大会年度末でお役ご免…国民スポーツ大会「渡り鳥」たちの選択(2024年5月20日『毎日新聞』)

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自身のクラブチーム「かごしまWings AC」で子供たちを指導する手平裕士さん(右)=鹿児島市与次郎2で2024年5月18日午後1時34分、取違剛撮影
 
 2023年の国民体育大会(国体、24年から国民スポーツ大会=国スポ=に名称変更)に開催地・鹿児島県の代表で陸上走り幅跳びに出場した手平(てびら)裕士(ひろし)さん(31)=和歌山県出身=が大会後も鹿児島に残り、クラブチームを設立して子供たちを指導している。大会の「強化要員」として開催地に移住する選手は「渡り鳥」と呼ばれ賛否も渦巻く中、新天地に骨を埋めると決めた背景には、選手なりに抱く国内の競技環境への危機感がうかがえた。
陸上チーム運営し技術指導
 「腕と脚をもっと大きく前に出してみよう」。鹿児島市の県立鴨池陸上競技場で、手平さんのアドバイスを受けた小学生の男の子が駆け出した。フォームは見違えるほど良くなり、スピードも増した。24年春設立のクラブチーム「かごしまWings AC」はまだ会員2人だが、現役選手の手平さんが国内トップレベルの技を惜しみなく伝えている。
 
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自身のクラブチーム「かごしまWings AC」で子供たちを指導する手平裕士さん(右)=鹿児島市与次郎2で2024年5月18日午後1時51分、取違剛撮影
 
 手平さんは和歌山県立和歌山北高3年の時、全国高校総体三段跳びで3位になり、中京大名古屋市)に進学してからは走り幅跳びで活躍。卒業後、地元の和歌山国体(15年)に出場するため帰郷し、和歌山市に本社を置くスーパーに就職。和歌山国体で4位、翌年の岩手国体で優勝。19年の日本選手権では2位となり実績を重ねた。
 しかし、21年7月ごろ、所属先の陸上部が22年3月で廃部となることが決まり、競技生活はピンチに陥った。陸上競技で実業団チームに入れたり、企業とスポンサー契約を結べたりする選手は一握り。「つてを頼りに採用してくれる実業団を探すか……」。途方に暮れた手平さんに、21年秋ごろ声をかけたのが、鹿児島県の国体担当者だった。
 同県では20年に開催予定だったが、新型コロナウイルス禍に伴い23年まで延期に。その間に県スポーツ協会の「強化指導員」として県外から雇い入れた選手が相次いで引退するなど競技力の維持に苦慮していた。
 そのころ手平さんは、女子走り幅跳びのトップ選手で同県出身の成美さん(30)と結婚を控えていた。通常、県外から来た選手が代表になるには規定で2大会空ける必要があるが、結婚と転入が重なり、特例で鹿児島国体に間に合った。
 個人の結果は20位と振るわず、鹿児島県も総合優勝の都道府県に与えられる天皇杯を逃した。県スポーツ協会の雇用はどの選手も国体開催年の23年度末で終わる。かねて「自分のクラブで後進を指導したい」と思い描いていた手平さん。当初は「大都市じゃないと運営は難しい」と考えていたが、県担当者らの尽力もあってチームを設立。スポンサーも付いた。
県外出身19人「レガシー」に
 県担当者は「強化指導員には国体の結果だけでなく、地元の選手や指導者に技術を伝えることも期待していた」と強調する。県は手平さんの他にも鹿児島に残りたい選手を就職のあっせんなどでサポート。県外出身の強化指導員77人(23年度)のうち、手平さんら19人が鹿児島の企業や競技のプロチームに入り、レガシー(遺産)となった。
 今年度に入り、国体から名を変えた国スポには重い費用負担を中心に各地の知事から課題の指摘が相次ぐ。手平さんは「開催地の『国体要員』の確保は、第一線で競技を続けたい選手にとって貴重。開催地が優勝を目指して力を入れないと、国内のスポーツは衰退してしまうのではないか」と考える。
 クラブ運営に成功の保証はない。それでも手平さんは「軌道に乗れば、いずれはトップを目指す選手の受け皿にもなれる」と思い描き、こう意気込んだ。「ここからスポーツを盛り上げて鹿児島の皆さんに恩返ししたい」【取違剛】
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