裁判決は、同性婚を認めないのを違憲と判断した。「婚姻の自由」を定めた24条1項、「個人の尊厳」に立脚した立法を求める同2項、「法の下の平等」を保障する14条に違反しているとした。最高裁性同一性障害の人の性別変更を認める要件として、手術を義務付けていることを違憲、無効とした。これらの裁判は、国民の不利益に向き合ってこなかった政府や国会の「不作為」も浮き彫りにした。
 世論調査では70%超が同性婚、選択的夫婦別姓に賛成している。憲法を考える上では、そうした社会意識の変化も踏まえる必要がある。ただし、その際も、表面的な文言ではなく、条文が訴える本質を注視するべきだ。
 急速に広がるデジタル社会への対応も憲法と深く関わっている。日進月歩で進化を続ける人工知能(AI)の活用がプライバシーや著作権侵害、偽情報の拡散、差別や偏見を招いてはならない。一方で、表現の自由や知る権利も両立させる必要がある。
 政府が決定したAI指針の第一は「人間中心」だ。それは憲法の「国民主権」にも通じる。一人一人の権利を守る盾として、憲法を生かす道を考えたい。
 
憲法施行77年 総裁任期で改憲せかすな(2024年5月3日『琉球新報』-「社説」)
 
 日本国憲法の施行から77年を迎えた。国会で憲法改正に前向きな勢力は改憲発議に向けて議論を急いでいる。しかし、国民の大半は「急ぐ必要はない」との考えだ。国内で改憲の機運や議論が盛り上がっているとは言えない。慎重な議論を重ねるべきだ。
 共同通信が実施した郵送方式の世論調査で、改憲の議論を「急ぐ必要はない」が65%だったのに対し「急ぐ必要がある」は33%にとどまった。
 岸田文雄首相は自民党総裁任期の9月までを改憲目標としている。世論調査では改憲が「必要」「どちらかといえば必要」が合計で75%となったが、その中でも改憲を「急ぐ必要がある」は41%だった。
 そもそも改憲論議は総裁任期に合わせてせかすような性質のものではない。国民がついていかないのは当然ではないか。改憲を目指す自民、日本維新の会の支持層でも「急ぐ必要がある」は46%だった。改憲に理解を示す層でも期限を切った論議を是とはしていないのだ。
 9条改正については必要性が「ある」が51%、「ない」が46%と拮抗(きっこう)した。
 憲法9条は戦力不保持を規定するが、政府は自衛権は認められていると説明し、自衛隊を設置した。それにとどまらず、解釈改憲を重ねることで自衛隊の配備、増強を進めてきたのである。
 集団的自衛権の行使を可能とする安全保障法制については憲法学者や専門家から憲法違反の指摘を受けながら可決、成立させてきた。
 長距離ミサイルなど敵基地を攻撃する能力の保有は戦後日本の安保政策の大転換にもかかわらず、これを閣議決定で推し進めてきたのだ。
 これらの軍事増強の動きに対し、憲法は一定の歯止めとなってきた。国民の理解が得られない速さで改正を推し進め、憲法を形骸化させるような拙速な論議は戒められなければならない。
 沖縄の施政権返還から今月で52年となる。返還と同時に沖縄にも実効性をもって憲法が適用されることになったが、その理念が現時点でも十分に生かされているとは言い難い。沖縄への基地の押しつけはその最たるものだ。日米安保体制の重圧を沖縄が背負い続けている実態は法の下の平等に反する。
 辺野古新基地を巡り、沖縄県行政の権限を無視するような国の姿勢は憲法地方自治の規定にそぐわない。改憲を急ぐよりもその理念を軽んずるような国の姿勢こそ見直されるべきである。
 社会の在り方やニーズの多様化で、改憲の論点も9条改正だけではなく、同性婚衆院解散権などさまざまだ。
 新たな権利の確立が必要だとして改憲に理解を示す人たちも多いだろう。一方で教育の充実や参院選挙区の合区など項目によっては法制度の改定によって対応できるものもあろう。論点をより整理することが先決だ。
 
憲法と家族 24条生かす取り組みを(2024年5月3日『沖縄タイムス』-「社説」)
 
 このままいくと、約500年後の2531年、日本人全員が「佐藤さん」になる。
 びっくり仰天、うそのような衝撃の結果だ。
 選択的夫婦別姓の実現を目指すプロジェクトの一環として、東北大の吉田浩教授が、結婚時に同姓を強いられる現行制度が続いた場合、どうなるかを試算した。
 現在、日本で最も多いのは佐藤姓。確率的に佐藤さんと結婚するケースが多くなり、これを繰り返し長い時間を経ると、佐藤さんに吸収されていくという。
 憲法24条は1項で「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」すると婚姻の自由を定め、2項で婚姻や家族などに関して「個人の尊厳」や「両性の本質的平等」に立脚した立法を求めている。
 この24条の理念は生かされているのか。
 最高裁大法廷は、15年と21年に、夫婦別姓を認めない民法などの規定について「合憲」とする判断を示した。
 司法の場ではなく「国会で議論、判断すべきだ」として、立法府へボールを投げ返したのだ。
 ただし15年の決定では、全裁判官15人のうち5人が、21年の決定では4人が「違憲」としている。
 「別姓の選択肢を設けていないことは、24条が保障する婚姻の自由を不合理に制約する」「24条の趣旨に反する不当な国家介入に当たる」などの意見が付けられた。
 「合憲」判断で決着ではなく、むしろ少数者の権利の尊重という本質的課題が表面化した。
■    ■
 今年3月、札幌高裁で同性カップルの結婚を認めない民法などの規定を憲法違反とする判決があった。
 婚姻の自由を定めた憲法24条1項が「同性間の婚姻も異性間の場合と同じ程度に保障する」との初判断を示したのだ。
 注目すべきは「両性」の文言について、「人と人との間の自由な結びつきとしての婚姻をも定める」と踏み込んで解釈したことである。
 背景には個人の尊重と、性の多様性を尊重する社会の動きがある。
 共同通信社憲法記念日を前に実施した世論調査によると、同性婚を「認める方がよい」と答えた人は73%、選択的夫婦別姓については「賛成」との回答が76%に上った。
 映し出されるのは、政府や国会の対応の鈍さである。いつまで放置するのか。
■    ■
 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という普遍的な理念を基本原理とする憲法は施行から77年。沖縄に憲法が適用されてから52年を迎える。
 夫婦別姓同性婚も、憲法制定当初は想定されていなかった。
 重要なのは24条の意義を再確認し、人権保障を広げていくことである。
 どんな人生を生きても、どんな家族の形を選んでも、「個人の尊厳」や「両性の平等」が保障されなければならない。
 24条の精神に沿った法整備を急ぐ必要がある。
 
 

憲法施行77年(2024年5月3日『しんぶん』-「主張」)

闘い受け継ぎ空洞化許さない
 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」―放映中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」は、主人公が新聞に載った新憲法第14条を食い入るように読む場面から始まりました。

 女性には弁護士になる資格がなかった時代に、やがて法改正されるのを信じて勉強し弁護士になった実在の女性がモデルです。戦前、女性は結婚後は法的無能力者とされ、参政権がなく政党に入ることも法で禁じられていました。いま当たり前のものとして享受している権利が、かつてはそうではなかったこと、先達の闘いの末に勝ち取られてきたことを思います。

■勝ち取った諸権利
 生命、自由、幸福追求に対する国民の権利を国政で最大に尊重すべきだとする憲法13条、両性の本質的平等を定める24条、国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をうたった25条、教育を受ける権利を定めた26条―。社会保障や教育など暮らしの予算を抑え込み、切り下げる自民党政治の下で、これらの権利は完全には実現せず、ないがしろにされています。

 悔しさ、苦しさのなかで声をあげてきたからこそ憲法に実った権利を現実のものとするには、未来は変えられることに確信をもって闘いを続けることです。どんなことも闘い抜きにはすすみません。かつては偏見にさらされていたLGBTQの人の権利も一歩ずつ前進しています。当事者が勇気をもって訴えてきたからこその変化です。

■激しいせめぎ合い
 なかでも恒久平和の原則は、新しい時代が必ず来るという確信の下、文字どおり命がけで弾圧に抗した日本共産党員らの闘いと、侵略され、植民地にされたアジア諸国民や不正義の戦争に動員された日本国民の悲惨な体験の上にあります。

 前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」決意をうたい、9条で「武力による威嚇又は武力の行使」を放棄し、戦力不保持・交戦権否認を定めた憲法は誇るべき世界の到達です。

 ところがいま、岸田文雄政権は憲法を蹂躙(じゅうりん)・空洞化する「戦争国家づくり」を一気にすすめています。敵基地攻撃能力の保有や空前の大軍拡、究極の殺傷兵器である戦闘機の輸出、自衛隊が米軍の指揮下に入って主権を差し出し国連憲章違反の先制攻撃に加わることにまで踏み込もうとしています。国民のプライバシーや知る権利、思想・信条の自由、学問の自由を侵す法律の整備もすすめています。

 同時に、改憲勢力は国会で改憲発議に必要な議席を持ちながら、できていません。岸田首相は国会で「平和国家としての歩みは何ら変わらない」と述べます。不誠実極まりない答弁ですが、そう言わざるを得ないのは、憲法の平和原則とそれを支持する国民世論があるからです。

 憲法の空洞化を阻むのも、憲法の理念を前進させるのも国民の世論と運動です。誇りある闘いを引き継ぎ、闘いで勝ち取った「全世界の国民が平和のうちに生存する権利」の侵害を許さず、真に実現する決意を固め合いたいと思います。