ことしのノーベル平和賞は、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞することになりました。核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が2度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが受賞理由となっています。日本のノーベル平和賞受賞は、1974年の佐藤栄作元総理大臣以来、50年ぶりです。
68年間にわたり核兵器廃絶 世界に訴える活動
また、国連や世界各地で原爆の写真展を開くなど地道な活動を続け、原爆投下から60年となる2005年のノーベル平和賞の授賞式では、ノーベル委員会の委員長が、日本被団協について「長年、核廃絶に取り組んできた」と敬意を表しました。
その後はすべての国が条約に参加することを求める「ヒバクシャ国際署名」を続けておよそ1370万人分あまりの署名を国連に提出。
ノルウェー・ノーベル平和委員会は、日本被団協の受賞理由について、核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が2度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが評価され、平和賞の受賞に至ったとしています。
受賞理由は
ノルウェー・ノーベル平和委員会は、日本被団協の受賞理由について、核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が2度と使用されてはならないことを証言によって示してきたことが評価され、平和賞の受賞に至ったとしています。
記憶をとどめるという強い文化と継続的な取り組みにより日本の新しい世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています。彼らは世界中の人々を鼓舞し教育しています。彼らは核兵器のタブーを維持することに貢献しています。
被団協 箕牧智之代表委員「本当にうそみたい」
その上で、ともに核兵器廃絶を訴える活動を行い3年前に亡くなった箕牧さんの前の広島県被団協の理事長で、日本被団協の代表委員だった坪井直さんについて「坪井さんのようにこれまで活動してきた被爆者も喜んだと思う。お墓に報告に行きたいと思う」と話していました。
被団協事務局長 木戸季市さん「先輩たちの顔が次々と浮かぶ」
被団協の事務局長を務める岐阜市在住の木戸季市さんは「核兵器禁止条約の採択と発効を被爆者が実現させた。そういう働きに対する受賞だと思う。広島・長崎の反人間的行為から始まって、アメリカからは弾圧され、日本政府から長い間見捨てられた。その心の悩み、苦しみとあらがいながら再び被爆者をつくるなという願いでやってきた先輩たちの顔が次々と浮かぶ」と話していました。
被団協 濱住治郎事務局次長「核兵器廃絶につながっていけば」
日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の濱住治郎事務局次長は「最近は受賞が遠のいているのではと思っていたのでまさかという思いだ。先人たちが訴え続けてきた2度と被爆者を作らせない、人類を救いたいという思いが評価されたのだと思う。被爆80年となる中で核保有国はいまだに存在し自分たちの訴えが伝わっていないのではという思いもあったが、今回のノーベル平和賞をただ受賞するだけで終わらせず核兵器廃絶につながっていけばうれしい」と話していました。
被団協 九州ブロック代表理事 中村国利さん「大変うれしい」
1歳の時に長崎市の飽の浦町の自宅で被爆した日本被団協の九州ブロックの代表理事、中村国利さんは、NHKの取材に対し、「大変うれしいです。核兵器禁止条約はじめ、核の非人道性を訴えてこれまでずっと活動してきたのが評価され、こんなにうれしいことはありません。みなさんのご支援のおかげです。これからも核兵器をなくすように、戦争も核もなくすように頑張っていきます」と話していました。
長崎 「高校生平和大使」や被爆者から驚きの声
2017年に平和賞受賞 ICAN「たゆまぬ努力続けてきた」
国際NGO、ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンはSNSに「おめでとう。広島と長崎の被爆者は核兵器がもたらす壊滅的な影響に対する人々の問題意識を高め、核兵器を廃絶するためにたゆまぬ努力を続けてきた」と投稿し、祝意を示しました。
ICANも2017年に平和賞を受賞しています。
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ほおをつねって「夢の夢。うそみたいだ」