静岡市清水区の喫茶店「木馬」の店主坂東昭男さん(86)は、近くでバーを営んでいた袴田巌さん(88)が逮捕される前に知り合い、裁判の行方を気にかけてきた。9日の再審無罪確定を受け「元気なうちで良かった」とねぎらった。
「木馬」は1963年にオープン。高度経済成長期で景気が上向き、商店街の主人たちがよくコーヒーを飲みに来てくれた。袴田さんと世間話をすることもあり「寡黙で、ぼそぼそ話す人だった」と振り返る。
袴田さんはバー経営をやめた後、働いていたみそ製造会社の専務一家殺害事件で、66年8月に逮捕された。坂東さんは木馬の経営のほか、タクシー運転手の仕事にも追われる日々を送り、年月が流れた。
再審関係のニュースで袴田さんの姿を見ても「昔と全然イメージが合わない。苦しんだことで表情が変わったのだろうか」。長い間死刑におびえ、拘置所で過ごした袴田さんに思いをはせる。
袴田さんは現在、拘禁症状が残り、意思疎通が難しい。坂東さんは「大変な人生だ。元気なうちに無罪が確定して良かった」と話した。
1966年の静岡県一家4人殺害事件を巡る袴田巌さん(88)の再審で、無罪とした静岡地裁判決に対し、静岡地検は9日、上訴権(控訴する権利)を放棄する手続きをとり、無罪が確定した。袴田さんが半世紀以上にわたり冤罪を訴え続けた闘いに終止符が打たれ、死刑囚の身分が解かれた。
静岡県警の津田隆好本部長は同日午前、報道陣の取材に応じ、「袴田さんが長きにわたって法的地位が不安定な状況に置かれてきたことについて申し訳なく思う」とし、袴田さんへの直接の謝罪は「お伝えしたいと思うが、相談した上で考えたい」と話した。事件が解決していないことについては「最終的に犯人が分からないということになった。大変遺憾、残念」と述べた。
畝本直美検事総長が8日、控訴しないと表明。捜査機関が証拠を捏造したと判決が断じたことに強い不満を示す一方、控訴し袴田さんの不安定な法的地位が続くことは相当ではないとの談話を出した。最高検は再審請求手続きが長期間に及んだことについて検証する方針。
袴田さん無罪確定へ、えん罪当事者や再審請求中の遺族から喜び 「希望の道筋つくってくれた」(2024年10月9日『京都新聞』)
袴田巌さんの再審無罪が決定的になったと報じられた8日夕、京都市内では再審法改正を訴えるパレードが始まる直前だった。朗報が伝わると、参加していた滋賀県の冤罪(えんざい)当事者や再審請求中の遺族らから喜びの声が上がった。
「われわれに希望の道筋をつくってくれた。当然と言えば当然だが、うれしい」。滋賀県日野町で女性が殺害され金庫が奪われた「日野町事件」で無期懲役が確定し、服役中に亡くなった阪原弘(ひろむ)さんの長男弘次さん(63)は声を弾ませた。袴田さんの姉ひで子さんとは再審法の改正を求めて共に活動してきた。「やっと精神的に解放されるのでは」と胸中をおもんぱかった。
東近江市の湖東記念病院の患者死亡を巡って殺人罪に問われ、服役後に再審無罪となった西山美香さん(44)は「長い間闘って大変だったと思うが、やっと自由の身になれて本当に良かった。早くお祝いの言葉を届けたい」と顔をほころばせた。
大阪市の長女焼死を巡り再審無罪となった青木惠子さん(60)も「検察がメンツのために控訴するのではと心配していたが、良かった」と喜んだ。
午後5時過ぎからのパレードの直前に「検察が控訴断念」の一報が入った。約60人の参加者同士で喜びを分かち合った後、「袴田さんの悲劇を繰り返すな」と声を上げながら歩いた。