1ベルは舞台の開幕5分前…(2024年6月3日『毎日新聞』-「余録」)

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築地小劇場跡」の碑=東京都中央区築地で、濱田元子撮影
 1ベルは舞台の開幕5分前、2ベルは開幕直前に鳴らされる。ブザー音だったり、教会の鐘のような音だったり、劇場や上演団体によって違うのも一興だ。観客は慌てて客席に着き、スマホをオフにする。日常と非日常との境界でもある
▲100年前の1924(大正13)年6月13日、東京・築地に開場した築地小劇場はドラの音で幕を開けた。舞台袖でドラをたたいたのは当時、研究生の丸山定夫だった。後に「新劇の団十郎」と呼ばれる名優になる
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▲歌舞伎でも新派でもない「新劇」の確立を目指す、劇団と一体となった劇場の創設は、前年の関東大震災が大きく影響している。復興政策でバラックの劇場が期限付きで許可されたのだ
▲ドイツで演劇を学んでいた土方与志(よし)は予定を切り上げて帰国。師の小山内薫の賛同を得て、10万円の私財を投じて建設した。土方の妻、梅子の自伝よると、1000円で家が建った時代のことだ。だが、時代は演劇への逆風が強まっていく
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▲日米開戦前夜には、新劇のほとんどの劇団は戦時体制に組み込まれ、自由な活動を制限された。築地小劇場も国民新劇場に改称させられ、45年の空襲で焼失。ドラをたたいた丸山は広島で原爆の犠牲となる
▲築地は再建されなかったが、戦後の民間や公共の劇場建設につながる。弾圧と戦争を生き抜いた千田是也杉村春子滝沢修ら新劇人は戦後の黄金期を築く。おおいなる遺産だ。日常や自由な表現の場はいとも簡単に奪われる。これも築地が残した教訓か。