「過去のものではなく、現在進行形の人権問題。今、学ぶ必要がある」。佐久間さんが講演で呼びかけた。「ハンセン病が分からないという人は、何かあれば差別する側に転じる恐れがある」とも述べた。
◆軽い気持ちで訪れた資料館で…
問題と関わったのは1993年、国立ハンセン病療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん、東村山市)に近い市立青葉小への赴任がきっかけだった。同年に開館した資料館(当時は高松宮記念ハンセン病資料館)を軽い気持ちで訪れ、隔離生活を強いられた患者や回復者の過酷な人生を知った。「頭を殴られたような衝撃を受けた」
隔離の根拠となったらい予防法が廃止される2年前の94年、児童にハンセン病を巡る実態を伝えようと、回復者の平沢保治(やすじ)さん(97)に取材し、体験を基に学習教材を作った。
学校では国の政策や憲法、基本的人権を巡る社会問題として扱い、社会や国語の授業でらい予防法や裁判を取り上げた。回復者たちが後世に記録を残そうと資料を集めて資料館を設立し、全生園に木を植えて「人権の森」をつくった「抵抗体験」を学ぶことを大切にした。自分たちの尊厳を守る姿勢を尊敬したからだ。
◆訴訟終結してもなお残る差別
異動しても授業を続けたが、時には差別の芽がいまだに摘まれていない現実も目の当たりにした。2003年、回復者が熊本県の黒川温泉で宿泊拒否された。「自分も子どもたちもショックを受けた。より真剣に学習するようになった」と振り返る。19年6月には、家族の差別被害に国の責任を認めたハンセン病家族訴訟が終結。しかし今でも、原告は差別を恐れて名前を出せないでいる。
全生園では昨年、子どもの入所者が暮らした旧少年少女舎が老朽化で解体された。当時の風景を今に残す木々も伐採された。講演で「全生園が大切にされ、未来に残されるかどうかは市民の努力と意識にかかっている」と強調した。