動かぬ手であなた思い描く、「芸術愛する家庭」残したい…西日本豪雨で妻と娘犠牲の男性(2024年7月6日『読売新聞』)

キャプチャ
両腕に障害が残る中、わずかに動く左手に装具を着けて絵を描く鍵中伸夫さん。遺影は妻の幸枝さん(右)と次女の利恵さん(広島県呉市で)=東直哉撮影
 甚大な被害をもたらした2018年の西日本豪雨から6年となった。土石流で妻の幸枝さん(当時64歳)と次女の利恵さん(同40歳)を失った広島県呉市の鍵中伸夫さん(75)は6日午後、市の献花台に出向いて2人の 冥福めいふく を祈る。そしていつものように、色鉛筆を手に絵を描くつもりだ。一時生き埋めになった後遺症で思うように手を動かせないが、「芸術を愛する幸せな家庭」という、生前の妻の望みに応えるために。
(呉支局 池尻太一)
思い出のリンゴ
 鍵中さんの自宅に大量の土砂が流れ込んできたのは、18年7月6日夜。家族4人で気象情報をテレビで見ていた。広島県で初の大雨特別警報が出たのを知り、避難しようとした時に家が突然押しつぶされ、4人とも巻き込まれた。
 鍵中さんと、長男の裕司さん(40)は約20時間後に救助され、裕司さんは右脚切断を余儀なくされた。幸枝さんと利恵さんは数日後、遺体で見つかった。両腕を負傷した鍵中さんは1年ほど入院し、リハビリの一環として医師に勧められた絵が、心の支えになった。
 一番最初に描いたのは、リンゴだった。市場でアルバイトをしていた幸枝さんがよく、傷がついて売り物にならない果物を安価で譲り受けて持ち帰ってくれたからだ。利き手ではない左手に鉛筆を布で縛り付け、幸枝さんを思いながら3か月かけて完成させた。
 絵は、40年以上続けていた趣味だった。1970年の大阪万博で展示されていた西洋絵画に感銘を受け、油絵や水彩画を描いた。幸枝さんと結婚した後も、休日に2人で美術館を巡り、子どもたちが幼い頃は家族で写生に出かけた。
 利恵さんは、ギターで作詞、作曲をして自ら歌を披露するほどの音楽好きで、一時はプロを志したほど。幸枝さんは「どんどんうまくなってるよ」と笑顔で応援した。
息子と支え合い
 退院後、鍵中さんは呉市内のアパートを借りて、裕司さんと2人暮らしを始めた。手と足の自由を失った2人で助け合って家事をこなし、毎日欠かさず絵を描いている。不幸を言い訳にせず、災害前と変わらず暮らすことが、生かされた命を全うすることになると思うからだ。「妻のおかげで幸せな家庭を築けた。2人に先立たれたが、家族という夫婦の共同作品を美しいまま残したい」と話す。
 最近は、デイサービスの施設で教わった塗り絵に没頭し、コンテストで入賞するほど繊細な作品を残せるようになった。少しだけ感覚の残る左手の指に色鉛筆を装具で固定し、ゆっくりと動かして仕上げると、ふっと笑みを浮かべた。
 「いつも家族を全力で応援してくれた妻なら『やっと個性が出たじゃない』と言ってくれるかな」