ハンセン病の負の歴史を後世に…岡山のシンポジウムに700人参加(2024年6月16日『読売新聞』)

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ハンセン病の歴史を語り継ぐ意義を訴える奥さん(左)ら(岡山市北区で)
 ハンセン病に対する差別や偏見など、負の歴史を後世に語り継ぐためのシンポジウムが15日、岡山芸術創造劇場ハレノワ(岡山市北区)で開かれた。県内外から約700人が参加し、ハンセン病や人権問題への理解を深めた。
 ハンセン病療養所がある長島(瀬戸内市)の世界遺産登録を目指す運動の一環。笹川陽平日本財団会長がハンセン病をめぐる国際情勢を語った後、俳優の竹下景子さんが入所者が作った詩や作文を朗読。竹下さんが、当時中学2年だった入所者が故郷や家族への思いを記した作文などを朗読すると、来場者は真剣に耳を傾け、すすり泣く声も聞こえた。
 パネルディスカッションには、国立療養所の長島愛生園(同)の山本典良園長や、家族がハンセン病だった奥晴海さん、ハンセン病訴訟弁護団の徳田靖之弁護士らが登壇。奥さんは親族からも差別や暴力を受けた体験を語り、「一番無責任なのは知らないままでいること。現地に行って、歴史を肌で感じてもらうことが大切」と訴えた。
 参加した早島町の大学生(23)は「詩や作文から、患者が人間として生きるために闘ったことを実感した」と当時の過酷な状況に驚き、母親の看護師(59)は「国民一人ひとりが、同じ過ちを起こさないために何ができるかを考えていくべきだと気づいた。そのためにも、世界遺産として形を残す必要があると思う」と話した。
 

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概要
 1930(昭和5)年、日本で初めて開設されたハンセン病療養所「長島愛生園」では、かつて2,000人を超えた入所者が、高齢化で90人を切り、同じ長島にある「邑久光明園」でも50人余りに。病気への差別と闘った貴重な証言が消えていく…。
 いわれなき差別偏見に苦しめられた入所者の後世に伝え、同じような悲劇が二度と起きないよう訴え続けていくことが大切である。
 悲しみの患者収容桟橋、人間扱いされなかった消毒風呂、患者を監禁した特別監房など人権蹂躙の証となる建物は今にも崩れそう。私たちはこうした建造物を修復、保存して、患者の苦難の歴史を後世に残すべきと考え、世界遺産登録に向けた取り組みを進めている。
 平和へのメッセージを叫び続けている原爆ドームと同様に、長島の古い建造物もまた、人権尊重のメッセージを発信し続けるだろう。