【評伝】唐十郎さん 「命を刻みながら書いていた」緻密な字で埋め尽くされた原稿 紅テントで戦後演劇に革命(2024年5月5日『東京新聞』)

 アングラ演劇の旗手で、作家でもあった劇作家、演出家、俳優の唐十郎(から・じゅうろう、本名大鶴義英=おおつる・よしひで)さんが4日、急性硬膜下血腫のため東京都内の病院で亡くなった。84歳。東京都出身。
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◆混沌の下町が原点、現代の偽善を演劇のパワーで一刀両断に
 唐十郎さんが生まれ育ったのは東京・下谷万年町(現在の台東区)の八軒長屋。終戦後、近くの上野駅に出没する男娼(だんしょう)たちが住み着き、わい雑で混沌(こんとん)とした独特の雰囲気を持つこの下町が、唐さんの原点である。
 
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唐十郎さん
 明治大学在学中、実存主義の哲学者サルトルに傾倒。卒業後、既成演劇に反旗を翻し、サルトルの評論「シチュアシオン(状況)」にちなんで旗揚げした状況劇場は、1960年代後半、羽田闘争、東大・日大闘争など吹き荒れた反権力の風に乗って若者たちの熱狂的な支持を受けた。実験精神に富んだ劇場の代名詞ともいえる紅(あか)テント公演は、劇作家の寺山修司さんとの対話から生まれている。「サーカスが話題になった時に、ひらめいた。役者と観客が同じ平面で交流できるのが最高の魅力」と明かしていた。
 詩情あふれる劇的言語、わい雑なエネルギー、自由奔放に広がる想像力…。現代の偽善を一刀両断にし、仮面の下に隠された素顔に鋭く迫った紅テント公演は、背景がさっと開き、舞台空間が広がって役者たちが外に飛び出していく場面でクライマックスを迎える。現実と虚構が表裏一体となった世界が、唐演劇の真骨頂だった。
 旗揚げ当初、資金稼ぎのため、妻だった俳優・李礼仙(後に李麗仙)さんと金粉ショーのダンサーとして全国のキャバレーを巡回した。皮膚呼吸ができにくく、心臓に負担がかかるつらい仕事を、師と仰いでいた舞踏家・土方(ひじかた)巽さんの口利きで3年間も続けた。
 
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2011年11月19日、舞台「下谷万年町物語」製作発表時の唐十郎さん(左から2人目)。左端は蜷川幸雄、(右から)西島隆弘藤原竜也宮沢りえ=東京都渋谷区で
 
 1973年、演出家の蜷川幸雄さんのために「盲導犬」という戯曲を書き下ろした。どんなことがあっても服従しない「幻の犬」を探す盲人青年の物語で、「こんな服従ばかりしている世の中には絶対に服従しない」という唐さん自身の高らかな決意表明でもあった。手渡された原稿を見た蜷川さんは「数ミリほどの大きさの字が息を詰めながら彫刻刀で刻んだように見えた。唐は命を刻みながら書いていた」と述懐している。
 観客の度肝を抜くような大胆な演出、演技の一方で、小さく緻密な字で埋め尽くされた原稿。作家、演出家、役者の三位一体で戦後演劇に大きな足跡を記した唐さん自身も、現実と虚構がない交ぜになったような不可思議さを秘めていた。(元東京新聞記者・安田信博)