ハンセン患者投薬6歳にも、熊本 頭痛の副作用、療養所調査報告書(2024年6月25日)

国立ハンセン病療養所菊池恵楓園に所蔵されている「虹波」

 

虹波」に関する調査報告書  第1報

「虹波」に関する調査報告書  第1報  (資料編)

 
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本調査の概要 
本調査は、太平洋戦争中から戦後の期間、菊池恵楓園において臨床試験が行われていた薬剤「虹波」について実施しているものである。 
虹波は感光色素を主成分とする薬剤であり、当初は体質改善、結核治療などを目的に研究が進められていたが、1942(昭和17)年から1945(昭和20)年にかけては陸軍第七技術研究所の指導の下、恵楓園入所者に対しても臨床試験が実施された。この試験では多くの副作用が確認されていたが、当時は問題として認識されることは無かった。 
虹波臨床試験の記憶は入所者間で共有されていたが、この事実が人権問題として喚起されるのは2001(平成13)年の「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」原告側勝訴判決以降のことである。虹波に対する調査の必要性は指摘されるようになったものの、恵楓園における文書資料の整理は十分ではなく、恵楓園付属資料館の整理事業によって虹波関連文書全体にアクセスできるようになったのは2020(令和2)年頃のことであった。資料館では2021(令和3)年にその成果の一部を用いて資料写真集を刊行したが、同資料集には部分的ながら虹波関連資料も掲載されていた(資料1参照)1。 
資料館事業において整理された文書群の多くは法律上「行政文書」にあたり(公文書管理法第2条4項)、 情報公開法に基づき開示請求することが可能な文書となっている(情報公開法第5条)。資料集の刊行など、資料館収蔵事業への関心が高まるなかで、以前より虹波に関する独自取材を行ってきた報道機関より恵楓園に対して開示請求がなされ、それら開示された文書等に基づき2022(令和4)年12月に報道がなされた2ことで虹波は再び注目される事柄となった。 
報道では恵楓園で実施された臨床試験について“入所者の人権が尊重されていない”“虹波のせいで七転八倒の苦しみを受けた入所者もいる”“軍が関与する研究という閉鎖性が研究の質を低下させた”“731部隊創設者の石井四郎軍医中将は京都帝大医学部の清野謙次教授の教え子であり、虹波についても清野教授の下で学んだ波多野輔久によって研究された” “臨床試験中 9 名の死者が出た”といったことが指摘され、虹波研究における医療倫理上の問題が強調された。 
同年12月、この報道を受けた恵楓園入所者自治会は恵楓園に対して本件に関する事実関係の詳細な調査を要請、調査は園付属資料館である「菊池恵楓園歴史資料館」を担当部署として実施していくことが提案された。この要請を園も受諾、調査方針の決定、成果の報告は資料館運営委員会でなされていくことが決定し、以後現在に至るまで調査を継続している。