「金八先生」にも関わった教育書籍編集者が憂える「なし崩しにされた憲法理念」 今こそ「近現代史」を学ぶ時(2024年5月6日『東京新聞』)

金八先生」にも関わった教育書籍編集者が憂える「なし崩しにされた憲法理念」 今こそ「近現代史」を学ぶ時(2024年5月6日『東京新聞』)
<その先へ 憲法とともに⑥>
 書籍編集者として「教育」と「安全保障・軍事」に強い関心を持ち続けてきた。ただ、梅田正己さん(88)の足跡は編集者としての枠組みにとどまらない。10冊を超える著書があり、出版史上最大の言論弾圧事件・横浜事件の再審裁判を支援する会の事務局やマスコミ九条の会の呼びかけ人を務めた。
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近現代史を学ぶ大切さを訴える梅田正己さん=横浜市旭区で
 言論の自由、平和主義―。行ってきた活動や関心そのものが、憲法と密接な関係がある。しかし、現憲法の理念は「成立まもなくからなし崩しにされ続けてきた。ほぼ80年で、1周回って敗戦後の出発点に戻ってきた」と感じている。
 そんな思いを深めるニュースが最近も相次いだ。
 陸上自衛隊の部隊がX(旧ツイッター)への投稿で、「大東亜戦争」という表現を使った。自衛隊員が靖国神社に集団参拝したことも明らかになった。「大東亜戦争」はアジアへの侵略戦争を正当化する際に使われることが多く、靖国神社はそうした歴史観を持つことで知られる。
三省堂営業部時代にのめり込んだ「学生通信」
 戦前の軍国主義教育を受けた記憶が残っている。1945年の終戦時は9歳。学校で教育勅語を丸暗記させられた。「月並みの軍国少年だった」と振り返る。故郷の佐賀県唐津市にいて、直接の空襲は受けなかったが、戦争末期は米軍機が通過するたび空襲警報が鳴り、防空壕(ごう)に逃げ込んだ。
 高校時代、受験勉強に没頭した反動で、東京で過ごした大学時代は授業はそこそこに読書にふけった。辞書や教科書を主に出版する三省堂に就職するが、「あくまで活字マスコミ志望で、特に大きな理由はなかった」。ただ、就職先での仕事も受験勉強の反動が反映される。
 入社後、営業に配属され、そのためのPR紙「学生通信」の編集を担当した。宣伝は広告欄だけにとどめ、未成年の性や学生の自治、非行問題など、授業や教科書ではあまり扱わないテーマを取り上げた。自身の高校時代への反省から、高校生の社会的、文化的な関心を刺激する特集を組んだ。毎号、適切な筆者が見つかるとは限らず、自ら取材、執筆もした。
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月刊誌「考える高校生」の創刊号=横浜市旭区で
 「学生通信」は全国の高校の図書館に置かれるようになったが、経営者の交代で方針が変わり、72年に廃刊。しかし、各地に「ファン」の教諭が育っていた。「このままなくなるのは忍びない」。退社して自ら出版社「高校生文化研究会」を設立、「月刊 考える高校生」を発刊した。
◆「観光コースでない」シリーズはヒット作に
 未成年の性を扱った書籍の一部が「3年B組金八先生」のシナリオに使われた縁で、小説版の同シリーズを扱うことに。「考える高校生」で取り上げた沖縄問題の執筆者に依頼し、83年、「観光コースでない沖縄」を発行。以降、「観光コースでない」シリーズはヒット作となる。
 「高校生文化研究会」はその後、「高文研」に名称を変え現在に至る。高文研は沖縄や朝鮮半島の歴史などに関連する人文書を多く出版している。梅田さんが経営から退いて10年以上がたつが、もとは現役時代に関心を広げ、手がけるようになったテーマだ。
 大手出版社を辞め、当初2人で始めた出版社は、こうしてなんとか軌道に乗っていった。ただ、教育関連の出版に携わり、教育が常に国家主義的な政治の圧力を受け、統制され続ける現実を見ることになる。
◆戦後は終わったはずでは…回帰していく戦前教育に衝撃
 学生通信の創刊3年目の1965年、高校生に向けて「期待される人間像」の中間草案が発表される。その一節、「われわれは祖国日本を敬愛することが、天皇を敬愛することと一つであることを深く考えるべきである」に衝撃を受けた。「戦前の教育勅語は否定されたのではなかったのか」
 「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣時の85年、文部省(当時)が「国旗・国歌の取り扱いについて徹底すること」との通達を出した。「日の丸・君が代問題が出てから、次第に学校現場の統制が強まり、息苦しくなった」。その後、この問題は東京で教員の大量処分という事態に発展する。
 「考える高校生」(91年から「ジュ・パンス」に改題)は高校生を一市民として捉え、教育制度や国家体制について批判的な側面を伝える内容もあった。購読はあくまで教諭の自主性に依拠していた。教育現場の状況を反映してか、徐々に部数は減少。教育基本法が改正された2006年、34年の歴史に幕を閉じた。
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「考える高校生(ジュ・パンス)」終刊の集いであいさつする梅田さん
 教育の分野で、戦後否定されたはずの国家主義的な思想が息を吹き返す。また、編集者としての経験から、言論の自由も後退しているように感じる。
言論弾圧は今も…みんな忘れちゃったの?
 中曽根内閣時代には、外交・防衛上の国家機密に対する公務員の守秘義務を定めたスパイ防止法案の成立に向けた動きがあった。この際、「出版人も対象に巻き込まれる」と反対する出版人の会を立ち上げ、高文研に事務局を置いた。この会は後に横浜事件の再審請求裁判につながる。
 同法案は多くの議員や世論の反対もあって廃案となったが、13年、同様の趣旨と言える特定秘密保護法が第2次安倍政権下で成立した。「言論弾圧、統制という観点から見れば、横浜事件から特定秘密保護法までつながっている。1980年代には多くの反対があったのに、みんな忘れちゃったのかな」
 これ以上、現憲法の理念をなし崩しにしてはいけない。そのためにどうすればいいのか。行き着いた答えが、「学校教育でほぼ消されている近現代史を学ぶ」ということだった。
 戦中、大日本帝国の3本柱だった帝国憲法軍人勅諭教育勅語はどんな時代状況の中でできたのか。帝国憲法に行き着く明治維新とは何だったのか。自らその歴史をひもといたのが「日本ナショナリズムの歴史」(全4巻)や「明治維新の歴史」だ。
◆否定的な面も含めて、明治維新から学び直しを
 編集者である梅田さんが自ら執筆した動機は、国家主義への道を歩んだ日本の近現代史、特にその源流となった明治維新の本質について、一般の読者にも理解できるように書かれた本が極めて少ないと感じたから。「近代日本が歩んできた道を正面から向き合って考えないといけないのに、人々の意識から抜け落ちている。歴史研究者にも奮起してほしい」
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近現代史を学ぶ大切さを訴える梅田正己さん=横浜市旭区で
 基本的人権国民主権、平和主義を掲げた現憲法は「世界中が掲げるべきだ。人類の未来はそこにしかない」と思い、その成立とともに人生を歩んできた。しかし、このままでは現憲法の理念は崩れ、戦前と似た状況に戻ってしまうのではないかとの不安が募る。
 そうならないためにも、否定的な面を含めた日本の近現代史を学ぶ場を設けることの大切さを訴える。
 「国家主義時代の歴史を学べば、現憲法の意義も分かるはず。心ある人たちで学習運動をしてほしい。定年退職した中高の社会の先生をチューターとして入り口にすればいい」。近現代史を学ぶ草の根の市民グループが広がれば、多くの人の憲法への認識も変わると信じている。(宮畑譲)
◆デスクメモ
 文部科学省が検定で追加合格にした「令和書籍」の歴史教科書に批判の声が上がっている。特攻による戦死を「散華(さんげ)」と表現するなど、太平洋戦争を美化する姿勢が漂うからだ。現憲法の背景には国家主義軍国主義への反省がある。負の歴史を殉国美談にしてはならない。(北)
   ◇
<連載:その先へ 憲法とともに>
 ロシアのウクライナ侵攻など国際情勢の不安定化を理由に、防衛費の増額や武器輸出のルール緩和がなし崩し的に進む。平和国家の在り方が揺らぐ中、言論の自由、平等、健康で文化的な生活など、憲法が保障する権利は守られているだろうか。来年で終戦80年を迎えるのを前に、さまざまな人の姿を通して、戦後日本の礎となった憲法を見つめ直す。