58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件の再審=やり直しの裁判で、袴田巌さんに無罪を言い渡した判決について、検察トップの検事総長は8日、控訴しないことを明らかにしました。これにより一度、死刑が確定した袴田さんの無罪が確定することになりました。
検察 控訴しない方針
最高検察庁の畝本直美検事総長は談話を発表し、静岡地裁の無罪判決について「1年以上みそ漬けにされた5点の衣類の血痕は赤みを失って黒褐色化すると認められると断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ない。加えて、5点の衣類が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆しているが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていない。判決は多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容と思われる」としています。
一方、控訴しなかった理由については「再審請求審における司法判断が区々になったことにより袴田さんが結果として相当な長期間にわたり、法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果検察が控訴するのは相当ではないとの判断に至った」としています。
そして、畝本検事総長は談話の最後で「袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなった。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております」と謝罪し、再審請求の手続きが長期間に及んだことなどについて最高検察庁で検証を行う考えを示しました。
これにより、事件発生から58年がたって、一度、死刑が確定した袴田さんの無罪が確定することになりました。
袴田さん 自宅のソファーでくつろいだ様子
姉のひで子さん「やっと一区切り 大変うれしい」
再審開始の決定出した元裁判長「検察は賢明な判断をした」
袴田さん支援のボクシング関係者「こんなに喜ばしいことない」
元プロボクサーの袴田さんを支援してきた日本プロボクシング協会のメンバーで、元東洋太平洋バンタム級チャンピオンの新田渉世さんは「本当にことばにしがたく、こういう形で結実するのならこんなに喜ばしいことはないです。巌さんの中にはボクシングが生き続けているし、ひで子さんにも敬意を表します。ひとまず袴田さんが平穏な日々を送れるように祈っていて、できることはこれからも協力していきたいです」と話していました。
44年の「死刑囚」から解放
無罪が確定することにより、袴田さんはこれまで44年にわたって置かれていた「死刑囚」の立場から解放されることになります。
袴田さんは、1968年に1審の静岡地方裁判所で死刑を言い渡され、2審の東京高等裁判所と最高裁判所でも無罪の主張を退けられて、1980年に死刑が確定しました。
この翌年、再審=裁判のやり直しを申し立てましたが、いつ死刑が執行されるかわからない恐怖から徐々に精神状態が悪化し、意思疎通が難しい状態になりました。
その後、10年前の2014年に静岡地裁の決定で再審と釈放が認められました。
しかし、検察が不服を申し立て、再審を認める決定が取り消されたため、刑事手続き上、死刑囚という立場に変わりはありませんでした。
袴田さんの姉のひで子さん(91)は、弟を死刑囚という立場から解放してあげたいと願い続け、再審の法廷でも「弟の巌に真の自由を与えてくださいますようお願い申し上げます」と訴えていました。
そして、再審で袴田さんに無罪を言い渡した判決について検察が8日控訴しないことを決め、袴田さんは44年にわたって置かれていた死刑囚の立場からようやく解放されることになります。
死刑確定した事件 再審で無罪確定 袴田さんが戦後5人目
死刑が確定した事件で再審が開かれて無罪が確定するのは、袴田さんが戦後5人目となります。
死刑囚として初めて再審で無罪となったのは、1948年に熊本県で夫婦2人が殺害された「免田事件」で死刑が確定した免田栄さんで、1983年に無罪が言い渡されました。
その後、1950年に香川県で男性が殺害され現金が奪われた「財田川事件」や1955年に宮城県で住宅が全焼して一家4人が遺体で見つかった「松山事件」、それに1954年に静岡県で当時6歳の女の子が連れ去られ殺害された「島田事件」で、相次いで無罪が言い渡され、いずれも検察が控訴せず確定しました。
死刑が確定した事件で再審が開かれて無罪が確定するのは、1989年に「島田事件」の再審で無罪となった赤堀政夫さん以来35年ぶりで、戦後5人目となります。
弁護団 国に刑事補償を請求へ
無罪判決が確定することを受けて、袴田さんの弁護団は47年7か月にわたって不当に身柄を拘束されたとして、国に刑事補償を請求することにしています。
刑事事件で身柄を拘束された人が無罪になった場合、刑事補償法に基づいて1日あたり1万2500円を上限に、国に補償金を請求することができます。
袴田さんは、逮捕された1966年8月から釈放が認められた2014年3月まで、47年7か月にわたって収容されていたため、弁護団はこの期間の刑事補償を請求する方針です。
弁護団によりますと、請求が認められれば、最大で2億円を超える補償金が支払われる見通しで、過去最高額になるとみられるということです。
また、弁護団は、判決で捜査機関によって証拠のねつ造や非人道的な取り調べが行われたと指摘されたことから、検察や警察の責任を追及するため国と静岡県に損害賠償を求める訴えを起こすことも検討しているということです。
判決 “3つのねつ造” 指摘
袴田さんに無罪を言い渡した静岡地方裁判所の判決は、過去の裁判の証拠には3つのねつ造があると指摘しました。
《ねつ造1「5点の衣類」》
その1つが、事件発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかり、過去の裁判で有罪の決め手とされた、血の付いたシャツなどの「5点の衣類」です。
再審では血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかが最大の争点となり、検察は「1年あまりみその中に入っていた衣類の血痕に赤みが残る可能性はある」と主張していました。
これについて判決では、血痕をみそに漬ける実験の結果や専門家の見解などをもとに、「当時のタンクの中で1年以上みそに漬けられた場合、血痕の赤みが残るとは認められない」と判断しました。
その上で、当時の裁判で袴田さんが無罪になる可能性が否定できない状況だったことから、捜査機関が有罪を決定づけるためにねつ造に及んだことが現実的に想定できると指摘しました。
そして「捜査機関によって血痕をつけるなどの加工がされ、発見から近い時期にタンクの中に隠された」と結論づけました。
《ねつ造2 ズボンの切れ端》
再審で検察は、袴田さんの実家を警察が捜索した際に、「5点の衣類」のズボンの切れ端が見つかったことを根拠として、衣類は袴田さんのものだと主張していました。
判決では、「5点の衣類」がねつ造されたと認められることをふまえ、ズボンの切れ端についても、「捜査機関が捜索の前に実家に持ち込んだあとに押収したと考えなければ、説明が極めて困難だ」と指摘し、ねつ造されたと認定しました。
《ねつ造3 検察官の自白調書》
さらに判決は、検察官が作成した「袴田さんが犯行を自白した」とする調書についても、実質的にねつ造されたと判断しました。
判決では、袴田さんが逮捕されてから自白する前日までの19日間に、深夜までに及ぶ1日平均12時間もの長時間の取り調べを連日受けたと認めました。
その上で、検察官の取り調べについて「袴田さんが自白するまで警察署で警察官と交代しながら証拠の客観的状況に反する虚偽の事実を交えて犯人と決めつける取り調べを繰り返し行っていた」と指摘しました。
そして、調書について「警察官と検察官の連携により肉体的・精神的な苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べによって作成されたものと認められる」と判断しました。