「一升」と「一生」、現代アルコール事情(2024年6月3日『産経新聞』-「産経抄」)

キャプチャ
写真はイメージ
 戦前の新聞に載った一文について、英文学者の外山滋比古さんが自著で取り上げている。「某はかねてから酒一升の持主として当局でも注目している人物」。かなり、いける口なのだろう。一升瓶を手にした姿まで目に浮かぶ。
▼実際は記者が電話口で「左傾思想の持主」と言ったのが、受け手の聞き間違いで誤植されたらしい(『おしゃべりの思想』)。とはいえ、酒好きは昔から左党と呼ばれる。作家の泉鏡花は「酒」と書いて「ひだり」と読ませた。そんな背景を重ね合わせれば、見事なオチだろう。
キャプチャ
▼「酒一升」氏にとっては、いまは居心地の悪い時代かもしれない。国の指針によれば、1日当たりの純アルコール量が「女性20グラム以上、男性40グラム以上」で生活習慣病の恐れが高まるという。40グラムとは日本酒ならおよそ2合、1升の5分の1である。
キャプチャ
▼健康志向が高まる中、酒に向けられる視線は年々冷ややかになっている。アルコール度数の高い「ストロング系」の販売から大手メーカーが手を引く動きは、酒の楽しみ方が変わりつつあるというシグナルだろう。飲み放題のメニューにノンアル飲料を加えた居酒屋も見かける。
▼とりあえずビール、駆けつけ3杯、一気飲み。誰もが飲むことを前提としたかつての定跡は、古き時代の遠景となった観がある。左党が萎縮する必要はないものの、飲めない人、飲まない人を含め、酒の席も〝多様性〟の時代を迎えているらしい。
▼酒には「天の美禄(よい給与)」という、うるわしい呼び名もある。健康リスクと隣り合わせの酒一升、細く長く付き合う酒一生。同じ「いっしょう」なら軍配が上がるのは後者だろう。ほどよい距離を保てば、一生の友として喉と心を潤してくれるはずである。