#令和の子
大阪の少年院にいる矯正医官は、少年たちのカウンセリングに力を入れる。A4用紙7枚の質問シートを渡し、「心の傷」のありかを探る。「言いたくないことは無理しなくていいよ」と声をかけ、時間をかけて向き合ううち、逆境を生き抜いてきた「サバイバー」たちは、ポツリ、ポツリと境遇を語り出す。
「小学生の時、義父からの暴力がつらくて、死のうとしたことがあります」 薬物事件で19歳の時に浪速少年院(大阪府茨木市)に入ったダイ(20)(仮名)は、矯正医官の中野温子にそう打ち明けた。家族以外で、自殺未遂の経験を話したのは初めてだった。
ダイの幼少期に両親は離婚。母親は再婚したが、義父はささいなことでダイを殴った。週末になるとダイは祖母の家に泊まりに行っており、「金曜日が待ち遠しかった」。
ダイは義父から虐待されていることを母親になかなか言えなかった。まだ小学生だ。ある時、意を決して「死のうと思った」と自殺未遂したことを母親に伝えた。母親は義父と離婚してくれた。
これで自宅は落ち着く場所になるはずだった。母親は家計を支えるため夜に働きに出るようになった。その代わりにダイは年の離れた幼いきょうだい2人の世話を任された。小学校から帰宅すると、夕飯の支度をし、きょうだいに食べさせて一緒に寝た。いわゆるヤングケアラーだった。
義父からの虐待を考えれば、「地獄の生活から抜け出せた」と、ダイは母親の手伝いをいとわなかった。 こうした生活を3年ほど続けただろうか。中学生になった頃から、次第に嫌になった。友達の誘いを断るとひとりぼっちになるような気がして、家を空けた。「友達がやっていたから」という理由で18歳の時、違法薬物に手を出した。
◇ 依存症治療にも詳しい中野は、ダイに「自己治療仮説」という考え方を説いた。 「快楽ではなく、苦痛の緩和を求めた結果、依存性物質にはまるという仮説がある。あなたもそうだったんじゃないの?」
「親ガチャにはずれました」「育てられないなら産んでほしくなかった」。親に恵まれなかったことを、こう表現する少年もいるという。
だが、中野は親の存在を否定しない。少年の怒りの矛先が親に向かないよう対話する。虐待をしていても、親であることには変わりはなく、中野は「もしかすると、親御さんも虐待を受けて育ったのかもね」と伝え、親の境遇にも思いをはせるよう助言する。
少年院職員は出院後の少年と連絡を取り合うことはできない。中野も同じだ。 中野が好んでよく使うのは、海外で研究が進められてきた「PTG」という心理学の考え方だ。ポストトラウマティック・グロースの略で、「心的外傷後成長」と訳される。被虐待やいじめなど傷つけられた経験から何かの気付きを得て、内面の成長につなげる。
「過去は変えられない。でも、過去の解釈は変えられる。本当の<サバイバー>になれるかどうかは、少年院を出た後のあなたの行動にかかっている」 (敬称略、収容少年の年齢は取材時)
◇ この連載は、杉山弥生子が担当しました。
出院時受け入れ、実母最多
少年院に入った少年の99%が収容期間の満了前に仮退院している。その場合、保護観察の対象となり、保護司らの支援を受けながら更生の道を歩む。
2023年版犯罪白書によると、出院時の受け入れ先は実母が最も多く、36%に上る。両親が離婚しているケースが多いためだ。実父母のもとに帰るのは18%、実父は14%となっている。このほか、親元に戻れない場合、民間団体が運営する更生保護施設などに身を寄せる少年もいる。
再犯を防ぐためには、職に就くことも大切だ。少年院を仮退院し、再犯した少年の職の有無でそれぞれ比較すると、有職者が14%に対して、無職者は29%とほぼ倍に上る。国は「矯正就労支援情報センター(コレワーク)」を設置し、受け入れに協力する企業とのマッチングを進めるなどしている。